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2016年4月

2016年4月15日 (金)

CIAは50年代と60年代に数百万ドルを費やし日本の右翼を支援した

以下は、http://www.bibliotecapleyades.net/sociopolitica/secretgoldtreaty/kodama2.htm

の日本語訳です。

一族の会合
日本の主要なヤクザ一家のドン達。
左から二人目が日本最大のヤクザ一族山口組のボス、児玉誉士夫である。
(訳者注:原文のまま訳しましたが、実際には児玉氏は一番左です。)

以下は John Carroll 大学のホームページに発表されたTim Weinerが書いた1994年の記事である。この記事はCIAがいかにして1950年代と1960年代に、ヤクザのボス児玉誉士夫を含めた、日本の右派に対し活動資金や支援を与えたのかについて述べるものである。

1994年10月9日
CIAは50年代と60年代に日本の右翼を支援するために数百万ドルを使った
TIM WEINER著
ワシントン 

冷戦の主要な秘密工作において、中央情報局は数百万ドルを費やし、一世代に渡り日本を支配した保守党を支援していた。
CIA(中央情報局)は日本に関する情報を集め、日本をアジアにおける反共の防波堤とし、日本の左派を弱体化させるために、1950年代と1960年代に自由民主党とその党員に金を与えたと、複数の引退した情報関係者や元外交官は述べた。その後、CIAは秘密の金銭援助をやめ、その代わり日本の党派政治や貿易交渉、条約交渉における立場に関する内部情報を集めることに専念したと、複数の引退した情報関係者は述べた。
多くの秘密献金と絡む一連の汚職事件の後、自由民主党は権力の座から失墜し、自民党の38年の一党支配は昨年終焉した。依然として日本の国会における最大政党ではあるが、6月に彼らは自分たちの冷戦における敵、CIAの支援が弱体化を狙っていた政党、社会主義者の政党との不格好な連立を形成したのであった。
日本の政治におけるCIAの金銭面での役割は歴史家やジャーナリストによって長年にわたり疑問視されてきたが、自民党は常にその存在を否定しており、こうした支援の程度が公に明らかにされることはなかった。秘密支援に関する情報公開は古傷を痛め、日本の利益を代表する独立した声としての自民党の信頼性を損ないかねないのだ。同盟国間のスパイ活動という話題は常に微妙なものである。
CIAは問い合わせに応じなかった。東京では、自民党運営部長の村口克也氏は自身はいかなる金銭授与も聞いたことがないと述べた。
「この話は、戦後の日本での構造的腐敗や一党支配の保守的民主主義を助成する上でアメリカ人が公的及び私的レベルにおいて果たしていた密接な役割を明らかにするものであり、それが新しい点です。」とマサチューセッツ工科大学の指導的日本学者、John Dower氏は述べた。「我々は自民党を見て、腐敗していると、一党支配の民主主義を持つのは不幸であると言います。しかし我々がこうした奇妙な構造を形成する役割を果たしていたのです。」
この話の詳細は、徐々に機密解除されているアメリカ政府の記録で明らかにされている。国立公文書館にある国務省文書は日本の元首相、佐藤栄作が1958年の議会選挙のためにアメリカ側に内密の出資を求めた東京のホテルでの密会について記述している。新たに機密解除されたCIAの歴史もまた、同年送金された秘密支援について論じている。
しかし完全な話は隠されたままである。この話は、多くが80歳を超えている生存している参加者、そして依然として機密化されているが1960年代初頭のケネディ政権の自民党への秘密援助をはっきりと確認する国務省文書について述べた政府関係者へのインタヴューを通じて断片をつなぎ合わせたものである。法律は30年後に、「主要な外交政策の決定や行動について包括的な文書を提出する上で必要とされる全ての記録」の公開を政府に求めている。一部の国務省及びCIA関係者は、日本の連立政権を混乱させたり、米国の面目を失わせるかも知れないという恐れがあるため、ケネディの時代の文書は永遠に秘密とされねばならないと述べている。別の国務省関係者は、法律が文書の封印解除を求めていると述べている。

