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C.I.A

2013年10月 3日 (木)

暗殺に関する16の疑問

以下は、http://22november1963.org.uk/bertrand-russell-16-questions-on-the-assassinationの日本語訳です。

イギリスの哲学者バートランド・ラッセルがケネディ暗殺に関して疑問を表明しています。

 

 

暗殺に関する16の疑問

Bertrand Russell 著

[元来はThe Minority of One, 6 September 1964, pp.6–8に発表されたものである。]

 

Kennedy の暗殺についての公式説明はあまりに矛盾に満ちているため、3度にもわたり破棄され書き直されている。あからさまな捏造がマスメディアによって極めて広範囲に報道されたが、これらの嘘に対する否定は公にはされていない。写真、証拠、口述書は改ざんされ、原形をとどめていない。Lee Harvey Oswaldを相手取った事件の最も重要な側面の一部は完全に闇に消されている。一方、FBI、警察、シークレットサービスは主要な証人を沈黙させ、どのような証拠を提示すべきか指示しようとしている。他に尋常ならざる状況で行方不明になったり、死亡した関係者もいる。

 

注意が求められ、Warren 委員会が重要であるとみなすべきは、こうした事実である。私はWarren 委員会の報告書の発表の前に書き記しているものではあるが、報道機関へ明らかにされた情報からその報告書の内容は予測可能となっている。委員の高い地位と委員会がJohnson大統領によって設置されたという事実のため、委員会は真実を述べるべく任命された神聖な人間の集団と広くみなされている。委員会の構成とその振る舞いを部分的に検証するだけで、全くその反対であることが示されることになる。

 

1:Warren 委員会のメンバー構成

 

Warren 委員会はアメリカの市民の代表では全くない。委員会は以下の人物によって構成されていた:
・その人種差別主義的観点がアメリカ合衆国に恥をかかせている2人の民主党員、Georgia 州選出のRussell 上院議員とLouisiana州選出のBoggs 下院議員;
・2人の共和党員、Kentucky 州選出のCooper上院議員と地元のGoldwater運動の元指導者でFBIの関係者であるMichigan州選出のGerald R. Ford 下院議員;
・中央情報局の元長官、Allen Dulles;
・経済界の代弁者とみなされている、Mr. McCloy。

公民権法案に反対する上院での議事進行妨害の指導部はRussell 上院議員がその期間に公聴会に出席することを妨げた。正当に尊敬を得ているEarl Warren合衆国最高裁判所長官は説得され、自身の意思におおいに反して、最終的には委員会の委員長を務めることになった。委員会に合法性と権威のオーラを添えるうえで役に立ったのは、なによりも彼の関与であった。しかし委員会の多くのメンバーは同時にまた、暗殺に関する事実を歪め、隠すために多くの行為を行った集団のメンバーでもあった。彼らの政府とのつながりのために、このメンバーは一人も、Oswald が直面した場合の裁判の陪審員として務めることは許されなかったであろう。最高裁判所長官自身が委員会による一部の情報の公表は、「生きている間にはないかも知れない」と述べたことはちょっとした驚きである。ではここで、私の第一の疑問を書く:なぜWarren委員会の全メンバーはアメリカ政府と密接なつながりがあったのか?

 

2,3:委員会の振る舞いと公式の秘密主義

 

委員会の構成に疑念があるとすれば、その振る舞いは最悪の不安を確認するものであった。Oswaldの代理をする法廷弁護士は許可されず、反対尋問は妨げられた。後に、圧力を受けて、委員会はArizona州の米国弁護士協会の理事長で、Goldwater 運動の支持者の一人であったWalter Craigを、Oswaldの代表を務めるよう任命した。私の知る限り、彼は公聴会には出席しなかったが、観察者の説明で満足した。

 

国家安全保障の名の下で、委員会の公聴会は秘密裏に開かれ、その後事件の全行程を特徴付けるこの方針が引き続いている。これが私の第二の疑問を触発する:もし、私達が聞かされているように、Oswald が単独の暗殺者であったのであれば、国家安全保障という事項がどこに介在するのであろうか? まぎれもなく、Dreyfus 事件の際にフランスで提起されたのと全く同じ疑問がここでも提起されることになる:もし政府がこの事件に関して確信しているのであれば、なぜ政府は審理を全て完全に徹底的な秘密のうちに実施するのであろうか?

