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2016年4月15日 (金)

CIAは50年代と60年代に数百万ドルを費やし日本の右翼を支援した

以下は、http://www.bibliotecapleyades.net/sociopolitica/secretgoldtreaty/kodama2.htm

の日本語訳です。

一族の会合
日本の主要なヤクザ一家のドン達。
左から二人目が日本最大のヤクザ一族山口組のボス、児玉誉士夫である。
(訳者注:原文のまま訳しましたが、実際には児玉氏は一番左です。)

以下は John Carroll 大学のホームページに発表されたTim Weinerが書いた1994年の記事である。この記事はCIAがいかにして1950年代と1960年代に、ヤクザのボス児玉誉士夫を含めた、日本の右派に対し活動資金や支援を与えたのかについて述べるものである。

1994年10月9日
CIAは50年代と60年代に日本の右翼を支援するために数百万ドルを使った
TIM WEINER著
ワシントン 

冷戦の主要な秘密工作において、中央情報局は数百万ドルを費やし、一世代に渡り日本を支配した保守党を支援していた。
CIA(中央情報局)は日本に関する情報を集め、日本をアジアにおける反共の防波堤とし、日本の左派を弱体化させるために、1950年代と1960年代に自由民主党とその党員に金を与えたと、複数の引退した情報関係者や元外交官は述べた。その後、CIAは秘密の金銭援助をやめ、その代わり日本の党派政治や貿易交渉、条約交渉における立場に関する内部情報を集めることに専念したと、複数の引退した情報関係者は述べた。
多くの秘密献金と絡む一連の汚職事件の後、自由民主党は権力の座から失墜し、自民党の38年の一党支配は昨年終焉した。依然として日本の国会における最大政党ではあるが、6月に彼らは自分たちの冷戦における敵、CIAの支援が弱体化を狙っていた政党、社会主義者の政党との不格好な連立を形成したのであった。
日本の政治におけるCIAの金銭面での役割は歴史家やジャーナリストによって長年にわたり疑問視されてきたが、自民党は常にその存在を否定しており、こうした支援の程度が公に明らかにされることはなかった。秘密支援に関する情報公開は古傷を痛め、日本の利益を代表する独立した声としての自民党の信頼性を損ないかねないのだ。同盟国間のスパイ活動という話題は常に微妙なものである。
CIAは問い合わせに応じなかった。東京では、自民党運営部長の村口克也氏は自身はいかなる金銭授与も聞いたことがないと述べた。
「この話は、戦後の日本での構造的腐敗や一党支配の保守的民主主義を助成する上でアメリカ人が公的及び私的レベルにおいて果たしていた密接な役割を明らかにするものであり、それが新しい点です。」とマサチューセッツ工科大学の指導的日本学者、John Dower氏は述べた。「我々は自民党を見て、腐敗していると、一党支配の民主主義を持つのは不幸であると言います。しかし我々がこうした奇妙な構造を形成する役割を果たしていたのです。」
この話の詳細は、徐々に機密解除されているアメリカ政府の記録で明らかにされている。国立公文書館にある国務省文書は日本の元首相、佐藤栄作が1958年の議会選挙のためにアメリカ側に内密の出資を求めた東京のホテルでの密会について記述している。新たに機密解除されたCIAの歴史もまた、同年送金された秘密支援について論じている。
しかし完全な話は隠されたままである。この話は、多くが80歳を超えている生存している参加者、そして依然として機密化されているが1960年代初頭のケネディ政権の自民党への秘密援助をはっきりと確認する国務省文書について述べた政府関係者へのインタヴューを通じて断片をつなぎ合わせたものである。法律は30年後に、「主要な外交政策の決定や行動について包括的な文書を提出する上で必要とされる全ての記録」の公開を政府に求めている。一部の国務省及びCIA関係者は、日本の連立政権を混乱させたり、米国の面目を失わせるかも知れないという恐れがあるため、ケネディの時代の文書は永遠に秘密とされねばならないと述べている。別の国務省関係者は、法律が文書の封印解除を求めていると述べている。

成功した秘密工作
CIAの日本の保守派に対する援助は、イタリアのキリスト教民主党への秘密支援のような、他の冷戦工作に類似している。しかしこの援助は秘密とされていた--理由は、一部には、それが成功したからである。自民党は彼らの反対派、社会主義者を挫き、自分達による一党支配を維持し、ワシントンとの緊密なつながりを作り上げ、米国が日本中に軍事基地を維持していることに対する公衆の反対を打ち負かした。
こうした金銭授与に関係した引退した一人のCIA関係者は、「これは闇の奥のことであり、これがうまく行ったため、私はこの件について話すことが心地よくありません。」と語った。他の関係者は秘密支援の事実を確認した。
「我々が彼らに資金援助したのである。」1955年から1958年までCIAの極東工作を受け持ったAlfred C. Ulmer Jr.は語った。「我々は情報を自民党に頼っていたのだった。」彼は、CIAは自民党の初期の時代から自民党を支援するために、また自民党内部の情報提供者をリクルートするために、金銭支払いを利用していたと述べた。
1960年代の初頭までに、自民党と自民党政治家への金銭支払いは「確立され、日常化し」、アメリカの対日外交政策の、極秘の場合の、基本的部分となったとケネディ政権の国務省情報局長、Roger Hilsmanは語った。
「この原則は間違いなく私には受容可能であった。」と、1966年から1969年まで米国駐日大使であった U. Alexis Johnsonは語った。「我々は我々の側にある政党に資金提供していたのだ。」彼は、金銭支払いは彼が1969年に日本を去り、国務省高官になった後も続いたと述べた。
CIAは1950年代と1960年代に自民党を支援し、日本政府の多くの有望な若者との間に関係を確立したのであった。その一部が今日の日本の政治の長老政治家の中に存在している。
1970年代に国会議員となり、最近では法務大臣を務めた人望の厚い自民党リーダー、後藤田正晴は、これらの接触を認めた。「私はCIAと深い関係にありました。」彼はあるインタヴューで、自身が高官として1950年代と1960年代の情報活動に携わった経験について言及し、こう語った。「私は彼らの本部に行きました。
しかし金銭援助を受け取った本物の政府機関の職員は誰もいなかったのです。」彼はこれ以上は明確にしようとはしなかった。
「合法的立場にあって大使館に駐在していたそうしたCIAの人々は立派な人達でした。」彼は述べた。「しかしまた、秘密の人々もいました。私達には実際のところ、彼らが行っていた活動の全ては分かりませんでした。なぜなら彼らは友好国から来ており、私達は深く調査しなかったからです。」

