« 2015年5月 | トップページ | 2016年4月 »

2015年8月

2015年8月31日 (月)

学問の自由会議 6/6

学問の自由会議 6/6

以下は、https://www.youtube.com/watch?v=PCUWCYImC_Iの日本語字幕です。

51:13
600万人という数字は神学的、神話的な起源から来ており、歴史的精確さがあるとは考えられないのです。

このことは間違いなく、あなたも知ることになると思います。

これは1890年頃からずっと、第二次世界大戦の終わるまでに数百回も喧伝されているのです。

ここで、このリンクで閲覧が出来るRobert Faurisson(ロバール・フォリソン)の研究「Against Hollywoodism, Revisionism」(「ハリウッド主義に反する、修正主義」)を検討してみると、何が起きていたのかについて合理的な説明を見い出すことになるでしょう。

これらは強制労働収容所であり、絶滅収容所ではなかったと考えられるのです。

絶滅収容所とは、連合国がドイツの都市への爆撃による自分たちの戦争犯罪への共謀を隠すために誇張したものです。

現時点ではあなたも反対するでしょう。

しかし要点は、そこで何が実際に起きたのかを突き止めるには検証が必要とされるということです。

学術研究者に制限があってはいけないのです。

このような方向を考えて下さい、Cary。

もしホロコーストが、一般にホロコーストによるとされる全ての局面において事実であれば、検証がそのことを具体的に実証するのです。

そしてそうでなければ、世界には知る権利があるのです。

AAUP(米国大学教授協会)と関係する人物が、信頼できる検証に基づいてホロコーストの話に対して異議を唱えようとする教官の教官としての在職権に反対する姿勢を表明するのか、私には理解出来ません。

あなたの姿勢は嘆かわしいと、私は受け止めます。

私はあなたの退出であれば理解します。

なぜならあなたは、擁護の余地のない事象を擁護していることが明らかになることを望んでないからです。」

52:33
Thomas Dalton(トマス・ダルトン)の著書では、その出版時に、ホロコーストについては47,000冊ほどの本があり、圧倒的大多数はもちろん、公式説明を支持していると述べています。

52:49
それから今日では、50ものホロコーストについての博物館が世界中に分散しており、公式説明を補強しています。

これはまさしく、ヴォルテールが「生者が死者を利用する嘘の塊」と述べた通りだと考えられます。

しかしなぜ、検証のために明らかにされないのでしょう。

なぜ学術的探求、研究、教育に制限がなければならないのでしょう。

53:17
この件についてさらに追求したい人のために、私は少なくとも以下の3冊の本を推奨します。

「DID SIX MILLION REALLY DIE?」(「本当に600万人が死亡したのだろうか?」)

これはきわめて包括的で、きわめて詳細にわたり、全ての収容所について公式のホロコーストの説明に関係した全ての数字を率直に明らかにしています。

それらはつじつまが合わないのです。

それらは赤十字国際委員会の記録とかなり一致しており、600万人というホロコーストの説明からかなり離れているのです。

53:50
さらに、これ(「Operation Paperclip」(「オペレーション・ペーパークリップ」))はオペレーション・ペーパークリップに関する興味深い新しい本です。

この作戦を通じて、数百人のあるいは数千人のナチの科学者、情報将校がアメリカに連れて来られたのです。

Annie Jacobsenは、文書を大いに活用して彼らのこれまでのドイツでの役割について明らかにしています。

自身の独立した検証に基づいて、あれらは強制労働収容所であり、絶滅収容所ではなかったと結論付けています。

54:17
さらに加えて、Thomas Dalton(トマス・ダルトン)が書いたこの本「Debating the Holocaust;A New Look At Both Sides」(「ホロコーストを議論する;両側を新しく見る」)があります。

これはKevin Barretが最初に私に薦めた本で、公式説明について極めて深刻な疑問を提起するものです。

54:31
今日ここにお集まり頂いた皆さんと、このような会議を開催するべきであるとのStephen Francisの優れた着想には、どれほど感謝しても感謝し尽くせません。

なぜならこの会議は、アメリカにおいてここ50年間に開催された中で最も重要な小さな会議ではないかと、私には思えるからです。

感謝します。

調整、ビデオ制作 Stephen Francis

学問の自由会議 5/6

学問の自由会議 5/6

以下は、https://www.youtube.com/watch?v=PCUWCYImC_Iの日本語字幕です。

40:56
なぜこのように600万人に固定されているのでしょう。

これはレビ記の一節に明らかに神学的な起源があることが判明しています。

そこには600万人を失って約束の地に戻るということが示されているのです。

これは、パレスチナの地を古代の自分たちの先祖からの故郷として取り戻すことが可能になる前に、600万人のユダヤ人が消え去ることになるとの預言に関するユダヤ教の経典の一節なのです。

ですから600万人についての話は全て、歴史ではなく、神学に根ざしていると考えられるのです。

41:27
さらに、実証的なデータを見てみましょう。

赤十字国際委員会が収容所を訪れ、様々な収容所で死亡した人数の記録をとっていました。

41:37
これがその概要です。

これは一連の、12箇所以上あった全ての収容所での死者総数が、271,301人であったと示しています。

これは600万人とはかなり違う数です。

271,000人を300,000人に、さらには600,000人に増やしたとしても、死亡したと主張されている人数の10%なのです。

42:01
ホロコースト

(3)ニュールンベルグ裁判

42:04
ニュールンベルグ裁判とは何だったのでしょう。

興味深いことですが、連合国には問題がありました。

なぜなら彼らは爆撃によってドイツの都市を組織的に破壊していたからです。

1945年のドイツは死の苦しみにされられていたのです。

鉄と炎が降り注ぐ中を生き延びた住民たちは瓦礫や地表の穴の中で生きており、寒さと飢えにさらされていたのです。

多くの場合、食料や医薬品もなかったのです。

病院や学校も破壊されていました。

実質的に列車や輸送車両はもう走っていませんでした。

東から逃げてきた避難民は、侵略してきた赤軍による無数の殺戮や強姦に恐れおののいていました。

そこで起きたと考えられるのが、1945年の労働収容所、強制収容所においては植えやチフス、腸チフス、セキリといった病が蔓延しており、医薬品、さらにチクロンBのような殺菌剤が全く欠如していた、という事態なのです。

42:58
この壊滅状態を見て下さい。

これは、連合国によるドイツの人々に対する一種の集団的罰だったのです。

非常に重要なことですが、これは隠蔽されねばならなかったのです。

実際、ニュールンベルグ裁判自体が集団的罰は戦争犯罪であったと結論づけていました。

それをドイツへの大量の爆撃の間、連合国は大規模に実施していたのです。

43:22
第二次世界大戦で落とされた全ての爆弾は、一発の原子爆弾に匹敵するとの提唱がなされています。

(訳者注:天文学者カール・セーガンの著書「コスモス」の中で提唱されています。)

ですが、答えは絶対にそうではない、ということが判明しています。

第二次世界大戦で落とされた爆弾の総量は、2,700万トンでした。

私たちはドイツだけで約1,500万トンの爆弾を落としたのです。

落とされた原子爆弾の破壊力はキロトンの範囲でした。

つまり、原子爆弾は落とされた爆弾の総量には全く及ばす、1,000分の1以下だったのです。

言い換えれば、連合国によってドイツに落とされた爆弾の破壊力は1,000発の原子爆弾に匹敵していたのです。

44:00
なぜ議論が封印されているのか?

(1)政治、報道、ハリウッドに対するユダヤ人の支配

(2)アメリカのイスラエルへの財政的支援と国連における拒否権の発動による支援

(3)ホロコーストが起きることを許したことに対する西側の罪の意識の操作

なぜ、議論が封印されているのでしょう。

アメリカには、大手新聞やテレビ番組が報じることのないとてつもない現実が存在してます。

それは、政治、報道、ハリウッドをユダヤ人が支配していることです。

Thomas Dalton(トマス・ドルトン)はその著書「Debating the Holocaust」(「ホロコーストを議論する」)の中で、例として、7つの最大規模の新聞のうち6つがシオニストによって支配されていることを報じています。

また、アメリカのイスラエルへの財政的支援と国連における拒否権の発動による支援があります。

アメリカは、他の国々へ支援の総計以上の支援をイスラエルに提供しているのです。

イスラエルには未申告の大量殺戮兵器の備蓄があり、これは我が国の外交方針ガイドラインの侵害であるというのにです。

最も重要であると私に思えることは、ホロコーストが起きることを許したことに対する西側の罪の意識の操作することで、イスラエルに全ての行動を自由にさせることが可能になっているということです。

そうした行動には、ドイツ人によってユダヤ人が扱われたと彼らが主張するのとほとんど同じやり方で、パレスチナ人を扱うことまでも含まれています。

45:06
このような事象についての要約において、Thomas Dalton(トマス・ドルトン)は以下のような疑問を述べています。

1.ヒトラーがユダヤ人絶滅を命じた記録は存在しない。

2.主要な証人は、彼らの話の重要な点を偽ったり、大きく誇張していた。             

3.重要な収容所は、ほとんど消失している。

4.大規模墓地のために大地を掘った跡を示す証拠はほとんど見つかっていない。

5.数百万人の大規模な犠牲者の遺留品は、骨も灰も、ほとんど見つかっていない。

6.チクロンBを用いた大量ガス殺は、換気装置や天井穴がなければ、ほとんど不可能であった。

そして私たちが考慮すべき事象は、さらにあるのです。

45:44
911とホロコースト

(a)ツインタワーは核攻撃を受けた

(b)アメリカの核は厳しく管理されている

(c)イスラエルの核が使用されたと考えられる

(d)イスラエルの共謀を明らかにする者に対する反ユダヤ主義との呼称

911とホロコーストについて考えてみましょう。

ツインタワーの破壊には通常のエネルギーをはるかにしのぐ大規模なエネルギー源が必要であったという事実により、ツインタワーは核攻撃を受けたと考えられるのです。

私がVeterans Todayに発表している、Ed Ward博士、Jeff Prager、Don Foxらと行った一連の検証もこのことを示しているように、ツインタワーは多くの超小型核を組み合わせて解体されたと考えられるのです。