 

4: 決定的な疑問は尋ねられなかった

 

手始めに委員会は審理を実施する6人の陪審団を任命した。彼らは以下を検討した:
(1)Oswaldは1963年11月22日に何をしていたのか?
(2)Oswaldの経歴はどのようなものか?
(3)Oswaldはアメリカ海兵隊、そしてソビエト連邦で何をしていたのか?
(4)どのようにRuby はOswaldを殺害したのか?
(5)Ruby の経歴はどのようなものか?
(6)11月22日に大統領を保護するためにどのような取り組みがなされたのか?

 

これが私の第四の疑問を触発する:なぜWarren 委員会はKennedy大統領を殺害したのは誰であったのかという疑問を扱う陪審団を設置しなかったのか?

 

5: 委員会への異論

 

委員会に与えられた証拠は全て、公聴会を一般公開するようにとの要請までも含め、「最高機密」に指定されている。それにもかかわらず、委員会は証拠の大部分を、その証拠がOswaldが単独の暗殺者であることを示す場合に限ってではあったが、報道機関に明かした。こうして、最高裁判所長官 Warren は、Oswaldの妻、Marinaが証言した後に記者会見を行った。彼は、夫が暗殺者であったと彼女は信じていたと述べた。
Oswaldの兄弟Robertが証言する前に、彼は彼が述べることに関してはコメントしないという委員会の合意を得ていた。彼が二日間にわたり証言した後、「委員会の一人」がRobert Oswaldが自分は兄弟がソビエト連邦のエージェントであったと信じていると証言したと報道陣に告げたというストーリーで新聞は満ちていた。Robert Oswald はこれに激しく怒り、彼の証言に関して嘘がつかれているのに黙ってはいられないと述べた。彼はそのようなことは言っておらず、彼はそのようなことは信じていないと述べた。彼が委員会に告げたのは、自分は兄弟は無実であり、決して暗殺には関与していないと信じているということだけであった。

 

委員会が採択した方法は全く嘆かわしいものであるが、Warren委員会の全役割を疑う上で重要である。同委員会は独自の調査を実施するものではなく、既存の政府機関‐FBI、シークレットサービス、Dallas 警察に依拠するものであると委員会は明言した。従ってWarren 委員会に対する信頼はこれらの3つの機関に対する信頼を前提とするものである。なぜ多くのリベラル派は、委員会の状況を検証することなく、自分達の委員会に対する責任を放棄しているのであろうか?

 

6: 破壊分子 Oswald

 

11月22日にDallasではアメリカ合衆国の大統領のために最も厳重で入念な警備対策が命じられていたことが分っている。この街は暴力で名高く、アメリカで最も極端な一部の右派の狂信者の本拠地であった。Lyndon Johnson 夫妻は1960年に副大統領の候補であった時、そこで襲われたことがあった。Adlai Stevenson はKennedyの来訪のわずか1ヶ月前にこの街で講演した際、身体を襲われていた。11月22日の朝、DallasのMorning News 紙は大統領と共産主義を結びつけるページ全体におよぶ広告を掲載した。大統領の写真と「国家反逆罪により指名手配」との見出しのついたポスターで街は覆われた。Dallasの破壊分子リストには23人の名前が連なっており、そこにはOswaldの名前が第一番目に掲載されていた。彼らは全員その日、Oswaldを除いて、尾行されていた。なぜ当局は多くの人物を暗殺者の可能性があるとして尾行しながら、3フィート以上もあるライフルを所持していたと言われるOswaldが教科書倉庫ビルに入ることに気付かなかったのであろうか?