リクルート活動は「洗練」された
1950年代と1960年代の日本の保守派に対するリクルート活動は「極めて洗練されたビジネス」であったと、一人のCIA幹部が語った。「かなり多くの我がCIA幹部が自民党に接触したのです。これは原則として日本の国会の座席のすぐ隣に座って成されました。」二人目のCIA幹部はCIAの接触者には日本の閣僚も含まれていたと語った。
CIAは自民党を支援しながら、彼らの反対派を弱体化させた。CIAはモスクワから秘密金銭援助を受けていたのではないかと疑っていた日本社会党に侵入し、若者集団、学生集団、労働集団内に工作員を配置した、と複数の元CIA幹部が述べた。
日本の反対派を妨害することは「我々の成しうる最も重要な事項であった」、と一人は語った。
こうした秘密支援は貿易をめぐる摩擦が増大し、日米間の緊張関係が始まり、日本の富が増大し、日本の政治家を支援する意義に同局が疑いを持った1970年代初頭にはどうやら終わったようである。
「その時までには、彼らは自ら資金調達できるようになっていた。」元情報関係高官は語った。しかし同局はその長年に渡る関係を利用し、さらにより伝統的なスパイ工作を日本で確立させるのであった。
「我々は全内閣関係機関に浸透していた。」1970年代と1980年代に東京に駐留していた一人のCIA幹部は語った。彼はCIAは首相の側近もリクルートし、また農林大臣とも有効な接触を持ち、貿易交渉において日本側が何を言うのか事前に知るほどであったと述べた。牛肉、柑橘類輸入をめぐる交渉において「我々は最悪の場合の代案を知っていた。」彼は述べた。「我々は日本代表団がどの地点で退席するのか知っていた。」
そうした情報は役に立つものであったであろうが、この内部情報がアメリカ側の日本人との貿易交渉者に有利に作用することはほとんどなかった。

アメリカの政策の「逆コース」
自民党への支援は、一部の歴史家が第二次世界大戦後のアメリカの対日政策の「逆コース」と呼ぶ事象にその起源があった。
1945年から1948年まで、日本を占領していたアメリカ占領軍は日本を戦争へと導いた右派軍国主義者を政府から追放していた。しかし1949年には、物事が変化していたのだった。中国は共産化した。ソビエト連邦は自分達の最初の原爆を爆発させた。ワシントンは共産主義と戦っていたのであり、右派を追い出していたのではなかった。
アメリカ占領軍は後の日本の首相、岸信介のような責任を問われた戦争犯罪人を自由の身とした。復帰した政治家の中には、ヤクザとして知られる組織犯罪集団と密接な接触を持つ者もあった。政治的フィクサーで保守派に資金提供するために舞台裏で動いた後の日本のCIA窓口になる児玉誉士夫がそうであった。
こうした政治家はまた、引退した外交官、ビジネスマン、第二次世界大戦中のCIAの前身、 Office of Strategic Services(戦略諜報局)の退役軍人らの集団から支援を受けていた。この集団のリーダーが Eugene Doomanであった。彼はベテランの日本通で、1945年に国務省を退き、「逆コース」を促進させるのであった。
朝鮮戦争の間、Doomanの集団はCIAに資金提供された大胆不敵な秘密工作を実行した。
日本の保守派は金(マネー)を必要としていた。アメリカ軍はミサイルを強固なものにするために使う希少な戦略的金属タングステンを必要としていた。「誰かがアイデアを思いついたのです:一石二鳥を狙おう」ニューヨークの弁護士でOSS(戦略諜報局)の退役軍人のJohn Howleyは語った。彼は自分がこの取引を手配したがその際のCIAの役割については知らなかったと述べた。そうしてDooman の集団は数トンのタングステンを日本の軍人の隠し場所からアメリカに密輸し、ペンタゴンに1,000万ドルで売った。密輸人には児玉、そして第二次世界大戦の間、キャリフォルニアの抑留収容所からOSSによってリクルートされた日系アメリカ人、ケイ菅原が含まれていた。
故菅原のファイルは--1991年に死去した際、詳細にこの工作を記述するほぼ完成した本を書いていた--故Howard Schonbergerメイン大学教授によって研究された。菅原のファイルはCIAがこのタングステン工作に2,800万ドルを提供し、Doomanの集団の利益は200万ドル以上あったと記述している。
この集団はこうした利益を1953年の占領後初の選挙の間の保守派の選挙運動に注ぎ込んだのだと、Howley はあるインタヴューで述べた。「我々はOSSにいた時に目的を達成することを学んだ。適切な資金を適切な場所に使わねばならない。」1953年には、アメリカの占領が終わり、逆コースが進行するなか、CIAは敵対していた日本の保守派と共に連動し始めたのだった。1955年に、こうした保守派が結合し、自由民主党を形成することになった。
アメリカからのマネーが利用可能であるという事実はすぐに日本政府の最上位レベルで知られることとなった。
1958年7月29日、マッカーサー将軍のおいで東京に駐留していた駐日大使、Douglas MacArthur 二世は、大蔵大臣佐藤栄作がアメリカ大使館に金を求めてきたと国務省に書簡を書いた。
佐藤は1964年から1972年まで日本の首相を務め、1974年にはノーベル平和賞を受賞した人物である。
MacArthur大使は、首相岸信介からの政府へのこうした要請は何も新しいものではないと書いていた。「岸の兄弟、佐藤栄作は共産主義者と戦う際の金銭的支援を我々にせがんでいる。」彼の書簡には書かれていた。
「こうしたことが我々を驚かせることはなかった。なぜなら彼は昨年も同様な考えを示していたのだから。」
自民党を支援するために日本企業によって設立された秘密の裏金は使い尽くされていたために、佐藤は懸念していたと、添付のメモは説明している。
「共産主義とのこの絶え間ない戦いにおいて保守派勢力を支援するための財政資金を提供することがアメリカには可能ではなかろうかと佐藤は求めた。」とメモには書かれている。
佐藤の要請がそのまま受け入れられたのかは明確ではないが、最近機密解除されたCIA文書や複数の元情報関係者によれば、1958年の選挙運動に資金提供するという決定は複数の国家安全保障担当の高官によって論じられ、承認されたものであったという。
あるインタヴューでMacArthur は、左派の否定する嫌疑ではあるが、日本の社会主義者はモスクワから自分たちの秘密資金を得ていたと述べた。
「その当時の日本の社会党はモスクワの直接の衛星であった」と彼は語った。
「もし日本が共産化すれば、アジアの他の国々が後に続かないとは考えられなかった。日本以外にアジアにはアメリカの力を反映させる場所が存在していなかったために、日本は極めて意義深い重要性を担っていたのだった。」