それらはおそらく中性子爆弾か、あるいはさらに陽電子爆弾であった可能性もあります。

アメリカの核は厳しく管理されています。

しかしイスラエルの核が、もちろん同国はその所有を否定していますが、それが使用されたと考えられるのです。

そのため、それらの記録をとらせることでこのことを明らかにしたくはないために、彼らは非拡散条約の批准を拒み、監査官を立ち入れさせたくないのです。

そして彼らはイスラエルの911への共謀を明らかにすると、反ユダヤ主義であると主張するのです。

実際、イスラエルの共謀については多くの証拠が存在しています。

46:39
さらに調べてみたいと思う人は、「Israel did 911, Alll the proof in the world(イスラエルが911を実行した、世界中にある証拠)」を調べてみて下さい。

46:45
これは、ハドソン川向こうのリバティ公園で目撃された、ツインタワーの破壊を写真撮影し、祝福していた、踊るイスラエル人です。

彼らは逮捕され、41日間拘束されましたが、司法長官John Ashcroft(ジョン・アシュリフト)の補佐官が彼らの釈放を指示したのです。

彼らはイスラエルに戻り、そのうちの3人がこのイスラエルのテレビショーに出演し、自分たちはツインタワーの破壊のドキュメンタリーを撮影していたのだと説明しました。

もう一つのイスラエル人グループは、ジョージ・ワシントン橋へと向かう途中で、爆発物を搭載していたトラックに乗っていた所を逮捕されました。

リストはさらに、さらに、さらに続きます。

47:19
○Jim Fetzer、「911 and the Neo-Con Agenda」(「911とネオコンアジェンダ」)
(2008)

○Jim Fetzer、「Is 911 research 'anti-Semitic'?」(「911について検証することは「反ユダヤ主義」なのか?」)
(2009)

○Jim FetzerとPreston James、「Peeling the 911 Onion:Layers of Plots Within Plots」(「911という玉ねぎの皮をむく:企みの中にある幾層もの企み」)
(2011)

○Jim Fetzer、「Anti-anti-Semitism and the search for historical truth」(「反・反ユダヤ主義と歴史的真実の探求」)
(2013)

47:21
そこで私はこうした証拠の一部について、2008年4月15日のRon Paul Freedom Rally(ロンポールの自由集会)の際に私が初めて行った政治的スピーチ「911 and the Neo-Con Agenda」(「911とネオコン・アジェンダ」)の中で、書きました。

これはネット上で閲覧することが出来ます。

そしてその後、私たちが反ユダヤ主義であると非難されたチャンドラー会議の後、私は「Is 911 research 'anti-Semitic'?」(「911について検証することは「反ユダヤ主義」なのか?」)という論説を発表しました。

その論説で反ユダヤ主義というのは民族的起源や宗教的信仰を基準として人々の価値や考えを軽んずることであり、一方、私たちが行っているのはそのようなことではなく、911に関与していた者の共謀に関する客観的な証拠を報告しているのだという反ユダヤ主義との違いを私は説明しました。

つまり私たちが行っていることは反シオニストと見なされても、反ユダヤ主義であるとの解釈は不可能なのだと。

その後、私はPreston jamesと共にPeeling the 911 Onion:Layers of Plots Within Plots」(「911という玉ねぎの皮をむく:企みの中にある幾層もの企み」)を発表しました。

そしてさらに新しい論説「Anti-anti-Semitism and the search for historical truth」(「反・反ユダヤ主義と歴史的真実の探求」)を発表しました。

48:17
すると彼らは、最初の二つの論説を中傷目的で解釈し、私を攻撃する形で、私のことを「反ユダヤ主義の911陰謀論者」と見なしたのです。

私はKevin Barret、Gordon Duff、Alan Sabrosky(いずれもユダヤ人言論人)と仲が良いのにです。

ここでは彼らは、「Is 911 research 'anti-Semitic'?」(「911について検証することは「反ユダヤ主義」なのか?」)という私の論説について論じています。

その論説で私は、いかに「反ユダヤ主義」がイスラエルの関与の可能性についての考察がなされた際の911の検証を攻撃するための政治的警棒として利用されているのか、説明していました。

これは全く拡大解釈などではありません。

おそらくイスラエルはいかなる政治的主体よりも911によって利益を得たのですから。

さらに、彼らは私の前の論説、「911 and the Neo-Con Agenda」(「911とネオコンアジェンダ」)にまで言及していたのです。

そして
「不法な入植地拡大に、パレスチナ人の飢餓や殺害に、ブルドーザーによる平和活動家の虐殺に、異議を唱えることは反ユダヤ主義ではない。

こうしたひどい人権侵害がありながら、私たちはイスラエル政府に感謝しているのだ。

私たちには、アメリカ政府の意思決定、政策形成の立場から二重国籍を排除する法律が必要である。

彼らが誰に忠誠を誓っていると誰に分かるのだろう。」

という私の文章まで引用して、指摘していたのです。

49:28
またウィキペディアには私についての項目があり、私がアメリカ政府内のユダヤ人に対して強迫観念を示していたと書いています。

私は「ユダヤ人」ということばを使ったことは全くありません。

私はユダヤ人である(アメリカとイスラエルの)二重国籍者について論じているのです。

なぜならユダヤ人とは国籍を示すものではなく、一民族であることだからです。

そして国防総省には、アメリカとイスラエルの共同メンバーがかなりな広範囲でいるのです。

49:55
Cary Nelson, CHRONICLE (2010年11月14日)高等教育年代誌

私たちはCary Nelsonについて、Steven Franciousから多くのことを学びました。

そこで私は、Cary Nelsonのホロコーストの疑問への対応、大学教官がその件を調べることは許されるべきか否かについての彼の対応を指摘したいと思います。

50:08
Cary Nelsonについての鍵となる文章がこれです。

彼は重要人物です。

なぜなら彼は、全大学教官の学問の自由の権利を守ることに専念する組織であるAAUP(米国大学教授協会)の元副理事長、理事長であるからです。

彼は書いています。

「教官が教室に立ち、ナチスは多くの同性愛者、ジプシー、障害者、政治的反対者と共に600万人のユダヤ人を殺害してはいない、と公言する」など、

「知らないうちにホロコースト否定論者を雇い、ホロコーストと関連する学問の教授権を認めていたとは思いもよらなかった。」

「大学が制度化された無知や憎悪から利益を得ることはない。」と。

50:46
私はこの文章を発見して、とても取り乱しました。

そこでCaryに書簡を書き、この会議に参加し、代替となる考えを示すよう招待したのです。

「あなたの何が間違っているのでしょう。

私たちには第二次世界大戦の歴史が与えられています。

それは多くの点でかなり誇張されていると考えられるのです。

例えば、赤十字国際委員会の記録は270,000人のジプシー、ユダヤ人、知的、身体的障害者が一連の収容所で死亡したとの推測を支持しています。

学問の自由会議 4/6

学問の自由会議 4/6

以下は、https://www.youtube.com/watch?v=PCUWCYImC_Iの日本語字幕です。

37:16
ホロコースト

(1)「公式説明」

(2)600万とは何を意味するのか?

(3)ニュールンベルグ裁判

37:17
では次に、ホロコーストについてはどうなのでしょうか。

疑いなくこの件は、最大級の議論をかもす事象です。

私たちは、600万人ほどのユダヤ人が命を落としたと、ヒトラーはユダヤ人絶滅の意図的な方針をもっており、それがアウシュビッツの収容所につながったと、アウシュビッツはまぎれもなく絶滅収容所であったと主張する公式説明を検討可能なのです。

そしてもちろん、私たちにはニュールンベルグ裁判の結果があります。

ではどれほど、これらは批判的な調査に耐えうるのでしょうか。

確かに私たちはこの話を知っています。

37:46
これが総統です。

ドイツの都市を遊説しています。

彼は当時、熱狂的な人気がありました。

37:54
これはアウシュビッツの入口です。

囚人を施設へと連れてくる鉄道車両があったことを否定する人はいません。

38:02
これはこうした囚人が身に付けるよう定められていた識別章の一部です。

38:07
これは、大規模に蓄積された遺体です。

間違いなく、何か恐ろしいことが進展しているように見えます。

38:14
そしてここには、ガス室があったと言われている位置まで示されています。

現在はとても朽ち果てた状態にあります。

これらは全て、公式説明が正しいことを示す証拠であるとの主張が可能だったのです。

38:29
これはRobert Faurissonによる、一種の宗教と化しているホロコーストについての所見です。

三つの主要な構成要素として、絶滅、ガス室、600万人の虐殺があるというのです。

この宗教の信仰の契約、解釈によれば、ヒトラーはヨーロッパの全ユダヤ人を組織的にかり集める計画をし、虐殺を命じたというのです。

そうして、彼は先例のない犯罪、後にジェノサイド(集団殺戮)と呼ばれる、特殊な犯罪を犯したというのです。

それからこの特殊な犯罪を犯す目的で、特殊な兵器を、強力な殺虫剤で活性成分が青酸ガスであるチクロンBで稼動する、大量殺戮兵器としてのガス室の開発をさせたというのです。

この非道な犯罪の最終的な結果が、600万人のヨーロッパのユダヤ人の死だったというのです。

39:17
ホロコースト

・600万とは何を意味するのか?