 

7: 車両パレードのルート

 

Dallasを通る大統領のパレードのルートは広く知られており、11月22日の Dallasの Morning News紙に掲載されていた。直前になってシークレットサービスが自分達の計画の小さな部分を変更し、大統領はMain Street を過ぎて Houston Streetと Elm Streetに向けて曲がることになった。この変更により大統領は、Oswald が狙撃したと言われる、科書倉庫ビルを通り過ぎることになった。どのようにしてOswald がこの変更を知ることになったのかは全く説明されていない。なぜ大統領のパレードのルートは直前になって、Oswaldの職場を通り過ぎるように変更されたのであろうか?

 

8: 証拠の変更

 

暗殺とOswaldの逮捕の後、速やかに判決が言い渡された:Oswaldが暗殺者であり、彼は単独で行動したというものである。他の者を捕える取り組みはなされず、その地域周辺での道路封鎖は手配されなかった。Oswaldの有罪を示す傾向にある全ての証拠はDallas地方検事、Mr. Wadeによって報道陣に対して発表された。このようなやり方で数百万の人々は、彼に裁判にかけられる機会が与えられる前に、Oswaldに対し偏見を持っていた。当局によって発表された第一のセオリーは、大統領の車両がHouston Streetで教科書倉庫に接近した際、Oswaldが発砲したというものであった。検証可能な写真や目撃証人がこれは全く真実ではないことを示すと、このセオリーは破棄され、車両を正しい位置に配置した新しいセオリーが考案された。しかしながら一方では、Dallas地方検事Wade は DallasのOswaldの部屋が捜索された3日後に、そこで教科書倉庫ビルに丸印が付けられ、そのビルからHouston Street上の車両まで点線が描かれた、発射したと言われる弾丸の軌道が事前に計画されたものであったことを示す地図が発見されたと発表していた。第一のセオリーが間違いであることが示された後、11月27日にAssociated Press は以下のストーリーを発表した:「Dallas当局は今日、地図はなかったと発表した。」

 

第二のセオリーは大統領の車両を正しくElm Street上の、教科書倉庫を50ヤードから75ヤード過ぎた位置に置くものではあったが、大統領が前方から、喉を撃たれたという難問に取り組まねばならなかった。どうやってOswald は後方から大統領の前面を撃つことが出来たのであろうか?FBIは雑誌Lifeに対し背景の説明をする一連の会合を開き、Lifeは12月6日号で、大統領は狙撃された時に完全に振り向いていたと説明した。これもまた、すぐに全く誤りであることが明らかになった。これは複数の目撃者やフィルムによって否定されたのである。また Lifeの以前の号自体が、大統領は撃たれた際に前方を見ていたことを既に示していた。第二のセオリーは破棄された。

 

Oswald が単独の暗殺者であったという公式の考えの基盤を維持するために、医学的証拠をそれに合わせて改ざんし、今や第三のセオリーを構築することが必要になった。最初の一ヶ月間、シークレットサービス職員の誰一人もParkland 記念病院でKennedyの命を救おうと努力した3人の医師と話すことがなかった。 今度は二人の職員がその3人の医師と3時間過ごし、彼らを説得し、彼らが誤解していたことにした:大統領の喉の侵入痕は侵出痕であった。弾丸は肺に向かってはいなかったことにした。どうして彼らはそれほどの誤解をしてしまったのかと報道陣に尋ねられた際、McClelland 博士は以下の2つの理由を挙げた:
・彼らは検死報告書を見ていなかったこと
・そして彼らはOswald が大統領の後方にいたことを知らなかったことである!

 

検死報告書は、これを彼らはシークレットサービスから教えられたのだが、Kennedy が後方から撃たれていたことを示していた。しかしながら、この2人の職員はその3人の医師に検死報告書を見せることを拒んだため、この提言については全面的にシークレットサービスのことばに依存したのであった。3人の医師は自分達がこの件について議論することは許されなかったとはっきり述べた。医学的証拠を書き直したこの第三のセオリーが、現時点でもOswald を相手取った事件の基盤となっている。なぜ大統領の死に関する医学的証拠は改ざんされ、原形をとどめていないのであろうか?