1976年の危機一髪
1976年に、この秘密金銭授与はもう少しで発覚するところであった。
ロッキード社がもうかる航空機契約を求めて、首相田中角栄と自民党に1200万ドルを賄賂として支払っていたことをアメリカ上院小委員会が発見したのである。パイプ役は政治的フィクサー、タングステン密輸人、CIA窓口の児玉であった。
その後ハワイに住む引退したCIA幹部が電話をかけてきて、驚くべき内部情報を明らかにした。「これは単にロッキードの話ではなくさらに深い話なのである。」委員会のスタッフ・ディレクター、Jerome LevinsonはCIAの人物が話したことを回想する。
「もし本当に日本を理解したいのであれば、自民党の形成とその件に関する我々の関与に遡らねばならない。」
Levinson はあるインタヴューで上司がこの件を追求しようとする彼の申し出を却下したと述べた。
「これは我々の外交政策の最も深い秘密の一つであった。」と彼は語った。これが保留とされた我々の調査の一局面であった。我々が日本へ行くと、全てが全く閉ざされたのだ。」

 

いかにしてCIAはヤクザと自民党が権力を獲得し、核エネルギーを推進すべく支援したのか

以下は、
http://www.japansubculture.com/how-the-cia-helped-put-the-yakuza-and-the-ldp-in-power/の日本語訳です。

いかにしてCIAはヤクザと自民党が権力を獲得し、核エネルギーを推進すべく支援したのか

2012年12月17日月曜日jakeadelstein寄稿

私はちょうどTim Weinerの最高傑作Legacy of Ashes: The History of the CIA 「灰の遺産」を再読し終えたところである。これは中央情報局とその暗惨たる失敗について今までに書かれたおそらく最上の書である。2012年12月16日、自民党の権力奪還の前夜、私は自民党の過去を振り返り、そもそもいかにして彼らが存在するにいたったのか見てみることは興味深いのではないかと考えた。これはJohn Le Carre (ジョン・ル・カレ=イギリスの作家)の小説にある話のようであるが、しばしばあるように、真実はフィクションよりも奇妙なのだ-またまさらに興味深いものである。

日本における工作は同情報局の珍しい成功事例の一つであることが判明している。CIAは自分たちが選んだ政党を権力の座につかせたのみならず、新潮社が出版した書、「原発 正力 CIA-機密文書で読む昭和裏面史 」(隠された昭和時代の核業界と読売新聞元社長、日本テレビの創設者正力松太郎とのつながりの歴史について機密文書が我々に告げること) によれば、彼らは日本のメデイアを利用して、核エネルギーに投資することを日本に納得させたのであった。もちろん、アメリカ企業がその利益を得た。しかしこれはまた別のかなり長い話である。
Legacy of Ashes 「灰の遺産」は驚くべき本である。特に同書がCIA数多くの失敗を文書で示したやり方には目を見張るものがある。だが日本における工作は別物であった。

:「我々は異なるやり方で運営した」は日本の光の届かない歴史に興味を持つ全ての人にとっての必読書である。この章は戦後の日本において、いかにしてCIAが、巨額の現金を用いて、元戦争犯罪人児玉嘉志夫を復帰させ、日本の首相の一人を自ら選んだのかを詳細に記している。-これは共産主義者/社会主義者の運動を抑圧するためであった。

児玉は広範囲に及ぶヤクザとのつながりがあり、中国の闇市場で形成した巨額の資本(1億7,500万ドルと推定されている)を持っていた。CIAの東京局は1953年9月10日に、「児玉はプロの嘘つきで、ギャング、いかさま師、根っからの盗人であり…利益以外には何の興味も持っていない」と報告している。このことが当時のまたその後の舞台裏におけるCIAの彼とのビジネスの妨げとなることはなかった。

この章はまた、日本を赤化させないために、いかにしてCIAが岸信介が日本の首相、与党の総裁となることを可能にしたのかについても記している。大統領自身が岸と自民党内部の岸の追従者への巨額の現金支払いの権限を持っていたようである。

「我々は異なるやり方で運営した」には戦後日本でのアメリカによるギャング、政治家への支援に関する興味深い説明がある。
岸の山口組や他の組織的犯罪集団とのつながりは良く知られている。彼の元私設秘書は元山口組組長、後藤忠政とFBIとの間での取引の調整に一役かっていた;これは後藤がアメリカへのビザと引き換えに、日本国内の組織犯罪集団に関する情報や北朝鮮に関する情報を明らかにするという取引であった。彼はUCLAで肝臓移植手術を受けたが、この取引はFBIが準備したものでも、関与したものでもなかった。この件についてはTokyo Viceでもその一部が論じられている。

Peter Hillが書いた優れた書、The Japanese Mafiaやその他の情報源によれば、岸は以前、重罪で告訴されていた山口組の組長の保釈金を工面していたという。後藤忠政元組長(現在は慈善事業を行う仏僧)もまた、自身の回顧録「はばかりながら」の中で自身の元首相岸との親しいつながりについて論じている。Robert Whitingもまた、独創性に富むTokyo Underworldの中で、日本の組織犯罪とアメリカの政治的つながりを深く掘り下げ、また極めて愉快に扱っている。Whitingさんはかつて国家安全保障局に勤めていたこともあり、私に関する限り、彼の言うことにはとても信憑性がある。(私は彼がNSAに勤めていたことがあると書くことで、Robertを出し抜いているのではない;これは数年前にJapan Times の記事で言及されていたことであり、正しかったことが判明していることである。)David Kaplanの書いた画期的な「ヤクザ:日本の犯罪地下世界」はヤクザ、自民党、アメリカの占領後の影のつながりを現実的に検証したおそらく最初の本であろう。Tim Weinerの書いた短い章を感銘深いものにしているのは、広範囲に及ぶ注記、CIAから入手した文書であり、彼がCIAの側に立ってインタヴューを実施していたということにもよる。感銘深い作品である。

前述の右翼実業家児玉は、彼の暴力団とのつながりによって悪名高いが、この点を最も具体的に示すのが60年代初頭に児玉、山口組三代目組長田岡一雄、かつて勢力を誇った在日韓国系マフィア、東声会の頭、町井久之らが全員そろって日本プロレス協会の取締役員会を務めていたことであろう。