成功した秘密工作
CIAの日本の保守派に対する援助は、イタリアのキリスト教民主党への秘密支援のような、他の冷戦工作に類似している。しかしこの援助は秘密とされていた--理由は、一部には、それが成功したからである。自民党は彼らの反対派、社会主義者を挫き、自分達による一党支配を維持し、ワシントンとの緊密なつながりを作り上げ、米国が日本中に軍事基地を維持していることに対する公衆の反対を打ち負かした。
こうした金銭授与に関係した引退した一人のCIA関係者は、「これは闇の奥のことであり、これがうまく行ったため、私はこの件について話すことが心地よくありません。」と語った。他の関係者は秘密支援の事実を確認した。
「我々が彼らに資金援助したのである。」1955年から1958年までCIAの極東工作を受け持ったAlfred C. Ulmer Jr.は語った。「我々は情報を自民党に頼っていたのだった。」彼は、CIAは自民党の初期の時代から自民党を支援するために、また自民党内部の情報提供者をリクルートするために、金銭支払いを利用していたと述べた。
1960年代の初頭までに、自民党と自民党政治家への金銭支払いは「確立され、日常化し」、アメリカの対日外交政策の、極秘の場合の、基本的部分となったとケネディ政権の国務省情報局長、Roger Hilsmanは語った。
「この原則は間違いなく私には受容可能であった。」と、1966年から1969年まで米国駐日大使であった U. Alexis Johnsonは語った。「我々は我々の側にある政党に資金提供していたのだ。」彼は、金銭支払いは彼が1969年に日本を去り、国務省高官になった後も続いたと述べた。
CIAは1950年代と1960年代に自民党を支援し、日本政府の多くの有望な若者との間に関係を確立したのであった。その一部が今日の日本の政治の長老政治家の中に存在している。
1970年代に国会議員となり、最近では法務大臣を務めた人望の厚い自民党リーダー、後藤田正晴は、これらの接触を認めた。「私はCIAと深い関係にありました。」彼はあるインタヴューで、自身が高官として1950年代と1960年代の情報活動に携わった経験について言及し、こう語った。「私は彼らの本部に行きました。
しかし金銭援助を受け取った本物の政府機関の職員は誰もいなかったのです。」彼はこれ以上は明確にしようとはしなかった。
「合法的立場にあって大使館に駐在していたそうしたCIAの人々は立派な人達でした。」彼は述べた。「しかしまた、秘密の人々もいました。私達には実際のところ、彼らが行っていた活動の全ては分かりませんでした。なぜなら彼らは友好国から来ており、私達は深く調査しなかったからです。」

リクルート活動は「洗練」された
1950年代と1960年代の日本の保守派に対するリクルート活動は「極めて洗練されたビジネス」であったと、一人のCIA幹部が語った。「かなり多くの我がCIA幹部が自民党に接触したのです。これは原則として日本の国会の座席のすぐ隣に座って成されました。」二人目のCIA幹部はCIAの接触者には日本の閣僚も含まれていたと語った。
CIAは自民党を支援しながら、彼らの反対派を弱体化させた。CIAはモスクワから秘密金銭援助を受けていたのではないかと疑っていた日本社会党に侵入し、若者集団、学生集団、労働集団内に工作員を配置した、と複数の元CIA幹部が述べた。
日本の反対派を妨害することは「我々の成しうる最も重要な事項であった」、と一人は語った。
こうした秘密支援は貿易をめぐる摩擦が増大し、日米間の緊張関係が始まり、日本の富が増大し、日本の政治家を支援する意義に同局が疑いを持った1970年代初頭にはどうやら終わったようである。
「その時までには、彼らは自ら資金調達できるようになっていた。」元情報関係高官は語った。しかし同局はその長年に渡る関係を利用し、さらにより伝統的なスパイ工作を日本で確立させるのであった。
「我々は全内閣関係機関に浸透していた。」1970年代と1980年代に東京に駐留していた一人のCIA幹部は語った。彼はCIAは首相の側近もリクルートし、また農林大臣とも有効な接触を持ち、貿易交渉において日本側が何を言うのか事前に知るほどであったと述べた。牛肉、柑橘類輸入をめぐる交渉において「我々は最悪の場合の代案を知っていた。」彼は述べた。「我々は日本代表団がどの地点で退席するのか知っていた。」
そうした情報は役に立つものであったであろうが、この内部情報がアメリカ側の日本人との貿易交渉者に有利に作用することはほとんどなかった。