 

9: 前方と後方からの狙撃

 

Oswaldは大統領を後方から撃ったと言われてはいるが、狙撃が前方からのものであったことを確信している多くの目撃者が存在する。そのような人々にはForth Worthの Star Telegram紙の2人の記者、Dallas のMorning News紙の4人の記者、そして教科書倉庫ビルの前に立っていた2人の人物、教科書倉庫の管理人とその会社の副社長が含まれている。わずかに2人の人物のみが直ちにそのビルに入ったと思われる:教科書倉庫の管理人、Mr. Roy S. TrulyとDallas警察官、Seymour Weitzmanの二人である。両人とも狙撃は大統領の車両の前方からであったと考えていた。Weitzman は初め車両の前方に向かって走っていたが、「誰か」に狙撃はビルからであった思うと知らされ、彼は急いでビルに戻った。Trulyは自分のビルの知識を使って支援するために彼と共にビルに入った。Dallas警察署長、Mr. Jesse Curryは、狙撃はそのビルからであったと自分は直ちに確信したと明言した。もし誰かこれを信じる人がいるとしても、彼は今日までそう述べることを躊躇している。Dallas警察無線で放送された第一報は「大統領の車両の前方の三重高架交差路の方向から狙撃はなされた」と明言していたこともまたよく知られている。加えて、第一の発砲の後に車両が訓練を受けたシークレットサービスのドライバーによってほとんど停止させられたという考慮すべき事項が存在する。これは狙撃が後方からのものであれば、あり得ない反応である。その日のDallasでのシークレットサービスの行動の責任者であり、大統領車で同行していたMr. Roy Kellermanは、狙撃がなされた際、間違いなく前方を見ていた。シークレットサービスがその車両から証拠を全て取り除いたため、検証はもはや不可能である。大統領は後方から撃たれたという主張を実証するどのような証拠があるのであろうか?

 

10: 写真の差し押さえ

 

犯罪現場で撮影された写真は最も有益であろう。発砲された際に大統領車のすぐ左側に立っていた一人の若い女性が、狙撃の直前と狙撃の間の車両の写真を撮影しており、彼女の写真には教科書倉庫ビルの前面が全て写り込んでいた。二人のFBI職員が直ちに彼女が撮影したフィルムを没収した。なぜFBIは事件全体で最も信頼出来る証拠を公表することを拒んでいるのであろうか?

 

11:偽りの証拠

 

これと関連して、この事件に影響を及ぼす写真のオリジナル版を入手することが不可能であるということもまた注目に値することである。雑誌TimeがOswaldが逮捕される写真‐これまで見た唯一の写真‐を発表した際には、背景全体が説明されざる理由によって黒く塗りつぶされていた。Oswaldの事例で起きたほど多くの写真の改ざんが起きた事例を思い出すことは困難である。

 

教科書倉庫ビルに入った警察官Weitzmanの口述書は、6階で凶器と言われるライフルを彼が発見したと明言していた。(始めこのライフルは5階で発見されたと発表されたが、すぐに変更された。)それはドイツのMauser製の7.65 mmライフルであった。翌日の遅くに、FBIは最初の発表をした。Oswald は1963年3月にイタリアのMannlicher-Carcano製の6.5 mmライフルを購入していたという。地方検事 Wade は直ちにライフルの製造国と大きさをこのFBIの発表に合うように変更した。

 