(2)国際赤十字の記録

(3)ニュールンベルグ裁判

39:18
では600万人について考えてみましょう。

39:21
私は、ニュールンベルグ裁判での公表の前に、ユダヤ人犠牲者を600万人とする資料が236以上も存在していることを知って驚きました。

一番最初の出現は1890年頃です。

サンプルを検討してみましょう。

39:35
これは1900年のものです。

アメリカのシオニストリーダーのラビ、Stephen.S.Wiseによるものです。

シオニズムに対する公衆の共感を育成し、パレスチナをユダヤ人に与えるための、ホロコーストでっち上げの背後にあるアジェンダを明らかにしています。

600万人の生者が、血を流し、苦しんでいるという、シオニズムに有利になる主張が存在するのです。

39:57
これは別のサンプルです。

ブリタニカ百科事典の1902年の第10版です。

同書の「反ユダヤ主義」という項目にもやはり、600万人のユダヤ人が組織的に貶められたことへの言及があるのです。

40:12
1905年にはユダヤ人祭司が、ユダヤ人に指導された共産主義者のロシアでの暴動が成功すれば、600万人のユダヤ人が再び、傷つけられ、死がもたらさせることになると断言しています。

40:24
1906年にはユダヤ人時事評論家が、ドイツで聴衆に対して演説し、ロシア政府はユダヤ人問題に対する解決策を持っており、これは600万人の残忍な絶滅を伴うものであると主張しています。

40:36
これは別のサンプルです。

アメリカに懇願し、ロシアの600万人のユダヤ人を救おう。

これは1921年7月21日のものです。

ロシアの600万人のユダヤ人が虐殺により絶滅の危機に直面している。

40:47
これは別のサンプルです。

これは1938年のものです。

「600万人の犠牲者が確認された。

迫害されているユダヤ人の増大が見られる。」と記されています。

学問の自由会議 3/6

学問の自由会議 3/6

以下は、https://www.youtube.com/watch?v=PCUWCYImC_Iの日本語字幕です。

22:17
      911

 

(1)ツインタワーは倒壊した
   のではなかった

 

(2)航空機に関する問題点

では次に911についてはどうなのでしょうか。

公式説明によれば、ジェット燃料の激しい炎が鉄筋を弱め、または溶かし、ビルの構成部品が壊れ、滝のように崩れ落ち始めた結果、ツインタワーは倒壊したというのです。

そして航空機には問題があります。

一連の航空機は実際にはビルを壊す前に、説明されたようには、ハイジャックされていなかったのです。

ですから明らかに、ヴォルテールは再び正しいことになるのです。

22:48
これは事件前のツインタワーです。

これらは大きな構造物で、極めて優れた設計でした。

チューブ内にチューブが入っているデザインで、47本の中心柱がありました。

22:59
これは別の画像です。

236本の鉄筋外側支柱に囲まれて、広々としたオフィス空間の生み出していたビルの事件前と後の画像です。

911の攻撃に関して興味深い点は、破壊されたのは全てWTCの名称を持つビルだけであり、周辺のビルは影響を受けていなかったことです。

23:22
退職した高校の物理、数学、化学の教員、Charles Boldwynが観察しているように、このビルの設計様式により倒壊するなどということは不可能となっていたのです。

鉄筋の厚さは基部が6インチで、それが上に向かうにつれ、5インチ、4インチ、3インチ、2インチとなり、頂上部では4分の1インチとなっていたのです。

これは具体的に言えば、上方の1.4%の質量の鉄筋が下方の89.6%の質量の鉄筋を押し崩すことが出来たため、ノースタワー頂上部の14の階が崩れ落ち、ビル全体の破壊をもたらすことが可能となったということです。

政府のために困難な仕事をしたNIST(アメリカ国立標準技術研究所)が主張するのはこのようなことです。

それだけでなく、ジェット燃料についての主張はひどく誇張されていました。

24:12
911の後にも先にも、火災によって倒壊した鉄筋高層ビルは存在しないのです。

Underwriter Laboratory(アメリカ保険業者安全試験所)は、ビルに使用されていた鉄筋は華氏2,000に3、4時間さらされても有害な影響を被ることはないことを認証していました。

NIST(アメリカ国立標準技術研究所)自身も、ビルから回収された236本の鉄筋サンプルを検証し、233本は華氏500度以上にさらされてはおらず、残りの3本も華氏1,200度以上にさらされてはいなかったことを発見していました。

サウスタワーの火災は1時間しか続かず、ノースタワーでは1時間半しか続かなかったのです。

これは、いずれのタワービルも倒壊をもたらすほど長くも、熱くも燃えてはいなかったことを意味しています。

24:48
大部分のアメリカ人は、両タワービルの地階での大規模な爆発について全く知りません。

これはビルが、実際には起きていなかったいわゆる倒壊にさらされるかなり前に起きていたのです。

地階でのこうした爆発は、例えば、両ビルのロビーの窓を吹き飛ばしました。

25:10
そしておそらく最も注目すべきことですが、それらの地震としての影響はかなり小さかったのですが、リクタースケール上で0.7や0.9として現れていました。

これは、リクタースケール上での2.1や2.3と示された、ノースタワーやサウスタワーに関連したより大規模な地震測定器の記録とは対照的なものです。

また実際にビルが倒壊していたのであれば、それらのビルは500,000トンも重量があったために、リクタースケール上の値は、2.1や2.3よりも圧倒的にもっと大きな値となっていたはずです。

25:40
ですが事実は、William Rodriguezや多くの他の管理人が証言している地階での爆発は、実際に起きていたということです。

航空機の衝突と言われている事象の14秒、17秒前にです。

ですから、どのようにしてテロリストと言われている人間にこうした爆発を起こす準備をすることが出来たのか、理解するのは極めて困難なのです。

地階で爆発させるだけでなく、航空機が衝突する前に爆発させなければならなかったのですから。

26:03
ビルは実際、上から下の方向に吹き飛ばされていました。

これはノースタワーの連続画像です。

26:09
またこの画像を目にして、正常な理性を持つ人で、これがビルの倒壊の結果を示していると考える人などいるのでしょうか。

26:21
それからこれを見て下さい。

ノースタワーがあらゆる方向に吹き飛ばされ、数百万立法ヤードの極めて微細な粉塵に変わっていくなかで、中心支柱の一部がわずかの間立ち続けていたのですが、これ自体も極めて微細な粉塵に変わっていたのです。

明らかに、ここには倒壊はありません。

26:45
そして当然、こうした粉塵はおびただしい量になり、マンハッタン中を覆い、最終的には風に吹かれて海へと運ばれて行くだけでした。

26:56
ここでは第7ビルの破壊を観察することが出来ます。

ところでこのビルは煙の中にあります。

この第7ビルは依然として立っています。

しかしノースタワーが立っているはずの所は、実質的に何もないのです。

実際、第一対応者であった米国聖教会マルコ教会のFrank Morales神父は、私のラジオショーでの私との2回のインタヴューで、ビルは地表の高さよりも深く破壊されていたと説明しました。

27:25
これが、パキスタンでのビル倒壊の実際の結果です。

ビルの残骸の重なった層があります。

実際には、ビルの制御解体がもたらす典型的な結果は、元々のビルの高さの12%と等しい残骸の積み重ねであることを私たちは知っています。

27:40
ここでは午後5時20分に崩れる第7ビルが見えます。

以前から私が注意を引かれていたのは、2機の航空機でどうやって3つのビルを破壊するのかということです。

もちろん第7ビルは航空機の衝突を受けておらず、古典的な制御解体の特徴を全て示していたのです。

27:59
そして解体が終わると、47階建てであった元々のビルのおよそ12%に等しいおよそ5階半分の残骸の堆積が実際に残されました。

28:07
これは私のお気に入りの写真の一つです。

背景の左の奥にあるのが、第6ビルです。

その真ん中には大きくえぐられた穴があいています。

ここに第7ビルの残余物があるのです。

そしてこれがースタワーが建っていた所なのです。

外部鉄筋支柱のわずかな部分が残されているだけで、ビルは基本的に消え去っています。

完全に破壊されているのです。

110階のビルの12%の残骸の堆積の残余物として、およそ15階分が残っていなければなりません。

28:38
彼らが一連のビルを非常に高度な技術で破壊しなければならなかった一つの理由は、バスタブとして知られる部分を破壊しないようにするためだったのでしょう。

バスタブとは、ハドソン川の水がマンハッタン南端部の地下に氾濫することを防ぐための防壁のようなものでした。

28:53
ここでは、改築中のバスタブを見ることが出来ます。

バスタブは基本的に被害を受けていませんでした。

これはノースタワーの内部です。

壁を見ることが出来ます。

もし水が氾濫していたのであれば、もしバスタブがひどく破壊されていたのであれば、地下鉄やpath train(パス・トレイン)、マンハッタン南端部といった世界で最も価値のある不動産は水びたしになっていたことでしょう。

29:17
驚くべきことに、BBCのレポーターが4時57分にソロモンブラザーズビルと呼ばれる第7ビルが倒壊したとの早すぎる発表をしていました。

しかしそうしたことは5時20分まで実際には起きてはいませんでした。

ですから彼女は23分前にそのことを知っていたのです。

彼女は台本を持っていたのです。

再び私たちはヴォルテールが正しかったと考えられることを見てきたのだと、私は思います。

29:40
     911:

 

(3)航空機に関する問題点

29:41
加えて、航空機にもいくつかの問題があります。

このように私たちは、航空機がどこを離陸したのか、最終的にどこで回収されたのかについての公式説明を知っています。

29:51
しかし、信じられるでしょうか。

オーストラリア出身のブルースミュージシャンであるGerald Holmgranが最初に述べたように、運輸統計局の当初の記録には、その日のアメリカン航空11便の飛行予定は示されてなかったのです。

加えて同じ運輸統統計局の記録は、その日のアメリカン航空77便のワシントンからの離陸予定を示していなかったのです。

30:17
さらに加えて、私はFAA(連邦航空局)の登録記録を入手し、サウスタワーに衝突したと言われるユナイテッド航空175便として使用された航空機は、2005年9月28日まで登録抹消されておらず、公式には業務から外されていなかったことを発見したのです。

シャンクスビルで墜落したと言われるユナイテッド航空93便と結び付く航空機についても同様です。

同機は2005年9月28日まで、公式には業務から外されていなかったのです。

30:48
こうして興味深い疑問が生じます。

9月11日に飛行などしていなかった航空機が、どうして衝突出来たのでしょう。

また9月11日に衝突した航空機が、どうして4年後もまだ飛行していたのでしょう。

30:59
これは、フランス人映画撮影班が奇跡的にも撮影した映像から編集した数枚の画像です。

彼らは、カメラマンがカメラを自由に難なく弧を描くように動かしてアメリカン航空11便を捕らえる上で、偶然ちょうど良い位置に巡り合わせていました。

同便は、ご記憶されているでしょう、その日ノースタワーに衝突した時、飛行する予定はありませんでした。

またスコットランド出身のLeslie (Raphael)という名の911研究者は、カメラマンがそれを撮影するちょうど良い位置にいるためには、100個以上の生じ難い状況を満たさねばならないことを発見しているのです。