アメリカの政策の「逆コース」
自民党への支援は、一部の歴史家が第二次世界大戦後のアメリカの対日政策の「逆コース」と呼ぶ事象にその起源があった。
1945年から1948年まで、日本を占領していたアメリカ占領軍は日本を戦争へと導いた右派軍国主義者を政府から追放していた。しかし1949年には、物事が変化していたのだった。中国は共産化した。ソビエト連邦は自分達の最初の原爆を爆発させた。ワシントンは共産主義と戦っていたのであり、右派を追い出していたのではなかった。
アメリカ占領軍は後の日本の首相、岸信介のような責任を問われた戦争犯罪人を自由の身とした。復帰した政治家の中には、ヤクザとして知られる組織犯罪集団と密接な接触を持つ者もあった。政治的フィクサーで保守派に資金提供するために舞台裏で動いた後の日本のCIA窓口になる児玉誉士夫がそうであった。
こうした政治家はまた、引退した外交官、ビジネスマン、第二次世界大戦中のCIAの前身、 Office of Strategic Services(戦略諜報局)の退役軍人らの集団から支援を受けていた。この集団のリーダーが Eugene Doomanであった。彼はベテランの日本通で、1945年に国務省を退き、「逆コース」を促進させるのであった。
朝鮮戦争の間、Doomanの集団はCIAに資金提供された大胆不敵な秘密工作を実行した。
日本の保守派は金(マネー)を必要としていた。アメリカ軍はミサイルを強固なものにするために使う希少な戦略的金属タングステンを必要としていた。「誰かがアイデアを思いついたのです:一石二鳥を狙おう」ニューヨークの弁護士でOSS(戦略諜報局)の退役軍人のJohn Howleyは語った。彼は自分がこの取引を手配したがその際のCIAの役割については知らなかったと述べた。そうしてDooman の集団は数トンのタングステンを日本の軍人の隠し場所からアメリカに密輸し、ペンタゴンに1,000万ドルで売った。密輸人には児玉、そして第二次世界大戦の間、キャリフォルニアの抑留収容所からOSSによってリクルートされた日系アメリカ人、ケイ菅原が含まれていた。
故菅原のファイルは--1991年に死去した際、詳細にこの工作を記述するほぼ完成した本を書いていた--故Howard Schonbergerメイン大学教授によって研究された。菅原のファイルはCIAがこのタングステン工作に2,800万ドルを提供し、Doomanの集団の利益は200万ドル以上あったと記述している。
この集団はこうした利益を1953年の占領後初の選挙の間の保守派の選挙運動に注ぎ込んだのだと、Howley はあるインタヴューで述べた。「我々はOSSにいた時に目的を達成することを学んだ。適切な資金を適切な場所に使わねばならない。」1953年には、アメリカの占領が終わり、逆コースが進行するなか、CIAは敵対していた日本の保守派と共に連動し始めたのだった。1955年に、こうした保守派が結合し、自由民主党を形成することになった。
アメリカからのマネーが利用可能であるという事実はすぐに日本政府の最上位レベルで知られることとなった。
1958年7月29日、マッカーサー将軍のおいで東京に駐留していた駐日大使、Douglas MacArthur 二世は、大蔵大臣佐藤栄作がアメリカ大使館に金を求めてきたと国務省に書簡を書いた。
佐藤は1964年から1972年まで日本の首相を務め、1974年にはノーベル平和賞を受賞した人物である。
MacArthur大使は、首相岸信介からの政府へのこうした要請は何も新しいものではないと書いていた。「岸の兄弟、佐藤栄作は共産主義者と戦う際の金銭的支援を我々にせがんでいる。」彼の書簡には書かれていた。
「こうしたことが我々を驚かせることはなかった。なぜなら彼は昨年も同様な考えを示していたのだから。」
自民党を支援するために日本企業によって設立された秘密の裏金は使い尽くされていたために、佐藤は懸念していたと、添付のメモは説明している。
「共産主義とのこの絶え間ない戦いにおいて保守派勢力を支援するための財政資金を提供することがアメリカには可能ではなかろうかと佐藤は求めた。」とメモには書かれている。
佐藤の要請がそのまま受け入れられたのかは明確ではないが、最近機密解除されたCIA文書や複数の元情報関係者によれば、1958年の選挙運動に資金提供するという決定は複数の国家安全保障担当の高官によって論じられ、承認されたものであったという。
あるインタヴューでMacArthur は、左派の否定する嫌疑ではあるが、日本の社会主義者はモスクワから自分たちの秘密資金を得ていたと述べた。
「その当時の日本の社会党はモスクワの直接の衛星であった」と彼は語った。
「もし日本が共産化すれば、アジアの他の国々が後に続かないとは考えられなかった。日本以外にアジアにはアメリカの力を反映させる場所が存在していなかったために、日本は極めて意義深い重要性を担っていたのだった。」