彼らは皆良き仲間であったのだ。Legacy Of Ashesや他の情報源に記されているように、自由民主党は犯罪利益、ヤクザマネー、そしてアメリカの資金が入り混じって創設されたのであった。アメリカが日本の政治に対して支配力を行使出来た時代は過ぎ去ったが、ヤクザは広く自分たちの政治家とのつながりやコネをうまく維持してきたのだ。日本政府にとって、折に触れて彼らは依然として役に立つ存在であり、APEC 首脳会談の前には、抗争に走らず、反米左翼に注意するよう促す要請が全主要ヤクザ指導者に送られたのであった。APECが終了後には、誰かが山口組の本部に手榴弾を投げ込んだ余波を受けて、山口組本部はおそらく抗争に至るのであろう。しかし当分の間は、ヤクザは平和を維持しているのである。

メモの全面公開:日本の報道やネット上の言論の最悪の領域において、I’ve been accused of being an agent of the CIA 私はCIAの工作員であるとして何度も告発されている。あるいはモサドの工作員であると。いずれであれお好きなように。これは真実ではない。私はモルモン教徒ではなく、かなり乱れた生活を送っているが、全く不適切な人間というわけでもないため、そうした資格に欠けているのである。しかしながら、2006年から2007年にかけて、米国国務省が後援した日本における人身売買についての研究の一貫として、私は多くの引退したCIA/NSA職員がおり、CIAのトンネル会社として非難されたことのある会社で働いたことがある。私には実際に会社がトンネル会社であったのか分からないし、いずれであろうと構わない。そうしてなされた研究と研究の成果として出されたHuman Trafficking report 人身売買報告は日本の人身売買の件に対処する姿勢に明白な影響を与えたのであり、このことこそが重要なことである。

もし読者が情報活動の外部委託について興味を持っているのであれば、Tim Shorrockが書いたSpies For Hire: The Secret World Of Intelligence Outsourcing を一冊手に取っていただきたい。表紙のCIAの契約カードにはユダヤ人のように見える人物の部分的な写真がのっているが、私はそれが自分だとは思わない。誰かが私にイカしたカードを発行し、その件について私に告げたわけではないのだから。同書は驚く程良く書かれた本であり、それが現在入手可能なのである。(私たちに知らせてくれたことに対しShorrock氏に感謝する。)

*私はおよそ二ヶ月前にヤクザ好きの雑誌記者から接触を受けた。彼はSpies For Hire の表紙に出ているのは私であると主張し、遠回しに私から金を巻き上げようとしたのだった。
そこで私はこの記事を書くことで、彼に「アホ抜かせ」とも言っているのである。個人的には、元CIA工作員として非難されることの最も屈辱的なことは、当機関で働いている人に悪意は無いが、CIAには暗惨たる成功率しかなく、ブッシュ後のFEMAで働いているとして非難されているようなものであるということである。これが私の誇りを傷つけるのだ。「インテリジェンス・コミュニテイ(情報業界)」にいる大抵の人々は、事実上Drug Enforcement Agency (DEA)麻薬取締局が全ての情報機関のうちで最上の実用可能な情報を持っていると主張するであろう。いずれにせよ、読者が真剣な日本研究家であれば、Legacy of Ashes「灰の遺産」はこの章だけの理由で手元に置いておく価値があるのだ。(これは元々は2010年11月14日に投稿された記事の改訂版である。)

2014年10月29日 (水)

CIA文書 1035-960:ウォレン報告書に対する批判への対抗

 

以下は、http://www.jfklancer.com/CIA.htmlの日本語訳です。

 

この文書はニューヨークタイムズの1976年のFOIA(情報公開法)に基付いた情報公開請求に応えて公開された、リー・ハーベイ・オズワルドをケネディ大統領暗殺の単独犯であるとするウォレン報告書への批判者に対する対処方法を指示するCIAの内部文書です。そうした批判者への対処方法としてはっきりと(この問題について)「友好的エリート接触者(特に政治家や編集者)と共に論じ」、「プロパガンダ情報人脈を活用すること」と記しています。(つまり、CIAはそのような「友好的エリート接触者(特に政治家や編集者)」や「プロパガンダ情報人脈」を持っていたということです。)

 

ここでのタイトルはConcerning Criticism of the Warren Report(ウォレン報告書に対する批判について)となっていますが、
http://themindrenewed.com/images/documents/countering/docs/aarc-rhwork-12_0001_0002.png
http://www.maryferrell.org/mffweb/archive/viewer/showDoc.do?docId=53510&relPageId=2にて閲覧可能なオリジナル文書のコピーでは、Countering Criticism of the Warren Report(ウォレン報告書に対する批判への対抗)となっていましたので、こちらのタイトルを優先しました。

 

CIA 文書 1035-960
ウォレン報告書に対する批判への対抗

 

CIA 文書 #1035-960

件名:ウォレン報告書に対する批判への対抗

 

1.我々の懸念。ケネディ大統領の暗殺の日から今日まで、大統領の暗殺の責任について推測がなされている。この推測はウォレン委員会報告書(1964年9月下旬に発表された)によって一時的には抑制されたものの、様々な書き手が今や疑問の新たな口実を求めて委員会が発表した報告書と文書に目を通しており、委員会の結論を批判する書籍や記事の新しい潮流が存在している。大抵の場合批判者は一種の陰謀の存在について推測しており、しばしば彼らは同委員会自身が関与していたとほのめかしている。恐らくウォレン委員会の報告書に対してますます高まる異論の結果であろうが、一つの世論調査はアメリカ大衆の46パーセントがオズワルドが単独で実行したのではなかったと考えていることを示しており、そのうちの半数以上が委員会はいくつかの疑問を解明されないままにしていると考えていることを示していた。海外での確かな世論調査も同様な結果、または場合によってはより不都合な結果を示していた。

2.こうした世論の潮流は、我が組織を含め、アメリカ政府にとって憂慮すべき事項である。ウォレン委員会のメンバーは品位、経験、卓越性により中立的に選出されたものである。メンバーは両二大政党を代表しており、またメンバーとその補佐役は細心の注意を払って国の全ての方面から集められていた。そのような委員に立ち向かうものであるため、彼らの公正さと見識に異論を唱える取り組みは、アメリカ社会の全指導体制に対して疑念を投げかける傾向を持つものである。さらに、ジョンソン大統領自身が、便益を得たとまで言われる一人として、暗殺に対して何らかの形で責任があったと示唆する傾向がますます高まって存在していると思われる。

そのような憂慮すべきほのめかしは関係当事者のみならず、アメリカ政府の信望全般に対しても影響を及ぼすものである。我が組織自体にも直接関係するものである;一つの事実として、我々が調査に対し情報を提供したからである。陰謀論者は、例えばリー・ハーベイ・オズワルドは我々のために働いていたと偽って主張することで、しばしば我が組織に対して疑念を投げかけている。この指示書の目的は、他国でのそのような主張の流布を防ぐために、陰謀論者の主張に反論し彼らの信用を貶める材料を提供することである。背景となる情報は機密セクション並びに数多くの機密扱いではない添付文書中にて提供されている。