もちろん、音が航空機よりも遅い速度で進んでいることは含めずにです。

ここでは航空機が右側に来ていますが、しかし、右側を見ずにカメラを左側に回しているのです。

31:45
これは、ノースタワーに接近する際に767型機がどのように見えていたのかを示しています。

31:49
しかしながらこれが、私たちが実際に見た、第一機の閃光のコマです。

31:55
そして時間をかけて調べると、これはMarcus Icke によってなされたのですが、このように見えるのです。

これは実際の航空機には似ていません。

これはむしろ、「Flying Pig(空飛ぶ豚)」のように見えると時折評されています。

32:07
事実、最初にビルと衝突するとZ字型の形状を生じさせるのですが、粉塵と残骸が片付くと、V字型の形状へと変わっているのです。

全く異常な形になっています。

それだけでなく、Naudet兄弟が撮影した衝突箇所のコマから後に画像が取り出されたのですが、そこにはビルの外壁上でほとんどマンガ的な形状が右上に伸びていくのが示されていたのです。

全てを考慮すると、これはかなり異常な伸展です。

32:37
WTCを攻撃した航空機の報じられた速度の分析

32:38
まぎれもなく、911の真相を追求するパイロットたちは全く優れた仕事をしています。

彼らは、特にMichael Hezarkhani やその他が撮影した様々なビデオに映っているサウスタワーに接近する175便が、航空力学的にその高度で767型機に可能な速度以上の速度で飛行していることを発見したのです。

同機は、およそ時速560マイルで飛行しているのです。

この速度は、大気の密度が3分の1しかない高度35,000フィートでの巡航速度なのです。

しかし、この事件が起きた700フィート、1,000フィートでは、大気の密度が濃いため、タービンが大気を取り込むことが出来ず、ブレーキとして機能し始めるのです。

33:14
これは、その高度では767型機には出すことが不可能な速度でサウスタワーに接近する175便なのです。

33:24
ここでは、航空機がビルの中に半分入り、半分出ていることに気が付きます。

これは注目すべきコマです。

なぜなら航空機に被害がないからです。

またビルにも、半分入り、半分出ている航空機によってもたらされる被害はないのです。

私たちはここで物理学的な不可能性を目撃していると、あえて私は言いたいと思います。

33:40
そしてこれはクローズアップです。

私たちがフィルムをひとコマずつコマ送りにすると、航空機がこの巨大な500,000トンのビルに衝突した時に、いかなる変形も、減速も示していないことが分かったのですが、このことをさらに補強するクローズアップです。

航空機がビル内でその全長分を通過するコマの数を検証すると、空中で全長分を通過するコマの数と同じであることが分かるのです。

これは不合理なことです。

この巨大なビルが航空機の軌道に対して空中よりも強い抵抗を与えていないのですから。

34:14
そして間違いなく、航空機は8つの異なる階のフロアと交差しているのです。

それぞれの階には鉄筋のトラスがあり、一方の端は中心柱に結合され、もう一方の端は外側の鉄筋支柱に結合されており、4インチから8インチのセメントで満たされていたのです。

確かに、そのコンクリートは通常よりも軽量仕様の、通常の約60%の密度のコンクリートでした。

しかし、民間旅客機が大量のコンクリートや鉄筋トラスに相当する208フィート幅の側面に直面すると、どうなるのか想像出来るでしょう。

航空機が数オンスの重量の小さな鳥にぶつかるとどうなるのか、私たちは知っています。

この事例では、大惨事になっていたに違いありません。

35:01
実際、窓は小さかったのです。

航空機は全てガラスの中に消えて行ったと主張したい人もいるでしょう。

しかしガラスは壁面の4分の1以下でした。

ですから、航空機の4分の1がガラスの中に消えて行ったと主張したいとしても、4分の3は外側に突き出ていたことになるのです。

35:16
そして間違いなく、航空機は衝突の際、爆発していなかったのです。

ビル内部に全て入っていくまで爆発せず、ビル内に入った後爆発したのです。

これが私たちはビデオで見てきたことです。

35:26
これは、Jack Whiteがまとめた、鉄筋の壁に溶け込んでいくジェット機についての説明図です。

これは空想に満ちた話です。

しかしこれを、政府は私たちに信じさせようとしているのです。

そして証拠を詳しく見ず、初歩的な物理学、特にニュートンの第三の法則を適用しないのであれば、だまされてしまうかも知れないのです。

36:45
ATC/レーダーによれば
ユナイテッド航空93便は墜落したと言われた後も依然として飛行していた

35:46
それから驚くなかれ、911の真相を追求するパイロットたちは航空機と地上との通信を検証し、ユナイテッド航空93便がシャンクスビルに墜落したと言われた後にも、依然として飛行を続け、イリノイ州アバーナ・シャンペーンの上空にいたことを立証出来ているのです。

そしてユナイテッド航空175便もまた、その日サウスタワーに衝突したと言われてからかなり時間が過ぎた後に、飛行を続け、ペンシルバニア州のハリスバーグ、ピッツバーグ上空にいたのです。

36:16
これでも911についての公式説明の再考を求めるには足りないのでしょうか。

私にはさらに何が必要なのか、想像出来ません。

36:24
大学の課程で911を扱いたいと望む人にとって有用であると思われる数冊の本には、以下の本が含まれます。

「9/11 Synthetic Terror: Made in USA 」(「911合成テロ:アメリカ製」)

同書においてWebster Tarpleyは、9月11日には46の異なった演習が実施されていたことについて論じています。

それらの演習は空軍によって手筈が整えられており、ハイジャック犯を追う追撃機が飛行出来ないようになっていました。

彼らが追撃を望んでいなかったからではなく、追撃機にそこに航空機が存在しないとの報告をさせたくなかったからです。

36:53
もう一冊は、David Ray Griffinによる「The 9/11 Commission Report: Omissions And Distortions 」(「911委員会報告書:省略と歪曲」)です。

同書は系統的に911についての公式説明を分解しており、911委員会報告書とDavid Ray Griffinの批評が対になった、大学の課程向きの素晴らしい作りになっています。

37:09
それから、私が編集した、科学的研究を集めた「9/11 Conspiracy:Scamming of America」(「911陰謀:アメリカの詐欺」)があります。

学問の自由会議 2/6

学問の自由会議 2/6

以下は、https://www.youtube.com/watch?v=PCUWCYImC_Iの日本語字幕です。

10:08
しかし、この写真は迅速に発表されており、改ざんは不可能であったとの主張を試みるために、私たちはこのような新聞を見つけました。

これは1963年11月22日付けのSheboygan Press紙です。

これは少なくとも当初は、この主張を裏付けるように思えました。

10:29
ですが、Ralph Cinqueが極めて賢明にミシガン州のBeacon Hills News- Palladium紙の二つの異なる版を発見したのです。

左側は、正真正銘の新聞で、実際にローカルニュースも含まれています。

右側は、納税者のお金を使ってFBIによって捏造された版です。

Oswaldは玄関口にはいなかったとのペテンを仕掛けるためでした。

これはおそらく、JFK暗殺に関する全ての検証中、最大の秘密だったでしょう。

疑いなく、もし私たちの検証が裏つけているようにLeeは玄関口にいたのであれば、彼が6階にいることなど不可能であり、そのため、狙撃者ではありえず、ましてや孤独な精神を病んだ銃の名手などではありえなかったことになるのです。

11:22
     JFK

 

(2)複数の狙撃と複数の狙撃者

11:23
加えて私たちはJFK自身について、1992年の暮れに私が組織した集団による医学的証拠の徹底的な検証に基づいて調べました。

この集団には、弾道による傷の専門家でもある世界的な人間の脳の権威(Robert B. Livingston)、放射線腫瘍学の有資格医師でもある物理学博士(David W. Mantik)、JFKが担ぎ込まれた外傷治療室1でJFKの手当に立ち会った外科医で、その二日後には暗殺者と言われるLee Oswaldの治療にあたった外科医(Charles Crenshaw)、電磁気学と光や動く物体の画像の特性の解析を専門とする別の物理学博士(John P. Costella)、伝説的な写真やフィルムの分析家(Jack White)が含まれていました。

私たちはJFKは実際には4回にわたり撃たれていたことを立証したのです。

まずJFKは、郡記録ビルの屋上から発射された弾丸によって背中の脊柱の右側の襟から5.5インチのところを撃たれました。

次に、Triple Underpass(三線高架下道路)の南端から発射された弾丸によって喉を撃たれました。

これがフロントガラスを貫通した弾丸です。

そして運転手William Greerがリムジンを左側に寄せて停止させ、確実に殺害されるようにした後、後頭部を撃たれました。

これは丸3として確認されるDal-Texビルの窓から発射された三発のうちの一発によるものでした。

それから最後に、前かがみにうなだれ、Jackie夫人がその体を支えながら、大統領の顔を覗き込んでいた時に、右のこめかみを撃たれたのです。

これは壊れやすい破裂性の弾丸によるもので、衝撃波をもたらしたのです。

この力で後頭部は吹き飛ばされたのです。

その時の衝撃のせいで、護送バイクに乗っていた警察官Bobby Hargisははじめ自分自身が撃たれたと思ったのです。

13:06
どうして私たちにこのようなことが分かるのでしょう。

私たちにはフロントガラスの穴があるだけでなく、このような図表もあるのです。

上の図表は、Malcolm Perry医師によって控えめな切開措置がとられる前とその後の喉の傷を描いたもので、小さな、はっきりとした、きれいな傷を示しています。

左下には、喉の傷が大きく拡げられた、公式の検死写真と言われる写真を見ることが出来ます。

そしてその右には、スカル・フラップ(外側に開いた頭蓋骨片)を確認出来る写真があります。

…聞き取り不可能…

耳の上の骨の破片を見て下さい。

そしてまたこの写真では後頭部は吹き飛んでいないことも観察出来ます。

13:45
これはパークランド病院にいた外科医によって描かれた二つの図表です。

上の図表はRobert McClellandによるもので、下の二つはCharles Crenshawによるものです。

この三つを見ると、傷の位置とおおよその大きさが分かります。

傷の大きさについて、Crenshaw医師はこぶしを握った時のこぶしの大きさであると私に説明しました。

Clint Hill(シークレット・サービス)もまたそのように述べたことがあります。

彼のことは、ザプルダーフィルムの現存するヴァージョン、これはリムジンの停止や頭部への二発の命中が削除された改訂版なのですが、そのフィルムの中で見た方もいるでしょう。