1976年の危機一髪
1976年に、この秘密金銭授与はもう少しで発覚するところであった。
ロッキード社がもうかる航空機契約を求めて、首相田中角栄と自民党に1200万ドルを賄賂として支払っていたことをアメリカ上院小委員会が発見したのである。パイプ役は政治的フィクサー、タングステン密輸人、CIA窓口の児玉であった。
その後ハワイに住む引退したCIA幹部が電話をかけてきて、驚くべき内部情報を明らかにした。「これは単にロッキードの話ではなくさらに深い話なのである。」委員会のスタッフ・ディレクター、Jerome LevinsonはCIAの人物が話したことを回想する。
「もし本当に日本を理解したいのであれば、自民党の形成とその件に関する我々の関与に遡らねばならない。」
Levinson はあるインタヴューで上司がこの件を追求しようとする彼の申し出を却下したと述べた。
「これは我々の外交政策の最も深い秘密の一つであった。」と彼は語った。これが保留とされた我々の調査の一局面であった。我々が日本へ行くと、全てが全く閉ざされたのだ。」

 

いかにしてCIAはヤクザと自民党が権力を獲得し、核エネルギーを推進すべく支援したのか

以下は、
http://www.japansubculture.com/how-the-cia-helped-put-the-yakuza-and-the-ldp-in-power/の日本語訳です。

いかにしてCIAはヤクザと自民党が権力を獲得し、核エネルギーを推進すべく支援したのか

2012年12月17日月曜日jakeadelstein寄稿

私はちょうどTim Weinerの最高傑作Legacy of Ashes: The History of the CIA 「灰の遺産」を再読し終えたところである。これは中央情報局とその暗惨たる失敗について今までに書かれたおそらく最上の書である。2012年12月16日、自民党の権力奪還の前夜、私は自民党の過去を振り返り、そもそもいかにして彼らが存在するにいたったのか見てみることは興味深いのではないかと考えた。これはJohn Le Carre (ジョン・ル・カレ=イギリスの作家)の小説にある話のようであるが、しばしばあるように、真実はフィクションよりも奇妙なのだ-またまさらに興味深いものである。

日本における工作は同情報局の珍しい成功事例の一つであることが判明している。CIAは自分たちが選んだ政党を権力の座につかせたのみならず、新潮社が出版した書、「原発 正力 CIA-機密文書で読む昭和裏面史 」(隠された昭和時代の核業界と読売新聞元社長、日本テレビの創設者正力松太郎とのつながりの歴史について機密文書が我々に告げること) によれば、彼らは日本のメデイアを利用して、核エネルギーに投資することを日本に納得させたのであった。もちろん、アメリカ企業がその利益を得た。しかしこれはまた別のかなり長い話である。
Legacy of Ashes 「灰の遺産」は驚くべき本である。特に同書がCIA数多くの失敗を文書で示したやり方には目を見張るものがある。だが日本における工作は別物であった。

:「我々は異なるやり方で運営した」は日本の光の届かない歴史に興味を持つ全ての人にとっての必読書である。この章は戦後の日本において、いかにしてCIAが、巨額の現金を用いて、元戦争犯罪人児玉嘉志夫を復帰させ、日本の首相の一人を自ら選んだのかを詳細に記している。-これは共産主義者/社会主義者の運動を抑圧するためであった。

児玉は広範囲に及ぶヤクザとのつながりがあり、中国の闇市場で形成した巨額の資本(1億7,500万ドルと推定されている)を持っていた。CIAの東京局は1953年9月10日に、「児玉はプロの嘘つきで、ギャング、いかさま師、根っからの盗人であり…利益以外には何の興味も持っていない」と報告している。このことが当時のまたその後の舞台裏におけるCIAの彼とのビジネスの妨げとなることはなかった。

この章はまた、日本を赤化させないために、いかにしてCIAが岸信介が日本の首相、与党の総裁となることを可能にしたのかについても記している。大統領自身が岸と自民党内部の岸の追従者への巨額の現金支払いの権限を持っていたようである。

「我々は異なるやり方で運営した」には戦後日本でのアメリカによるギャング、政治家への支援に関する興味深い説明がある。
岸の山口組や他の組織的犯罪集団とのつながりは良く知られている。彼の元私設秘書は元山口組組長、後藤忠政とFBIとの間での取引の調整に一役かっていた;これは後藤がアメリカへのビザと引き換えに、日本国内の組織犯罪集団に関する情報や北朝鮮に関する情報を明らかにするという取引であった。彼はUCLAで肝臓移植手術を受けたが、この取引はFBIが準備したものでも、関与したものでもなかった。この件についてはTokyo Viceでもその一部が論じられている。