3.行動。我々は議論がいまだ起きていない場合には、暗殺に関する疑問をめぐる議論が開始されることを推奨するものではない。議論が活発[問題]である場合には、以下の対応策が求められる:

a.広く知られている問題について連絡担当者や友好的エリート接触者(特に政治家や編集者)と共に論じ、ウォレン委員会は人間的に可能な限り徹底的な調査を行っており、批判者の訴えには真剣な基盤がなく、さらなる推測に基づいた議論は反対勢力の術中にはまるだけであることを指摘すること。また陰謀議論の多くは共産主義者プロパガンダ扇動家によって意図的に引き起こされたと考えられることも指摘すること。彼らに事実無根の無責任な推測を阻止するべく自分達の影響力を行使するよう促すこと。

b. プロパガンダ情報人脈を活用し、批判者の攻撃を[無効とし]反論すること。書評や特集記事がこの目的には特に適している。この指示書に添付された機密ではない添付書類がその人脈に与える有用な背景資料を提供するに違いない。我々の策動は、規定通り、批判者は(1)証拠が出現する前に理論と結ばれていること、(2)政治的に利害があること、(3)金銭的に利害があること、(4)自分達の検証において軽率で不正確であること、(5)自分達の理論に夢中になっていること、を指摘せねばならない。全般的事象としての批判について議論する過程において、有用な戦略となると思われるのは、添付した背景情報となるFletcher Knebelの記事とスペクテイターの記事を活用して、エプスタインの理論を選出することである。(Mark Laneの書は精通している批判者に直面した場合エプスタインの書ほど説得力のあるものではなく、ひどいものであり、関係のない詳細の泥沼に陥いっているため、全般として答えることが困難にもなっている。)

4.非公式な場や特定の書き手に向けられたものではないメディアの議論において、あるいは公表されていない言説を攻撃する際には、以下の論点が有用であるに違いない:

a.委員会が考慮しなかった新しい重要な証拠は出現していない。暗殺は時折(例、Joachim Joesten や Bertrand Russellによって)ドレヒュス事件と比較されている。;しかしながら、同事件とは異なり、ウォレン委員会に対する攻撃は何ら新しい証拠を提起してはおらず、真犯人も納得の行く形で特定はされておらず、批判者の間でも同意は形成されていない。(より最適な比較は、不完全なものではあるが、1933年のドイツ議事堂放火との比較であろう。一部の優秀な歴史家(Fritz Tobias、AJ.P. Taylor、D.C. Watt)が現在ではこの放火はVander Lubbe により、ナチスのためでも共産主義者のためでもなく、自身の決断で実行されたと考えている;ナチスはこの責任を共産主義者に負わせようと試みたが、共産主義者はナチスが責任を負うと世界に信じさせる上でより成功したのだった。)

b. 批判者はたいていの場合特定の事項を過大評価し他の事項を無視している。彼らは個々の目撃者の回想(これらは信憑性が低く、一致していない‐そのためさらに反論の手掛かりを提供するものである)により重きを置いており、弾道解析、検死、写真上の証拠には重きを置いていない。委員会の記録を詳細に検証すると、矛盾する目撃者の説明は文脈から外れて引用されたものであるか、委員会から適切で十分な理由により却下されたものであったことが通常は示されることになる。

c. しばしば示唆されている大規模な陰謀は、アメリカ合衆国においては特に情報提供者が特別な権益等を受け取ることが想定可能であるため、隠蔽が不可能である。当時の司法長官でジョン・F・ケネディの弟であったロバート・ケネディはいかなる陰謀であれ見過ごしたり、封印したりする人物ではなかったことに留意されたい。一人の批評家が指摘したように、ジェラルド・R・フォード議員が民主党政権のために口をつぐむはずがなく、ラッセル上院議員はウォレン最高裁判所長官側の不正を暴くことにあらゆる政治的関心を持っていたのだった。さらに陰謀者がルート、車両の速度、動く標的、暗殺が発覚するリスクといった多くが自分のコントロールを超える状況に左右されるような発砲箇所を選ぶはずはがない。富める陰謀者であればより確実な状況を手配することが出来たはずである。

d. 批判者はしばしば一種の知的自尊心にそそのかされているのである:彼らは何かの理論と出会い、その理論に恋しているのである;彼らはまた委員会を嘲笑してもいる。なぜなら委員会が全ての疑問に対して何らかの形で常に決定的な解答をしてはいないからである。実際には、委員会とその補佐役の構成はいずれかの理論への過度の傾倒に対する、また可能性の確実性への不法な変換に対する優れた安全対抗策となっていたのであった。

e. オズワルドは分別のある人間が共犯者として選択する人物ではなかった。彼は「一匹狼」で、情緒不安定で、信頼性に疑問があり、専門的情報工作に際しては未知数の人間であった。

f. 委員会の報告書が急ぎの仕事であったとの訴えに関しては、同報告書は当初設定されていた締め切りの3ヶ月後に発表されたと言わねばならない。また委員会が報告の作成をどれほど急いでいたのかという点では、大部分が既に出現していた無責任な推測というプレッシャーによるものであり、そのプレッシャーには自分達の間違いを認めることを拒みつつ、現在新しい批判を表明している批判者からのものもあったと言わねばならない。

g. 「10人以上の人が不可思議な状況で死亡している」というようなあいまいな告発は自然なあり方として常に説明が可能である。例:懸念となっている人々は大部分が自然な原因により死亡している;委員会の補佐役は418人の目撃者を質問し(FBIはこれ以上の人々をインタヴューし、25,000人をインタヴュー、再インタヴューした)。このような大規模な集団においては、ある程度の死者数は想定されるものである。(「10人の謎に満ちた死者」構想の創設者の一人Penn Jonesがテレビに出演した際、彼のリスト上の死者の二人は心臓発作によるものであり、一人はがんによるものであり、一人はドライバーが橋台にはまり込んだ時に起きた橋の上での正面衝突によるものであったことが明らかになった。)

5.可能であれば、推測には委員会の報告書自体を参照するよう促すことで対処しなければならない。偏見のない海外の読者は依然として、委員会が取り組んだ際の注意深さ、徹底性、客観性、迅速性に感銘を受けるに違いない。他の書物の吟味する者は、報告書自体と照らし合わせて、報告書に対する批判者の作品よりも報告書の方が優れていることが分かるとの意見を自分達の感想に付け加えたいと促されるであろう。