彼は、トランクの上に飛び乗り、Jackie夫人を押し戻し、彼らの体の上に覆いかぶさり、JFKの後頭部にあいたこぶし大の穴を覗き込んだと述べていたのです。

14:33
約40人の目撃者がこの傷については証言していましたが、彼らはこの左上のエックス線写真を根拠にその証言を却下しました。

なぜならこのエックス線写真はそのような傷を示していないからです。

医師であり(物理学)博士であるDavid Manticは放射線腫瘍学の専門家です。

放射線腫瘍学にはもちろん、エックス線写真の解析も含まれています。

彼は明るい部分と暗い部分のコントラストが強すぎ、極めて疑わしいと考えました。

そこでOptical Densitometry(光学的密度測定)として知られる物理学の分かりやすい技術を適用すると、博士がパッチ(patch=ツギ)のPをとってP領域と呼ぶ領域が、人間の骨とは考えられないほど密度の濃い物体を用いて作り上げられていたことを発見出来たのです。

この領域が覆われていたことにより、そこを隠す強い光が示されていたのです。

そして私は、ザプルーダーフィルムの374コマで、実際にこの傷を、後頭部の吹き飛びを見ることが出来ることを発見したのです。

この傷は他のコマでは黒く消されていましたが、ここでは実際にこの傷を、後頭部の吹き飛びを、青っぽい灰色をしたものを、小脳の一部を見ることが出来るのです。

それからピンク色をしたスカル・フラップ(頭蓋骨片)が右側に吹き出しているのを見ることが出来るのです。

15:45
Thomas Evan Robinsonは埋葬のための準備を遺体に施した葬儀屋で、彼は他の誰よりも長時間を大統領の遺体と共に過ごしました。

1992年5月26日に、彼はJoe Westという名の独自に調査している人物の電話インタヴューを受けました。

彼は大統領の後頭部の大きな穴、後頭部を吹き飛ばした弾丸の侵入傷であった右のこめかみのより小さな傷、顔にあった2つほどの小さな破片物によってできた傷について述べていました。

彼は遺体に死後保存処理を施す時に、こうした傷に気付いたのです。

この傷についてDavid Manticは、弾丸がフロントガラスを貫通した時の細かいガラスの破片によるものであったと推測しています。

背中の傷は背骨の右側、肩の下5、6インチのところにあったのです。

この傷が、図らずも、それ自体で陰謀の存在を確証していたのです。

つまり1977年から1978年にHSCA(下院暗殺調査特別委員会)がこの件を再調査した時、HSCAの医学委員会の委員長であったMichael Baden医師が、もし「魔法の弾丸」説が間違いであるなら、少なくとも6発が3箇所から発射されていたことになると述べていたのです。

そして私が説明したように、JFKは4回にわたり撃たれており、それた一発がJames Tagueを負傷させ、別の一発あるいは二発がJohn Connallyに当たっていたのです。

従って当然、少なくとも6発が3箇所から発射される必要があるのです。

17:08
彼はまた興味深いことに、JFKの顔には退色も膨張もなかったとも述べていました。

これはJFKが即死していたことを意味しています。

17:15
しかし多くの企てがなされ、事実は分かりにくくされていました。

上の二枚の写真を見て下さい。

これは明らかにごまかしです。

上の二枚と下の二枚の間にある大きな違いにご注目下さい。

HSCA(下院暗殺調査特別委員会)は傷の箇所を再現した際、頭頂部まで4インチ上方に移動させたのです。

…聞き取り不可能…

そしてもちろん、後頭部の大きな吹き飛びは存在していません。

この実際の(左下の)写真でもまた再度、スカル・フラップ(外側に開いた頭蓋骨片)を見ることが出来ます。

(HSCAによって)頭頂部にあったとされる侵入傷は見えませんが、スカル・フラップ(外側に開いた頭蓋骨片)を見ることが出来るのです。

頭頂部にあったとされる侵入傷はここ(右下の精巧なイラスト)に描かれています。

(訳者注:右下の画像は写真ではなく、検死写真を元に作成されたHSCA Exhibit(下院暗殺調査特別委員会 証拠物件)F-48と呼ばれるイラストです。)

17:54
興味深いことに、HSCA(下院暗殺調査特別委員会)は後頭部の吹き飛びを明らかにしてはおらず、Haper Fragmentとして知られることになる、リムジンの左方向にあったJFKの頭蓋骨の大きな破片と全く一貫性がないのです。

そのため、いかにして医学の専門家と言われる人物集団がこのような空想に満ちた仮説を思いつくことが出来たのか、私には信じることがますます困難になるのです。

18:15
ここには傷の3つの異なった描写があります。

(訳者注:左がパークランド病院で目撃された後頭部の吹き飛びのイラスト。中央がベスラ病院で目撃された後頭部の吹き飛びのイラスト。右がHSCAのExhibit F-48。)

パークランド病院で目撃されたこぶし大の後頭部の吹き飛びは、海軍医療士官であり、検死を担当したJames Humeによって大きく拡げられたのです。

彼は実際に、JFKの頭蓋骨に頭蓋用のこぎりをあて、より後方から弾丸が発射された結果らしく見せるために広げていたのです。

しかしその時Thomas Evan Robinsonと医療技術者であったEd Reedの二人の目撃者が、彼がそうするのを目撃していたのです。

そしてもちろん、HSCA(下院暗殺調査特別委員会)による非合理な傷の描写があります。

彼らは、そもそも初めから事態の進展を好ましく思っており、隠蔽工作を実施しようと企てていたのであったと私は考えています。

18:57
それからこれは、いかに後頭部が修復されていたのか、ザプルーダーフィルムの改ざんを示すさらなる証拠です。

この374コマでは傷を見ることが出来ますが、前のコマ、340、350、360、370コマでは見えないのです。

19:13
実際の連続狙撃はこのようなものでした。

少なくとも6箇所から6人の狙撃者がいたと考えられるのです。

そして総計8発、9発、ないし10発を発射していたと考えられます。

19:27
     スポンサー
CIA、アメリカ統合参謀本部、マフィア、連邦準備制度、イスラエル、
反カストロ派のキューバ人、テキサスのオイルマン

 

     ファシリテーター
LBJ、J. Edgar Hoover

 

     メカニクス
狙撃者、監督者、調整者

ですから言うまでもなく、私が提示した証拠により、JFKに関してヴォルテールは正しかったのです。

19:33
この事件の解明が困難であった理由の大部分は、スポンサー、ファシリテイター、メカニックの概念上の区別をしなかったためです。

スポンサーは、政策の変更を求めて、JFKを追い出し、主としてLindon Johnson(リンドン・ジョンソン)を仲間に入れることを欲していた人物や集団でした。

スポンサーには、CIA、アメリカ統合参謀本部、マフィア、連邦準備制度、イスラエル、反カストロ派のキューバ人、テキサスのオイルマンが含まれていました。

大統領はCIAをバラバラに解体すると脅かしていました。

大統領はベトナムから軍を撤退させようとしていました。

大統領はマフィアを取り締まっていました。

大統領はまた、財務省に合衆国紙幣を発行するよう指示していました。

これは大統領が、合衆国通貨を発行する民間銀行の連合体に、アメリカ政府が利子を払わねばならないことは非合理であると考えていたのがその理由でした。

大統領はイスラエルに、イスラエルの核兵器開発の野望に反対していました。

反カストロ派のキューバ人は大統領がピッグス湾で裏切ったと考えていました。

しかし実際には、事態がうまく行かなかったのは大統領の過ちではありませんでした。

また大統領は、テキサスのオイルマンが自分たちの神権と同種であるとみなしていた石油減耗控除を削減すると脅かしていました。

それから地上の狙撃者、監督者、調整者からなるメカニックがいました。

その中には…聞き取り不可能…George Herbert Walker Bush(ジョージ・ハーバート・ウォ-カー・ブッシュ)が含まれていたと考えられます。

実は彼が、Dal-Texのチームを監督していたのです。

また将官Edward Lansdale(エドワード・ランズテール)が、連続狙撃の狙撃者を配置し、暗殺の全てを組織していたと考えられるのです。

それからこれらを実現させた二人の重要なファシリテーターが、Lindon Johnson(リンドン・ジョンソン)とJ.Edgar Hoover(エドガー・フーバー)でした。

ご記憶されているでしょうが、JohnsonがFBIを唯一の捜査の権威として任命したのです。

彼らは二人共JFKを憎んでおり、二人共彼の排除を望んでいました。

Lindonは大統領になりたがっていました。

そして彼は首尾よく大統領になったのです。

21:15
この件をさらに追求したい人向けに、特に大学の課程という観点で追求したい人向けには、つまり私はそうした課程での研究の正当性を示す実例を示すことが出来たと信じるものですが、次の本があります。

James Douglassが書いた「JFK and The Unspeakable」(「JFKと語られざること」)です。

この本は、ケネディ政権の発足後、最初の約1,000日が経過する中でいかに大統領が一連の力を持った集団と敵対していたのかを解説しています。

21:37
「Murder In Dealey Plaza」(「デイリープラザにおける殺戮」)はDavid Mantic、Douglas Horne、その他が書いた論文集で、医学的証拠や窓ガラスを貫通した弾丸の弾道学的証拠、その他の証拠を科学的に検証した本です。

21:53
さらに加えて、ARRB(暗殺記録再検証委員会)の軍記録上級分析者であったDouglas Horneが5冊組の研究書を発表しています。

本の題名は「Inside ARRB」(「暗殺記録再検証委員会の内側」)といい、彼らが明らかにした全ての事象を読者に今日提起するものです。

オリバー・ストーンの映画「JFK」の結果として、この件に対する興味が再び引き起こされた直後に、議会によってこの暗殺記録再検証委員会は設置されたのでした。

学問の自由会議 1/6

学問の自由会議 1/6

以下は、https://www.youtube.com/watch?v=PCUWCYImC_Iの日本語字幕です。

学問の自由会議
学術的探求に制限が存在するのか?
6部構成の第6部

 

James H.Fetzer 博士

 

イリノイ大学、学生会館
2014年4月26日

 

主催者 911の真相を追求する学者たち&Midest 911 truth

00:10
「学術的探求に制限が存在するのか」と題された今回の学問の自由の会議の主催者として、この会議の着想を考えついたSteven Francisに、また全ての参加者に、今日ここにお集まり頂いた皆さんに感謝を表明出来ることは、光栄なことです。

00:37
「歴史とは生者が死者を利用する
     嘘の塊である」
    --ヴォルテール

 

前提:歴史は真実と精確さを
   求めるに違いない

 

JFKについては? 911については? ホロコーストについては?