Peter Hillが書いた優れた書、The Japanese Mafiaやその他の情報源によれば、岸は以前、重罪で告訴されていた山口組の組長の保釈金を工面していたという。後藤忠政元組長(現在は慈善事業を行う仏僧)もまた、自身の回顧録「はばかりながら」の中で自身の元首相岸との親しいつながりについて論じている。Robert Whitingもまた、独創性に富むTokyo Underworldの中で、日本の組織犯罪とアメリカの政治的つながりを深く掘り下げ、また極めて愉快に扱っている。Whitingさんはかつて国家安全保障局に勤めていたこともあり、私に関する限り、彼の言うことにはとても信憑性がある。(私は彼がNSAに勤めていたことがあると書くことで、Robertを出し抜いているのではない;これは数年前にJapan Times の記事で言及されていたことであり、正しかったことが判明していることである。)David Kaplanの書いた画期的な「ヤクザ:日本の犯罪地下世界」はヤクザ、自民党、アメリカの占領後の影のつながりを現実的に検証したおそらく最初の本であろう。Tim Weinerの書いた短い章を感銘深いものにしているのは、広範囲に及ぶ注記、CIAから入手した文書であり、彼がCIAの側に立ってインタヴューを実施していたということにもよる。感銘深い作品である。

前述の右翼実業家児玉は、彼の暴力団とのつながりによって悪名高いが、この点を最も具体的に示すのが60年代初頭に児玉、山口組三代目組長田岡一雄、かつて勢力を誇った在日韓国系マフィア、東声会の頭、町井久之らが全員そろって日本プロレス協会の取締役員会を務めていたことであろう。

彼らは皆良き仲間であったのだ。Legacy Of Ashesや他の情報源に記されているように、自由民主党は犯罪利益、ヤクザマネー、そしてアメリカの資金が入り混じって創設されたのであった。アメリカが日本の政治に対して支配力を行使出来た時代は過ぎ去ったが、ヤクザは広く自分たちの政治家とのつながりやコネをうまく維持してきたのだ。日本政府にとって、折に触れて彼らは依然として役に立つ存在であり、APEC 首脳会談の前には、抗争に走らず、反米左翼に注意するよう促す要請が全主要ヤクザ指導者に送られたのであった。APECが終了後には、誰かが山口組の本部に手榴弾を投げ込んだ余波を受けて、山口組本部はおそらく抗争に至るのであろう。しかし当分の間は、ヤクザは平和を維持しているのである。

メモの全面公開:日本の報道やネット上の言論の最悪の領域において、I’ve been accused of being an agent of the CIA 私はCIAの工作員であるとして何度も告発されている。あるいはモサドの工作員であると。いずれであれお好きなように。これは真実ではない。私はモルモン教徒ではなく、かなり乱れた生活を送っているが、全く不適切な人間というわけでもないため、そうした資格に欠けているのである。しかしながら、2006年から2007年にかけて、米国国務省が後援した日本における人身売買についての研究の一貫として、私は多くの引退したCIA/NSA職員がおり、CIAのトンネル会社として非難されたことのある会社で働いたことがある。私には実際に会社がトンネル会社であったのか分からないし、いずれであろうと構わない。そうしてなされた研究と研究の成果として出されたHuman Trafficking report 人身売買報告は日本の人身売買の件に対処する姿勢に明白な影響を与えたのであり、このことこそが重要なことである。

もし読者が情報活動の外部委託について興味を持っているのであれば、Tim Shorrockが書いたSpies For Hire: The Secret World Of Intelligence Outsourcing を一冊手に取っていただきたい。表紙のCIAの契約カードにはユダヤ人のように見える人物の部分的な写真がのっているが、私はそれが自分だとは思わない。誰かが私にイカしたカードを発行し、その件について私に告げたわけではないのだから。同書は驚く程良く書かれた本であり、それが現在入手可能なのである。(私たちに知らせてくれたことに対しShorrock氏に感謝する。)

*私はおよそ二ヶ月前にヤクザ好きの雑誌記者から接触を受けた。彼はSpies For Hire の表紙に出ているのは私であると主張し、遠回しに私から金を巻き上げようとしたのだった。
そこで私はこの記事を書くことで、彼に「アホ抜かせ」とも言っているのである。個人的には、元CIA工作員として非難されることの最も屈辱的なことは、当機関で働いている人に悪意は無いが、CIAには暗惨たる成功率しかなく、ブッシュ後のFEMAで働いているとして非難されているようなものであるということである。これが私の誇りを傷つけるのだ。「インテリジェンス・コミュニテイ(情報業界)」にいる大抵の人々は、事実上Drug Enforcement Agency (DEA)麻薬取締局が全ての情報機関のうちで最上の実用可能な情報を持っていると主張するであろう。いずれにせよ、読者が真剣な日本研究家であれば、Legacy of Ashes「灰の遺産」はこの章だけの理由で手元に置いておく価値があるのだ。(これは元々は2010年11月14日に投稿された記事の改訂版である。)

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