真実を告げる陰謀:フロリダ州立大学Lance de-Haven-Smith教授へのインタヴュー

以下は、http://www.youtube.com/watch?v=bm3Z-cKRMN4の日本語訳です。

 

 

「氾濫する監視、政府の秘密、内部告発者への取り締まりという時代にあって、アメリカ政府の行動と意図に対してはますます多くの疑問が提起されています。

 

これらの正当化に対して私達がどれほど疑いを持とうとも、私達は与えられた説明を受け入れるよう教えられてます。

 

私達がその説明を受け入れない場合、大いなる矛盾を認めた場合、私達は陰謀論者とされてしまうのです。

 

陰謀論者とは勇敢にも疑問を提起する人々に対して長年にわたり投げかけられてきた軽蔑的な用語です。

 

ではいかにして私達は、真相追及者が陰謀論者となってしまうという地点に到達してしまったのでしょうか。

 

またこうしたことは真相の追求に対してどのようなダメージをもたらすのでしょうか。

 

今日はLance de-Haven-Smith氏をお招きして、この件について詳しく語っていただきます。

 

同氏はフロリダ州立大学の行政学の教授で、最新作「Conspirasy Theory in America」(「アメリカにおける陰謀論」)の著者でもあります。

 

Lance 教授、お越しいただきありがとうございます。」

 

「お招きいただきありがとうございます。」

 

「教授は陰謀論という概念について、この用語の起源について多くの研究をされておられます。

 

ではいつこの用語が正当な問題提起の信用を貶めるために用いられる道具となったのか、その歴史についてお話下さい。」

 

「ウォレン委員会の報告書の単独武装犯説が批判された後に、それは起きたのです。

 

人々が単独武装犯説を信じられないと言ったため、CIAはプロパガンダキャンペーンを開始しました。

 

それは世界規模のプロパガンダキャンペーンで、そうした人々に対して陰謀論者とのレッテルを貼り、彼らはお金を得るためにそうしたことをしているのだと、彼らは自分達の理論に恋しているのだと、彼らは共産主義者プロパガンダ扇動家の支配下にあるのだと、愚弄するものでした。

 

OK。ですから私は陰謀論を陰謀と呼ぶのです。

 

これは私達が陰謀について話すことを阻止するべく着想されたのです。」

 

「驚くべきことですね。

 

ウォレン委員会に疑問を持つ人々の信用を貶めるCIAのための一致団結した取り組みが実際にあったのですね。」

 

「間違いありません。」

 

「教授は陰謀論という用語に替わる用語として、SCAD、State Crime Against Democracy(民主主義に対する国家犯罪)というもう一つの用語を実は提唱しておられるのですが、その用語は正確にはどのようなものなのでしょうか。」

 

「はい。この用語は大逆罪に対する名称を意味しています。

 

これは陰謀論というレッテルによって私達が論じることを妨げられている事象に対する名称なのです。

 

私達はそうした事象に名称を与えることが出来ないと、対処することが極めて困難になります。

 

人々は、陰謀論者と言われると、議論を止めてしまうのです。

 

こうしたことから私が提唱しているのは、ホワイトカラー犯罪、未成年者犯罪のように犯罪が存在していると提唱しているのです。

 

こうした類の犯罪に私は単に名称を与えただけなのです。

 

私達はそれを見てきました。

 

私達はウォーターゲートがあったことを知っています。

 

私達はイランコントラがあったことを知っています。

 

私達はブッシュ政権が私達に事実とは異なる情報を与え、イラク侵略へと導いたことを知っています。

 

私達はこうした犯罪があることを知っているのです。

 

ですからそれらに名称を与え、それらを検証しようというのです。

 

それらをグループとして検証するのです。

 

陰謀論というレッテルに付き物の傾向は、それらを一つずつ個別に見るということです。

 

しかしこの名称により私達は、それらをグループとして見、比較し、類似した標的、類似したタイミング、いかなる類似した政策上の結果を招いたのかを調べることを余儀なくされるのです。

 

こうして私達はいかなる犯罪も検証することになるのです。」

 

「広い歴史的背景の中では、オッカムの剃刀、最も単純な説明が通常は正しい説明であると言わねばならないのですが、実際に全てをこうした歴史的説明の中で見てみると、オッカムの剃刀として片付けるよりもさらに複雑な事象が多くあるということですね。

オッカムの剃刀14世紀英国の哲学者ウイリアム・オッカム(William of Ockham)が提唱した、科学・哲学上の事柄を説明するための仮説は最小限であるべきだとする説。)

 

教授はSCAD(民主主義に対する国家犯罪)を取り巻くパターンに注目し、一連のパターンに言及していますね。

 

教授が発見したパターンの一つの例についてお話いただけますか。」

 

「はい。暗殺です。これが極めて顕著なことです。

 

アメリカの政治的指導者の中で暗殺された人々は、大統領だけなのです。

 

副大統領が狙われたことはありません。

 

合衆国上院議員は、共和党議員、民主党議員均等に、航空機墜落で死亡しています。

 

ですからこのことが示しているのは、彼らは外交政策をコントロールしている人々を殺害することに関心を持っていたということです。

 

そして提案するつもりはありませんが、彼らは最高裁判事を攻撃したのではありません。

 

つまり暗殺された人々は大きな影響力を持っていたのです。

 

なぜ狙われなかった人がいたのでしょう。

 

狙われた人々は外交政策をコントロールしていました。

 

このことが告げるのは、暗殺を仕掛け続けている人間は外交政策に関心を持っていたということです。」

 

「どのように私達は、私達が、と言ってもCIAと共同したアメリカ政府のことですが、世界中の外国指導者を暗殺し、国際的な外交政策を強行してきたという事実を受け入れているのか、私はいつも興味深く思っています。

 

また彼らが実際にこの国の内部でも、私達自身の国の内部でもそうしたことを行ったと信じることは極めて困難なのです。」

 

「そして不気味なことは、私達がこうしたことを海外で成し遂げると、私達は私達自身の国において暗殺が行われるのを目にするようになったということです。

 

私達がエジプトやラテンアメリカの人々を狙っていたのは50年代と60年代の初めですが、今度は私達の国の内部で暗殺が発生するのを目にするようになったのです。

 

その時CIAは技術を獲得し、アメリカの政治に持ち込んだのだと私は考えます。」

 

「陰謀は全てリアルであるのに、陰謀という用語は何かを軽蔑的に説明するために利用される基盤であるため、私は陰謀という用語は使うのも嫌なのですが、言うまでもなく史上最も主要な陰謀の一つであるJFK暗殺について、今年の五月に発表された世論調査について話したいと、お知らせしたいと思います。

 

大多数のアメリカ人がオズワルドが単独で行動し、JFKを殺害したのではないと信じているのです。

 