私の方法論は捏造に関するもので、「歴史とは生者が死者を利用する嘘の塊である」というヴォルテールが提起した命題を検証するものです。

前提は当然のことながら、歴史は真実と精確さを求めるに違いないというものです。

JFKについてはどうなのでしょうか。

911については。

ホロコーストについては。

00:54
   JFK

 

(1)Oswaldにそれをなすことは不可能であった

 

(2)複数の狙撃と複数の狙撃者

私たちは、一人の孤独な精神を病んだ銃の名手が三発を発射し、二発を命中させ、州知事を負傷させ、大統領の命を奪ったという公式説明を知っています。

01:07
狙撃者は一人で、三発を発射し、陰謀はなかったというものです。

しかしながらOswaldにそれを出来なくさせる事実が、あるいは三発以上が発射された、複数の狙撃者が存在したという事実があるとすれば。

少なくともJFKに関しては、ヴォルテールは正しかったと考えられることになるのです。

01:30
これはうまく描かれた公式のシナリオです。

1963年11月22日にデイリー・スクエアでOswaldが六階から、第二次世界大戦の年代物のマンリカ・ カルカノ・ライフルを用いて、三発を発射し、二発を命中させ、一発がそれたというものです。

午後12時30分に狙撃が起こった後、彼は午後1時40分にテキサス劇場で警察に逮捕されました。

私が最初に彼の死を知ったのは、海兵隊の若い士官であった時で、ヘリコプター強襲揚陸艦イオージマに乗っていて当時の副艦長が午前3時30分に私を起こし、大統領が撃たれたと教えてくれたのでした。

そして1時間後にまた私を起こし、捕まった大統領を撃った男は共産主義者だったと教えてくれました。

その時、私は何て手際の良い仕事だと思いました。

そして今日、私はその理由を理解するのだと思います。

02:34
AP通信社のカメラマンJames“Ike”Altgensが撮影したおそらく最も有名な暗殺の写真には、少なくとも4つの極めて重要な特徴があります。

まず、喉に当たった弾丸のせいで大統領は既に喉に手を当てているのですが、丸1の中央に示されているようにその弾丸は、標的までの軌道上で、フロントガラスを貫通していたのです。

丸2は玄関口にいる人物を囲んでいますが、その人物の身元は議論の的になっています。

一部の人は、その人物は実際にLee Oswaldであると信じています。

しかしながら政府は、その人物は彼の同僚、Billy Loveladyであったと主張しています。

このことを見ていくことにしましょう。

丸3はCIAの所有物であったウラン採掘会社の掃除用具入れ物置の窓を囲んでいますが、ここから三発が発射されたと考えられるのです。

その三発だけが、その日デイリープラザで消音装置なしの銃で発射された弾丸だったと考えられるのです。

丸4では、副大統領を護衛していたシークレットサービスの車両が既に反応していることが分かります。

JFK自身の護衛チームが、まるで何が実際に起きているのか分からないとでもいうように周りを見回しているのに、彼らは既に反応しているのです。

03:52
これはフロントガラスの大写しです。

左側の画像にご注目下さい。

この部分に暗い穴と小さな白い渦巻状の曇りを見ることが出来ます。

右側の画像では、フロントガラスに蜘蛛の巣状のひびが入っています。

これは後にシークレットサービスによって作成されたものでした。

パークランド病院では多くの目撃者がこの穴に気付いていました。

実際、一人の警察官はその穴に鉛筆を差し込んでいたのです。

04:13
弾丸がフロントガラスを貫通したこの穴はザプルーダーフィルムの225コマでも見えます。

言うまでもないことですが、これは前方から発射されたものです。

04:26
しかしながら、玄関口付近を拡大して見ると、何が起きているのかと外を見ているような仕草をしている人物と、その横で手を上げて太陽から顔を覆っている人物に気が付きます。

04:41
比較的最近までこれが事実であったとは私は知らなかったのですが、Lee Oswaldを取り調べた殺人担当刑事Will Fritz が書いた手書きのメモが2007年に実際、公表されていたことが判明しています。

04:59
そのメモは、Lee Oswaldが自分は狙撃の最中にBill Shelley と一緒に表に出ていたと説明していたことを示しています。

こうして私はAltgensの撮影した写真へと導かれることになったのです。

この写真をよく見ると、複数の異常な点に気付きます。

特に異常なのは、玄関口にいる人物の左肩が失われていることです。

さらに加えて、この人物の後ろの黒く細いネクタイをしている人物、彼を黒ネクタイの男と呼びましょう、この黒ネクタイの男が玄関口にいる人物の前方と後方に、同時に存在していることです。

そしてそのすぐ右側を見てみると、手を上げて太陽から目を遮っており、見るからに顔が不鮮明にされている人物の前方にいる人物の顔もまた、不鮮明にされ、消されていることが分かります。

私は、この人物がLee Oswaldであったに違いないと当初は思っていました。

05:52
しかしながら、玄関口の人物の身長、体重、体格、この時着ているTシャツ、シャツ、をよく見ると、逮捕された時のLee Oswaldの身長、体重、体格、Tシャツ、シャツと一致する多くの特徴があることが分かるのです。

06:14
Richard Hookeはこの写真の分析において天賦の才能を発揮し、多くの検証結果を発表しています。

彼の検証結果は、脊柱指圧師で、人の身体や衣服がどのように身体に合うのかを扱った豊富な経歴を持つRalph Cinqueが示したことを具体的に示しています。

彼が玄関口の人物の身元は、その人物の顔をよく見ることによってではなく、彼の服装をよく見ることで解明可能となるということを私に最初に提示したのです。

06:49
そしてまさしくこれがBilly Loveladyなのです。

全く異なる種類の、半袖の、赤と白の縦縞のシャツを着ています。

FBIの要請でこのシャツを、彼は964年2月29日にFBIに持参し見せたのでした。

一方、玄関口にいる人物は長袖の…聞き取り不可能…胸元の大きく空いたシャツを着ています。

全く異なっています。

ですからBillyがこのシャツを着ていたのであれば、彼が玄関口の人物であった可能性はないのです。

07:21
そして実際に、これがFBIからFBI本部に提出された公式の報告書です。

下線が引かれた第一段落の一番最後の文章に、彼は赤と白の縦縞のシャツと青いジーパンを着用していたと説明しています。

このことはまた、遠路ニューヨークからダラスまで飛行機で行きBillyと実際に話した、独自にJFKについて調べているJones Harrisも確認していることです。

07:49
しかしながら、彼らはBillyの顔の特徴を玄関口の人物の顔に重ねることで分かりにくくしていたようなのです。

まるで先ほどのFBIによって撮影された三枚の写真に戻るかのようです。

熟考すると、三枚の写真のうちの左側のより離れて撮影された写真は、Oswaldの顔の特徴をBillyの顔に重ねて合成することで、Oswald化されていたことが明らかになるのです。

08:14
他にもう一人だけ玄関口の人物として候補に挙がっている人物がいます。

彼は群衆の中におり、赤と黒のチェックのシャツを着て、上までボタンをかけています。

Billyは、自分はLeeよりも2、3インチ背が低く、15ポンドから20ポンド体重が重いため、自分がLeeと間違われるとはおかしなことだと思うと述べていました。

チェックのシャツを着た人物の場合、彼らの身体の輪郭を比較すると、Billyに似た所は何もなく、ゴリラのように見えることが分かります。

このため私は彼をゴリラマンと呼んでいます。

彼は玄関口の人物よりも、少なくとも30ポンドかそれ以上体重が重いに違いありません。

08:58
彼らが行ったと考えられているのは、オリジナルの写真から特定の特徴を取り出し、それらを様々な方法でまとめ直したということです。

例えば、左側に立っていた人物を後方に移動させ、黒ネクタイの人物にしたのです。

またあからさまに、左の肩を削除したのです。

彼らが顔を不鮮明にしたのは、その人物がBill Shelleyだったからだと考えられます。

なぜならLeeがFritzに、自分はBill Shelleyと一緒に外に出ていたと語っていたからです。

彼らはBill Shelleyが実際にそこにいたと推測したに違いありません。

自分でそこにいない限り、どうしてLeeにそのことを知ることが出来たのでしょう。

そうすると手を上げて目を保護している人物はBilly Loveladyであったと考えられることになります。

ですからこの写真を調べると、Billy Loveladyが玄関口にいたという事実が、玄関口の人物としてでなく、玄関口の人物の右側にいたという事実が実際にあったことが分かるのです。

09:50
この有名な写真を、Roy Schaefferという名のOswald無罪キャンペーンの検証グループのメンバーがDayton新聞社で働いていた時、23日土曜日に、写真ファックスで受け取っていたのです。

911、JFK暗殺、ホロコーストがアメリカの大学で論じられた

以下は、http://www.veteranstoday.com/2014/04/27/ac-free/の日本語訳です。

911、JFK暗殺、ホロコーストがアメリカの大学で論じられた

2014年4月27日、Kevin Barret投稿

なぜアメリカではこれほど多くの人が報道上の、また学術研究上の脅しや検閲を許容するのか?