凶器と言われるライフルの複数の写真が発表されている。2月21日に、雑誌Life は表紙に「Kennedy 大統領と警察官Tippitt[原文ママ]を殺害するために使用された武器とLee Oswald」の写真を掲載した。80ページで、Life はこの写真は1963年の3月か4月に撮影されたものであると説明した。FBIによれば、Oswald は1963年9月に自分の銃を購入したという。The New York Times はDallas 警察署に運ばれている凶器と言われるライフルの写真を掲載した。このライフルは全く違っている。Life の写真に見られるものに似たライフルはこれまで製造されたことがないと専門家は明言している。The New York Times もまた Lifeと同じ写真を掲載したが、望遠照準器は省かれている。3月2日に、Newsweek は同じ写真を使用したが、全く新しいライフルが描かれていた。そして4月13日にLife のラテンアメリカ版では2月21日のアメリカ版が掲載していたのと同じ写真を表紙に掲載したが、同号の18ページには同じ写真がライフルが改ざんされて掲載されていた。報道機関の完全な捏造によって数百万の人々が間違った方向に導かれていたとはどういうことであろうか?

 

当局はOswaldをほとんど48時間にわたり、彼の度重なる求めにもかかわらず、弁護士に接触することを許さずに取り調べた。DallasのFBIの責任者はかなりの経験のある人物であった。Dallasのアメリカ人権擁護連盟の弁護士は Oswaldとの面会を求めたが、そうすることは許されなかった。弁護士に会わせることなく48時間にわたりOswaldを取調べることで、FBIはOswaldの裁判をより困難にする状況を生み出したのであった。48時間拘留された人物から得られた自白や証拠はアメリカの裁判所では許されるものではない可能性がある。FBIの責任者は、得られた資料を利用する価値をなくしてしまうようなやり方で、取調べを実施したのであった。これは、彼が裁判が起きることを想定していたのかどうかという疑問を生むものである。

 

狙撃に関するもう一つの嘘は、11月23日にLos AngelesからAssociated Press によって広められたストーリーである。これはOswald のことを射撃の名手で短気であったと述べるOswaldの海兵隊での元上官の話を伝えていた。このストーリーは広く発表された。3時間後にLos AngelesからAPはこのストーリー全部を削除する訂正を送信した。この上官は自分の記録を確認して、自分が別の人物のことを話していたことが分ったのであった。彼はOswaldのことを全く知らなかった。私の知る限り、この訂正はいずれの主要な報道媒体によっても未だに発表されていない。

 

12: 科学的証拠の歪曲

 

Dallas警察はOswaldの顔と手のパラフィンテストを行い、11月22日に彼が発砲したことを証明しようとした。Dallas警察署長、Jesse Curryは11月23日にテスト結果が「Oswaldが暗殺者であることを実証している」と発表した。Dallas-Fort Worth地域の捜査を担当するFBIの責任者は明言した:「パラフィンテストを確認しました。パラフィンテストがOswaldには手と顔に硝酸と火薬が付着していたことを実証しています。それは彼が11月22日にライフルを発砲したことを実証しているのです。」この信頼性の低いテストがそのようなことを実証していないことだけでなく、後にOswaldの顔のテストは実際には陰性であったことが明らかになり、その日彼がライフルを発砲したとは思えないことが示されている。なぜパラフィンテストの結果が、当局によって発表される前に、改ざんされていたのであろうか?

13: Tippitt 殺害犯の特徴

 

Oswaldは、当初巡視警察官Tippitt [原文ママ]の殺害容疑で逮捕され、告発されていたことが、思い出されるであろう。Tippitt はまず彼に会話を持ちかけ、そして彼を乗っていた停車中のパトカーから外に連れ出し、銃で彼を撃った男によって、11月22日の午後1時06分に殺害された。Miss Helen L. Markhamは自分がこの犯罪の唯一の目撃者であると明言しているが、Dallas警察にこの襲撃犯の特徴を述べた。自分の口述書にサインをした後に、彼女はFBI、シークレットサービス、そして多くの警察官からこの件に関しては誰とも話すことは許されないとの指示を受けたという。その口述書での殺人犯の特徴の唯一の説明は、その男は「若い白人」であったというものであった。Miss Markhamは、その殺人犯は銃をふりかざしながら彼女の方に走ってきて、彼女を通り過ぎたことを後に明らかにし、警察に教えた殺人犯の特徴を繰り返した。その男は、「身長は低く、少し太り気味で、幾分ぼさぼさの髪をしていた」と彼女は述べた。(警察によるOswald の特徴の説明は彼が平均身長か、若干高く、細身で髪の生え際が後退した金髪の髪をしていたというものであった。)Miss Markhamの口述書が巡視警官Tippittの殺害に対してOswaldを相手取った事件の全てであったが、地方検事Wadeは以下のように主張した:「我々にはOswald が大統領を殺害したことを示すよりも多くの、Tippitを殺害したことを証明する証拠がある。」Tippittの殺害に対してOswaldを相手取った事件は、全く揺るぎない事件である、と彼は続けた。なぜTippitt殺害犯の唯一の目撃者の口述書から、その殺害犯の特徴を述べる唯一の説明が警察によって意図的に省かれていたのであろうか?