これが体制と主流メディアによる陰謀ではなくて何なのでしょうか。

 

大多数のアメリカ人がそう考えているのですよ。」

 

「政治階級はこうしたことを言いませんが、ケネディ暗殺が明らかに陰謀であることを自覚しているのです。

 

私達はウォレン委員会の報告書にある証拠から陰謀であると分かります。

 

大統領の首の弾痕は背面の侵出痕よりも高いところにありました。

 

ですが実際の弾丸の軌道は下方向に向かっていなければなりません。

 

六階から発砲してそのような軌道を描くことは不可能でした。

 

また彼らは遺体を粗末に扱いました。

 

これはテキサスでの殺害であり、テキサスの医師群が検死を行う際に、捜査されるべきでした。

 

しかし彼らは遺体を運び出し、銃を突きつけていたという人も一部にはいますが、輸送機ではなかったエアフォースワンに載せたのです。

 

ですから極めて遺憾に思うのですが、全くデタラメだったのです。

 

そして何が起きたのかと言えば、政治階級は議論を封印し、彼らとは異なる話をする人々を非難するだけでした。

 

この点を考えていただきたいのですが、ケネディ一族は今からおよそ六ヶ月前になるまで何も発言することがなかったのです。

 

ロバートケネディジュニアは、陰謀があったと、私達は調べなければならないと思うと遂に述べたのです。」

 

「驚くべきことです。驚くべきことです。」

 

「これが現在まで続く現状なのです。

 

人々は恐れているのです。

 

人々は何か述べることを恐れているのです。

 

ケネディ一族は恐れているのです。

 

ハワードハントHoward Huntがウォーターゲートに盗みに入った時、ある計画が存在していました。

 

その計画は、彼がG.Gordon Liddyと共謀しJack AndersonとTed Kennedyを殺害するというものでした。 

 

その計画は中止されましたが、彼らは遊んでいたのではありません。

 

これは極めて深刻なことなのです。」

 

「死の床にあったジャクリーンオナシスが実際に同様な話をしたということを私は知っています。

 

彼女もまた疑問に思っていたのだと思います。

 

不幸なことに、死の間際にならないと告白出来なかったのです。

 

ケネディ暗殺には何かがあったと考えていると、彼女は実際に認めたのです。

 

なぜこうしたことは人々を傷付けるのでしょうか。

 

こうしたことは何をもたらし、民主主義の根幹を傷付けるのでしょうか。」

 

「私達の政府システムは、市民が寝ずの番人であり、私達には抑制と均衡のシステムがあるという理念に基づいています。

 

なぜなら指導者は、条件が同じであれば、権限を濫用すると私達が想定しているからです。

 

ですから私達は指導者を互いに牽制させるべく努め、彼らに就任の宣誓に対して責任を課すべく努めているのであり、また弾劾手続きやその他の事象があるのです。

 

しかし私達は活発な市民がいても、彼らが沈黙すると、政府の各部署間での共謀の発生を許し、権力基盤を固めることになるとも想定しています。

 

そして人々は自分達の思考の自由を失うのです。

 

ニューベンバーグの戦争犯罪法廷について記憶しているアメリカ人もいるでしょう。

 

第一の起訴容疑は、政府を乗っ取り、侵略戦争を開始した陰謀でした。

 

私達がこうした法廷を開いたのは、ドイツ人に民主主義における人民は自分達の指導者に責任を課す責任があるということを示すためであると私達は述べたのです。

 

そしてあなた方ドイツ人はそうしたことをせず、ナチスの台頭を許し、政府を乗っ取らせ、戦争を開始したと私達は述べたのです。

 

つまり指導者に対して寝ずの番人となり、懐疑的になり、懸念を持つことはアメリカの伝統にあるです。」

 

「それは愛国的なことです。それは全く愛国的なことです。」

 

「はい、愛国的なことです。」

 

「Lance 教授、私が多くの疑問を持ち始めると、ほとんど全ての出来事が永遠の戦争、市民的自由への侵害の触媒であるように思えました。

 

しかしながら、全体的に見ると、疑問に思っているアメリカ人がどんなに少ないのか、私は衝撃を受けました。

 

なぜこれほど多くの人々が無批判に政府の公式説明を受け入れていると教授はお考えですか。」

 

「彼らが教えられているのは、また人々が語るのをあなたが聞くのは、アメリカ政府がまさかそのようなことをするはずがない、ということです。

 

またもし政府がそのようなことをしようとしても、彼らには力量不足で、出来るわけがないと、もし彼らが実行して、成功したのであれば、誰かが話すはずであると、いうのです。

 

しかし人々が忘れているのは、実際に私達は原子爆弾を作っていたということです。

 

十万人以上の人々がそのプロジェクトに携わっていましたが、話は明るみになりませんでした。

 

ハリー・トルーマンでさえも原子爆弾については、大統領になって一週間してはじめて知ったのです。

 

つまり私達は秘密を保持出来るのです。

 

私達は内密にことをなすことが出来るのです。」

 

「アメリカ合衆国大統領に対してさえもですね。」

 

「アメリカ合衆国大統領に対してさえも内密に出来るのです。」

 

「Lance 教授、不幸なことですが、ハリケーンから殺人狂の乱射事件まであらゆる事件が起きる度に結論を急ぎ、未申告の、いいえ、事実に基づいていない発表をするという陰謀文化といったものが現在存在しているようです。

 

その原因は、見てきたように、政府の透明性の欠如にあると私は考えます。

 

こうしたことは正当に真実を求めている人々に対して、どのような害を及ぼすのでしょうか。」

 

「これは本当に問題です。

 

陰謀論という用語は包括的なレッテルなのです。

 

この用語は非合理な考えと極めて現実的な考えとの明確な区別をしないのです。

 

十把ひとからげに、一緒くたにしてしまうのです。

 

しかし、私達がなすべきことは、そうではなく、具体的に何が、単に疑念と呼びましょう、何が疑念となっているのかについて論ずることです。

 

そして証拠がここに存在しており、私達は事実に基づいて論じる準備があると述べなければなりません。

 

全く対話を閉ざそうとするのは私達の社会における言論を全く損なうことであり、政治の領域において理性的であることを極めて困難にしてしまうことなのです。」

 

「私は政府の説明を見聞きすると、私は答えを持っているとは言わず、何が本当のところ起きたのか私は知らないといつも言うのです。

 

私が知っているのは、何が起きなかったのかということだけなのです。」

 

「そうです。」

 

「彼らが言っていることは不可能なのです。」

 

「政府が私達に対して提示し続けている内容を、私は偶然論と呼んでいます。

 