Veterans Today 編集者、Kevin Barret著

私は学問の自由を、真実を探求する権利、自分が真実であると見なす事象を発表し、教える権利であると理解しています。
アルバート・アインシュタイン、ユニオン・メンバー

歴史上初めて、アメリカの大学が911、JFk暗殺、ナチのホロコーストに関する公式説明に疑問を投げかける催しを主催した。

この会議は、「学問の自由:探求に制限が存在するのか?」と題されて、昨日、4月26日にアバーナ・シャンペーンのイリノイ大学で開催された。

参加者には私自身と以下の他の4名の現職、あるいは退官した教授が含まれていた:James Fetzer (科学哲学), Nicholas Kollerstrom (科学史), David Robinson (教育) 、Winfield Abbe (物理学)。

  [私の発表「事実、侮蔑、学問の自由についてお読みいただきたい]

これら3つの論題のうち、最も異論を呼び起こすものがホロコーストである。世論調査は、アメリカ人のうちおよそ3分の2がJFK暗殺に関する公式解釈を疑い、およそ3分の1が911について懐疑的であることを示している。JFKや911の公式説明を論評する大学教授も、ほとんどは自分たちの仕事を失うことはない。(私は不幸な例外であった;2006年に私は高等教育機関における911懐疑論を消沈させる意図を持った政治的魔女狩りの標的とされたのである。)

しかしホロコーストは違う。

911やJFK暗殺に関する公式解釈に疑問を持つ多くのアメリカ人が私に連絡をし、なぜ私がホロコースト修正主義者と関係を持とうとするのか尋ねてきた。彼らは、ホロコーストに関する論争はタブーであり、その件に近づく者は誰でもリンチを受けることになることを恐れているのである。

なぜ学術機関や出版業者はもっと大きな声を上げないのだろうか?

私の答え:それこそまさしく、私が参加を望む理由なのである。ホロコースト修正主義者に対する迫害は間違っている。歴史に関する検証を行い、真摯に到達した結論を報告したからといって、生活や名声を破壊されてはならないのだ。

だが現代のアメリカでも、ナチのホロコーストに関する神聖な説明に疑問を投げかける学者は職業的な自殺行為をすることになるのである。ヨーロッパはさらに状態が悪い。

多くのヨーロッパの国々は、ホロコースト新宗教の神聖な三位一体を疑問視する歴史家をごく普通に訴え、投獄している:この三位一体とは、600万人のユダヤ人が殺戮の犠牲者となった、数百万がガス室で殺害された、ナチは公式の方針としてヨーロッパの全てのユダヤ人の全滅を意図していたというものである。

ドイツ人は本当に600万人のユダヤ人を殺戮したのだろうか? 完全な絶滅という公式方針の一部として、そのうちの多くをガス室で殺戮したのだろうか? こうした疑問を持つことさえ、西側では異端なのである。

だが私がフルブライト奨学制度で博士号研究を行ったモロッコでは、私がこの論題について論じた学者は全員が、かなりもしくは若干、修正主義者の側に立っていた。こうした学者の多くはこの論題について大量の本を読んでいた。私は一冊も読んだことがなかった。当時はまだ、私はホロコースト修正主義者はほとんど確実に間違っていると考えていたのだった。

そうしておよそ5年後に、私は修正主義者への反論と称する一冊の本を読んだ:その本とは、Michael ShermerとAlex Grobmanが書いた「Denying History (歴史の否定)」である。この本から私は、公式のアウシュビッツでの死者数が1989年に400万人から150万人に下方修正されたことを学んだ。しかし公式の「ホロコースト」総計は600万人のままであった。

ShermerとGrobmanは、1989年頃、アウシュビッツの犠牲者250万人が姿を消したまさにその時、歴史家は東方戦線で銃殺部隊によって殺害されたユダヤ人の総計を…まさしく250万人、上方修正したのだと説明している。その結果:神聖なる600万という数字は神聖なものとして祀られたままとなったのだ。

ShermerとGrobman はまた、青酸ガス(チクロンB)の青色の厚い被膜がナチの強制収容所の特定の部屋で検出されていたことも説明していた。問題は:これらの部屋はチフスの発生を予防するために衣類や寝具を燻蒸消毒していたシラミ駆除室であったことが、全ての歴史家によって認められているということである。表面上ガス室とされる部屋ではいずれにおいても、そうした「ペルシアン・ブルー色」は発見されていないのである。ShermerとGrobmanは、これは人間を殺害するよりも、シラミを殺害する方が大量のチクロンBの必要となるためであると主張している。

ShermerとGrobman(並びにその他の公式説明を擁護する者)も、ガス室で数百万人が殺害されたことを示す確固たる法医学的証拠はほとんど存在しないことを認めている。彼らはまた、ドイツ人が未遂に終わったヨーロッパのユダヤ人の絶滅という、著しく手が込んだ、費用がかさみ、大掛かりで、不経済で、遂行上困難な公式プログラムを開始していたことを示す証拠文書もほとんど存在しないことを認めている。

ドイツ人による絶滅計画や絶滅プログラムがあったことを示す証拠文書のほとんど完全な欠如は、正統なホロコースト研究の元祖、Raul Hilbergによって以下のように説明されている:

「しかし1941年に始まったのは、あらかじめ計画されていたのではなく、中枢機関によって組織されたものでもない、破壊の工程であった。破壊手段に対しては青写真も、予算もなかった。それらは一歩づつ、少しづつ進められた。そのため計画が実行されたというものではなく、広範囲にわたる官僚制度による信じがたい見解の一致、同意-読心術があったということなのだ。」

なぜ彼らはこれほどまでに、開かれた討論や議論を恐れているのだろうか?

青写真はなかった? 予算もなかった? 計画もなかった? 犯罪者は公式文書や書簡、電話、電報を用いてお互いに意思疎通することはなかったが、しかし超能力によって600万人の民族虐殺を組織したというのだろうか?!

それから私はこの論題に関して、ホロコースト正説の支持者と反対者の双方について均等にさらに3冊の本と多くの論説を読んだ。私は未だに、ホロコースト宗教の「神聖な三位一体」の正当性に関しては、断固とした見解を示すことが出来る程充分に分かってはいない。

しかし私は、労をいとわずこの件について調べる公正な人間は誰であれ、修正主義者には調査に耐える一定の証拠が揃っていることを認めるに違いないと確信している。

ホロコーストは、恐れることなく再び開かれ、再考される必要があるのである。公式解釈に対して異議申し立てする者を奨励し、資金が与えられ、公式記録が開放されねばならない。

最新の考古学的調査機器を携えた学者が死の収容所と言われる跡地に集結し、現在まで発見を免れてきた集団墓地を探さねばならない。化学の専門家がGermar RudolfとFred Leuchterの足跡をたどり、収容所の徹底的な化学的分析をせねばならない。おそらく彼らは公式解釈を確認することになろう;あるいはもしかすると彼らはそれを反証するかも知れない。

しかし最も重要なことは、第二次世界大戦において殺害された6千万人のごく一部の人々に何が起きたのかではない。真の争点は、歴史に疑問を投げかける自由が我々にあるのか否かなのだ。

イリノイ大学の英語の教授で、2006年から2012年まで米国大学教授協会の理事長であったCary Nelsonは当初、学問の自由会議における発言を求める誘いを受け入れていたが‐ホロコーストが含まれているという理由で約束を反故にしてきた。

Nelson教授は、ホロコースト正説の正当性を疑問視する者の学者としての経歴の破壊を望んでいることが判明している。高等教育年代誌中の「学問の自由はホロコースト否定論者を擁護するものであるのか」と題された論説において、Nelsonは以下のように書いている:「知らないうちにホロコースト否定論者を雇い、ホロコーストと関連する学問の教授権を認めていたとは思いもよらなかった。」

もし学生が以下のフィルムのような研究レポートを作成した場合、彼は自動的に不合格を与えるのだろうか?

YouTube - Veterans Today -

我々はごっご遊びに屈してしまったのだろうか?

Nelsonの論説は、検討されている歴史的争点について自身が何か知っていることを示す証拠を何も示してはいない。彼の冗漫な、悪文で書かれた文章は、公式の神聖なる説明に対し無知性にへつらいながら、もったいぶった曖昧さで読者をけむに巻くものである。

彼はNick Kollerstormのようなホロコースト修正主義者との事実に基づいたディベートにおいては、30秒ももたないのではないかと私は疑う。

Kollerstromは、化学の専門知識を持つ科学史の博士であるが、自身の学者としての経歴をCary Nelsonのような人間によって破壊されたのだった。Kollerstromはロンドン大学ユニバーシティ・カレッジで教えながら、化学的証拠はドイツの収容所における大量処刑ガス室の存在を裏付けてはいないと主張する学術論文を発表した。

その直後に同博士は直ちに解雇されたのである。説明はなされなかった。博士自身を擁護する機会は与えられなかった。Kollerstromの論文を批評したり、論文に何か間違いがあることを示そうとする大学関係者や学者はいなかった。Kollerstromの経歴は-私の経歴のように-異端として焼かれたのだった。

私には、ホロコーストに関してKollerstromが正しいのか否か分からない。しかしはっきりと私には、彼がひどい不当行為の犠牲者であることが分かる。

なぜホロコースト、JFK暗殺、911は同様なタブーに取り巻かれているのであろうか?これら3つの決定的に重要な歴史的事件の公式解釈を疑問視する者は誰であれ、無知性な侮蔑の標的となるのだ:つまり「ホロコースト否定論者」、「陰謀論者」などと呼ばれるのである。なぜであろうか?