 

14: 警察の放送のタイミング

 

Oswaldの特徴の説明は大統領が狙撃されたわずか12分後にDallas警察によって放送された。これが殺人事件に関してこれまで提起された中で最も尋常ならざる疑問を提起する。なぜ巡視警官Tippitt殺害に関連したOswaldの特徴の説明が、Tippittは午後1時06分まで撃たれてはいなかったのに、11月22日午後12時43分にDallas警察の無線で放送されたのであろうか?

 

15: 証人の取り扱い

 

New York のJournal American紙に記事を書いているMr. Bob Considineによれば、Tippittに対して発砲された銃声を聞いた人物がいたという。Warren Reynoldsは近くの部屋から通りでの銃声を聞き、窓に走り寄り、殺人犯が逃げ去るのを見たという。Reynolds彼自身は後にライフルを持った男によって頭部を撃たれた。一人の男がこの犯罪では逮捕されたが、アリバイを提示した。Mr. Considineによれば、彼のガールフレンド、Betty Mooney McDonaldは、Reynoldsが撃たれた時自分は彼と一緒にいたと警察に告げたという。Dallas警察は、Reynolds が意識を回復し、襲撃犯を特定しようと試みる前であったのに、直ちに告訴を取り下げた。その男は即座に姿を消し、2日後に警察はBetty Mooney McDonaldを些細な犯罪で逮捕した。彼女は警察の留置場で首をくくったと発表された。Mr. Considineによれば、彼女はJack Rubyのナイトクラブのストリップティーズであったという。

 

Oswaldの事件において尋常ならざる扱いを受けたもう一人の証人は彼の妻、 Marinaであった。彼女は夫がまだ生きている間に拘置所に連れて行かれ、警察署長Jesse Curryからライフルを見せられたという。Oswaldの物かと尋ねられ、彼女はOswaldがライフルを持っていたと思うがそれは彼のライフルとは似ていないと答えた。彼女と彼女の継母は暗殺の後に、一般大衆の彼らに対する復讐という脅威のため、大きな危険の中にあった。その当時彼らは自分達を保護する警官を一人も確保することが出来なかった。Oswaldが殺害された直後に、シークレットサービスは不法に両女性を彼女達の意思に反して拘束した。3日後に二人は離れ離れにさせられ、Marinaは決して再び公の前に姿を現すことはなかった。9週間にわたり拘留され、ほとんど毎日FBI、シークレットサービスによる取調べを受け、彼女はついにWarren委員会に対して証言した。Earl Warrenによれば、彼女は夫が暗殺者であったと自分は信じると述べたという。この最高裁判所長官は、次の日に彼らはMrs. Oswaldに凶器のライフルを見せるつもりであるが、委員会は彼女がそれを夫の所有物であると認めることをかなり確信しているとしていると付け加えた。次の日まさにこのことが起きたと発表された。Mrs. Oswaldは、未だにシークレットサービスの監督下にあると、私達は知らされている。証人を9週間にわたり隔離し、こうしたやり方でシークレットサービスが繰り返して質問を浴びせることは、洗脳と呼ばれる、他国での警察の行為を想起させるものである。Oswald がライフルを所持していたことを示すために出て来た唯一の証人は、自分はOswald の車の後部座席に約2フィートの茶色の紙の包みを見たと述べた。警察が「提供」したライフルはほとんど3フィート半あった。どうしてEarl Warrenに、Marina Oswaldの証言が彼女が以前証言したものと全く正反対なものになることを予測可能であったのであろうか?