その理論とは、これも偶然、あれも偶然という理論です。」

 

「毎回九つの偶然があるのですね。

 

Lance 教授、お越しいただきありがとうございました。

 

Lance 教授は「Conspirasy Theory in America」(「アメリカにおける陰謀論」)という本の著者です。

 

皆さんこの本をチェックして下さい。

 

とても重要な事項で、重要な本です。ありがとうございました。」

 

「お招きいただきありがとうございました。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「陰謀論」:兵器化した用語の根幹 メディアや研究において真実の信用を貶める巧妙で欺瞞的な戦術

以下は、http://www.globalresearch.ca/conspiracy-theory-foundations-of-a-weaponized-term/5319708の日本語訳です。

 

 

「陰謀論」:兵器化した用語の根幹

 

メディアや研究において真実の信用を貶める巧妙で欺瞞的な戦術

 

 

Global Research、2013年1月22日

 

「陰謀論」とはほとんど全ての公人、特にジャーナリストや学術研究者の心に瞬時にして恐れや不安を引き起こす用語である。1960年代からこのレッテルは特定の出来事を調査や議論から隔離する上で圧倒的に有効な懲戒装置となっている。特にアメリカ合衆国においては世論に訴えるべく運命付けられた疑わしい公式説明(よって公共政策)について当然の疑問を提起することは重大な思想犯罪なのである。

陰謀論という語の持つ鋭敏で否定的な言外の含みはリベラルな歴史家Richard Hofstadterが「新右派」に対して浴びせた有名な攻撃に遡ることが出来るであろう。けれどもこの用語を効率的に「兵器化」する上で最大の役割を果たしたと考えられるのは中央情報局(CIA)であった。ジョンF.ケネディ大統領の暗殺についてのウォレン委員会の結論に向けられた世間の疑念の高まりの中で、CIAは同局の全支局に詳細な指示を送った。「ウォレン委員会報告書に対する批判への対抗」との題の送付文書が、「陰謀論」という用語を政府の増大する秘密プログラムや活動に疑問を投げかけるほとんど全ての個人、集団に対して振りかざす兵器とする上で決定的な役割を果たしたのであった。

この重要なメモとそのメモに含まれるアメリカの政治と公的言説にとっての広範囲の意味がフロリダ州立大学の政治科学者Lance de-Haven-Smith著の近著Conspiracy Theory in America(アメリカにおける陰謀論)の中で詳細に論じられている。de-Haven-Smith博士は state crimes against democracy「民主主義に対する国家犯罪」という概念を考案し、トンキン湾事件、1960年代の大きな政治的暗殺、そして911といった事件における政府の共謀の可能性を解明し、説明している。

CIA文書 1035-960」が、ニューヨークタイムズの1976年のFOIA(情報公開法)に基付いた情報公開請求に応えて公開された。この指示書は、ウォレン委員会報告書をめぐる「アメリカ政府全体の信望」に関するCIAの懸念を概説しているため、特に重要である。同局は自身のイメージと「(ウォレン委員会の)調査に対する情報提供に貢献した」という自身の役割を堅持することに特に関心を持っていたのである。

このメモは「他国でのそのような主張の流布を妨げるために、陰謀論者の主張に反論しその信用を貶める」一連の詳細な行動とテクニックを明らかにするものである。例えば、「友好的なエリート接触者(特に政治家や編集者)」に接近し、ウォレン委員会の品位と健全さを思い出させることが最優先とされるとしている。「批判者の訴えには真剣な根拠がなく」、「さらなる推測による議論は敵対勢力(共産主義者)の術中にはまるだけである」と文書には書かれている。

同局はまた「プロパガンダ情報人脈を活用し、批判者の攻撃を(無効にし)反論する」ように、「書評や特集記事がこの目的には特に適切である」と同局局員に指示していた。

1035-960文書はさらに、ウォレン委員会の結論をめぐる「陰謀めいた」主張に対抗するための具体的なテクニックについて描写している。そうした対応や軽蔑的なレッテルと結び付いた対応が、重大な公的事件に関する真実と説明責任を求める人々に対して、企業メディア出先機関、コメンテーター、政治的指導者によって、様々な装いで今日までごく普通に活用されているのである。

・(ウォレン)委員会が考慮しなかった意義ある新しい証拠は出現していない。

 

・批判者はたいていの場合特定の事項を過大評価し他の事項を無視している。

 

・しばしば示唆されている大規模な陰謀は合衆国では隠蔽することが不可能である。

 

・批判者は多くの場合一種の知的プライドに誘惑されているのである:彼らはある理論を出会い、恋に落ちているのである。

 

・オズワルドは分別のある人間が共謀者として選ぶ人間ではなかった。

 

・(ウォレン委員会の調査中に)「10人以上が謎めいた形で死亡した」というようなあいまいな訴えは常に自然なあり方として説明が可能である;例えば、死亡した人は大部分自然な理由で死亡している。

 

これまで以上に今日ニュースメディアの人間やコメンテーターは、異論の余地ある不明部分が多い事件に対して国家が認可した説明に疑問を提起する可能性のある全ての人物に対して、1035-960文書で計画されたプロパガンダと酷似したプロパガンダ活動を開始する上で力ある立場を占めているのである。この文書に記載されている動機と方法は、まぎれもなく、知識労働者によって全面的に内面化され、そうしたメディアを通じて実行可能となっており、オクラホマシティのミューラー連邦ビル爆破事件、911、最近ではサンディフック小学校射撃事件のような、未解決事件についての公式説明への大衆のほとんど一様な受容が、大きく保証されているのである。

こうしたことが後に公的な調査、議論、行動を結集させる可能性のある、不明瞭で説明されていない事件に対する学術的なまたジャーナリスティックな調査に対して及ぼす影響は目覚しいものであり、広範囲に及ぶものである。巧妙で欺瞞的な脅しの戦術が未来の独立した自己決定や市民の力の可能性をいかに深く阻害しているのかの証拠としては、警察国家の台頭、市民的自由や憲法による保護の空洞化に目を向けるだけでよい。

 

著者について:
James Tracyのメディアの歴史、政治、文化に関する研究は広範囲の学術誌、編集刊行物、オルタナティブニュース、その他の意見表明手段で発表されている。TracyはProject Censoredの近刊書、「「Censored 2014: Fearless Speech in Fateful Times; The Top Censored Stories and Media Analysis of 2012-2013」(検閲2014;運命を決する時代における恐れを知らない言論;最も検閲されたストーリーと2012年から2013年のメディア分析)の寄稿者である。さらなる記事と情報はmemoryholeblog.com.で閲覧可能である。

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