 

16: 証拠の改ざん

 

RubyがOswaldを殺害した後、地方検事 WadeはOswaldの暗殺後の動きについての発表をした。彼はOswaldはバスに乗ったと説明したが、彼はOswaldがバスに乗った地点をバス運転手が自身の口述書で特定した地点から7ブロック離れた地点として述べた。Oswaldは次にDaryll Clickが運転するタクシーに乗ったと、Wade は説明を続けた。 街の運輸業者への調査で、Dallasにはそのような名前のタクシー運転手は存在していなかったことが明らかになった。この証拠が提示されたため、Wade は運転手の名前をWilliam Whaleyへと変更した。この運転手の運転記録はOswaldの特徴と対応する男が12時30分にタクシーに乗っていたことを示していた。大統領は12時31分に撃たれていた。地方検事 Wade はこの件に関して何も言及しなかった。地方検事Wade はDallasに14年間で生活しており、以前はFBI職員であった。地方検事Wadeの偉大な経歴は、Oswaldの事件の間に彼が発表した証拠と証言の尋常ならざる変更においてどのような意味を持つのであろうか?

 

これらは、暗殺についての公式説明によって、またOswaldを相手取った事件全体の取り扱われ方によって生起した疑問のうちのごくわずかである。16の疑問はこの事件の全ての要素の全面的な検証の代替となるものではないが、私はこれらがそのような全面的な調査の重要性を示していると期待するものである。私は、この記事中の情報の大部分について、Oswald の母親からOswald の法廷弁護士に指名されたNew York の刑事事件弁護士、Mr. Mark Laneに恩恵を受けている。Mr. Laneの調査は、現在も進展中であり、広範囲の支援に値する。このような目的の、市民による調査委員会がN.Y.州New York市156 Fifth Avenue、Room 422に制定されている。(電話番号 YU9-6850)同等な委員会がヨーロッパにおいても設置されつつある。

イギリスで、私は同国の知的生活を送る優れた人々を招き、「Who Killed Kennedy Committee(誰がKennedyを殺害したのか委員会)」への参加を呼びかけた。この文章を書いている現時点では、この委員会は以下の人々から構成されている:

 

・Mr. John Arden、脚本家;
・Mrs. Carolyn Wedgwood Benn、Cincinnati出身で、Anthony Wedgwood Benn、 M.P.の妻;
・Lord Boyd-Orr、国連食料農業機関元事務局長、ノーベル平和賞受賞者;
・Mr. John Calder、出版業者;Professor William Empsom、Sheffield大学の英文学教授;
・Mr. Victor Golancz、出版業者;
・Mr. Michael Foot、 英国議会議員;
・Mr. Kingsley Martin、雑誌 New Statesmanの元編集者;
・Sir Compton Mackenzie、 著述家;
・Mr. J.B. Priestley、脚本家、作家;
・Sir Herbert Read、美術評論家;
・Mr. Tony Richardson、映画監督;
・Dr. Mervyn Stockwood、Southwarkの司祭;
・Professor Hugh Trevor-Roper、Oxford大学の近代史の教授;
・Mr. Kenneth Tynan、国立劇場の文芸部長;
・そして私自身である。

 

私達は最大限の深刻さを持ってこの問題を見ている。アメリカ大使館はかなり以前にOswaldに対する公式の容疑についての世界的規模での懐疑をWashingtonに伝えていた。しかしこれはアメリカの報道機関によってほとんど反映されていない。アメリカのテレビ番組や大量発行部数新聞に、Oswaldが暗殺者であり、彼は単独で行動したという‐全ての主張の不変の基盤に異議を唱えるものはない。これはアメリカ市民に残された課題である。

 

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