この3つの事例全てにおいては、公式説明が疑わしいことを示す強固で明白な一定の証拠が存在しているのである。おそらくこれが疑問視することがタブーである理由であろう-つまり我々は、真実である可能性のある答えを恐れているのである。

これは否定の余地なくJFK暗殺や911に関して言えることである。私はその証拠をかなり詳しく研究している-私はこの両論題のために本棚いっぱいを割いているのだ-そして私はこの両犯罪は公式説明によってその責任を負わされたカモによってではなく、権力を持った内部の者によって実行されたという(仮説ではなく)事実に、幸運にも命を掛けるものである。

イリノイ大学での学問の自由会議はこれらの決定的に重要な歴史的疑問を取り上げることで、新たな局面を開くものである。アメリカ合衆国が本当に自由な社会となり、歴史に関する困難な疑問を同国の学者が尋ねることがようやく許されることになるのであれば、それは学問の自由会議のまとめ役Stephen Francisのような影の英雄の尽力の賜物なのだ。

編集: Jim W. Dean

Kevin Barrettはアラブ‐イスラム研究の博士で、テロへの戦いに対するアメリカで最も知られた批判者である。

博士はTRUTH JIHAD RADIO(聖戦ラジオ)の主催者である。このラジオ番組は毎週放送される中継ラジオショーである。博士はまた、Fox、CNN、PBSやその他の放送メディアに数多く出演したことがあり、またニューヨークタイムズ、クリスチャンサイエンスモニター、シカゴトリビューン、その他の一流出版物の特別記事や特集記事に書かれたことがある。

Barrett博士はサンフランシスコ、パリ、ウィスコンシンの大学で教えてきた経験があり、ウィスコンシンでは2008年に議会選挙に出馬した。博士は現在、非営利組織の主催者、著述家、ラジオショー主催者として活動している。

学問の自由:探求に制限が存在するのか? JFK、911、ホロコースト

以下は、http://www.veteranstoday.com/2015/05/01/academic-freedom-are-there-limits-to-inquiry-jfk-911-and-the-holocaust/の日本語訳です。



学問の自由:探求に制限が存在するのか? JFK、911、ホロコースト

 

投稿 Jim Fetzer、2015年5月1日

学問の自由:探求に制限が存在するのか? JFK、911、ホロコースト


Jim Fetzer

 

学問の自由:探求に制限が存在するのか? JFK、911、ホロコースト」と題された先例のない会議が、2014年4月26日午前9時から午後6時まで、アバーナ・シャンペーンのイリノイ大学学生会館314A室にて開催された。この会議の着想はStephen Francisによるもので、同氏はまたThe Midwest 9/11 Truth Conference(アメリカ中西部911真相会議)も組織したことがある。この会議はアバーナ自由図書館で2013年9月22日に開催され、Kevin Barrett、Jim Fetzer、Wayne Madsenらが発言したものである。Veterans Todayの「The Complete Midwest 9/11 Truth Conference(完全なアメリカ中西部911真相会議)」を参照していただきたい。

 

Stephen Francis

 

JFKや911に関する会議は数多く存在しているが、ホロコーストを含めたこの会議は、一般的に「タブー」と見なされている論題に対して独自の取り組みをするものであった。

 

受付は午前9時から10時までで、Kevin Barrettが最初の発表を午前10時から11時まで行い、続いてDavid W. Robinsonが午前11時から12時まで発表を行った。昼食の休憩が午後12から1時までとられ、続いてNicholas Kollerstromの発表が午後1時から2時まで行われた。Nickはロンドンに居住しているため、スカイプを通じての参加となった。その後Stephen Francisが午後2時から3時まで発表し、続いてWinfield Abbeが午後3時から4時まで発表を行った。Jim Fetzerは最後の発表者で、午後4時から5時まで発表を行い、非公式の意見交換、質疑、討論が午後5時から6時まで行われた。

 

発表者のうちの3人-Barrett、Kollerstrom、Fetzer-は大学教官として、入り組んだ、論争の的となる事象を扱う経験をしたことがあった。一方の3人-Robinson、Abbe 、Francis–は大学教官、一般市民双方に関係する学問の自由という事象について長年取り組んでいる。JFK、911、ホロコーストという3つの「熱い」論題に焦点を当てることで、彼らの発表は、大学に何を期待するべきかについての一般市民の理解を高めることを目的とするものである。特に彼らは、「大学教官が研究することの出来る事象に制限が存在するのか?」、「大学教官が教えることが出来る事象に制限が存在するのか?」という疑問に的を絞っていた。発言者はこうした極めて重要な、しかしそれ自体としては微妙な論題を扱うのに、特に適した立場にあったと考えられるのである。

 

                         発表
Kevin Barrett, Ph.D.

 

Kevin Barrett博士は、アラブ-イスラム研究の博士で、テロへの戦いに対するアメリカで最も知られた批判者の一人である。Barret氏は1990年代初頭にサンフランシスコ州立大学から、英文学、仏文学双方の修士号を授与された。博士は2004年にウィスコンシン-マジソン大学から、民俗学を副専攻としてアフリカの言語、文学の博士号を授与された。

 

博士はサンフランシスコ湾岸地域、パリの大学、ウィスコンシン-マジソン大学で英語、フランス語、アラビア語、アメリカ文明、人文学、アフリカ文学、民俗学、イスラムを教えてきた。博士は「9/11 and American Empire: Christians, Jews and Muslims Speak Out (911とアメリカ帝国:キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒が表明する)(2007)」の共同編集者で、「Truth Jihad: My Epic Struggle Against the 9/11 Big Lie (真実聖戦:911という大きな嘘に対する壮大なる我が奮闘)(2007) 」、「Questioning the War on Terror: A Primer for Obama Voters (テロへの戦いに対する疑問:オバマに投票した人向けの読本)(2009)」の著者である。博士の最近の論説の一つとして、「Holocaust History Denial: A Clear and Present Danger(ホロコーストの歴史の否認:明白な今ある危機)」がある。

 

こちらをクリック:Kevin Barrett、「事実、侮辱、学問の自由

 

Barrett博士はFox、CNN、PBSその他のメディアに何度も出演した経験を持ち、ニューヨーク・タイムズ、クリスチャン・サイエンス・モニター、シカゴ・トリビューン、その他の主要な出版物の囲み記事や特集記事の対象となったことがある。博士は2008年に議会に出馬した。博士は現在、非営利団体組織者、著述家、ラジオ司会者として働いている。博士の論説が発表されているサイトには VeteransToday/BarrettTruthJihadTruthJihadRadioMUJCA (911の真相を求めるイスラム教、キリスト教、ユダヤ教連合)がある。

 

David W. Robinson, Ed.D.

 

David W. Robinson教育学博士は、オレゴン州ポートランドのルイス・アンド・クラーク大学から文学士号を授与され、ルイス・アンド・クラーク大学で教育(社会研究)の文学修士を得、オレゴン州のニューバーグのジョージ・フォックス大学から教育基礎と指導者教育の教育学博士号を授与された。博士は学部学生、大学院生両レベルで歴史、人文学、社会科学の課程を指導し、高等教育に関する教育、課程設計、評価、運営についての大学院での課程も教えてきた。加えて博士は複数の大学において、学部長、カリキュラム長、情報技術部長、学務長として働いてきた経験も持つ。この経験により博士は、学問の自由の実践という現実的で複雑な事項に通じることになった。

 

現在博士は、3つの異なる大学の学部において非常勤教授として勤め、教育、情報技術、電子商取引の大学院での課程並びに教育基礎と指導者教育の博士課程を教えている。博士の学術的著述には、専門であるアメリカにおける学問の産業化、また大学と学校の歴史におけるプロテスタンティズムの役割といった高等教育の歴史に関する著書や論文が含まれている。

 

こちらをクリック:David W. Robinson、「Edward A. Rossの奇妙な事例と驚くほど萎縮する大学教官

 

長年にわたるアメリカの歴史の研究者としてDavidは、学問の自由、良心の自由、歴史的証拠の開かれた利用、アメリカの国民的言説における自由な探求の喪失の示す意味に強い関心を持っている。我々に現在ある安全保証国家文明は、学究的生活における理性的対話という抑制して均衡を取る力の欠如による主要な副産物であるというのが博士の確信である。Davidは、同会議でこうした主題をさらに探求することを楽しみにしている。

 

Nicholas Kollerstrom, Ph.D.

 

Nicholas Kollerstrom博士は、科学史の2つの学位を持っている。一つは1968年にケンブリッジ大学で取得したもので、それと1995年にロンドン大学で取得した博士号を持っている。博士は11年間にわたりロンドン大学ユニバーシティ・カレッジの名誉会員であった。博士は1986年にbelgrano調査を共同で組織し、その進展の記録として「The Unnecessary War (不必要な戦争)(1998)」を発表した。またイラク戦争に反対する核兵器反対運動の正統な論拠を形成する「The Case Against War (戦争に反対する事実)(Spokesman、2004) 」を共同編集したこともある。

 

(belgrano調査=フォークランド紛争中にアルゼンチンの戦艦Belgranoがイギリスの原子力潜水艦によって攻撃を受け、沈没させられた事件の調査を求める運動。)

 

2008年に博士は、第二次世界大戦の強制労働収容所の壁で検出された残余シアン化物の研究に対する関心によって広く知られるようになり、倫理的な非難を受けた。博士が被った学問の自由への侵害についての論説は「ISIS trips, stumbles and falls(ISIS の過失、つまづきと転落)」や「The War on Truth: Research on the Holocaust can end your career(真実に対する戦い:ホロコーストについての研究には経歴を終焉させる可能性がある)」を含め、他のところでも見られる。

(ISIS=アメリカの科学史学会(History of Science Society)が発行している科学史の専門誌。)

こちらをクリック:Nicholas Kollerstrom、「ホロコーストについての研究には経歴を危険にさらす可能性がある

 

博士の著書、「Terror on the Tube(地下鉄へのテロ)(第三版、 2011)」は2005年のロンドン地下鉄爆破事件の最も包括的な解説である。同書はこれが「偽旗」攻撃であったという結論を裏付けている。

 

Stephen Francis

 

Stephen Francisはカリフォルニアのフレスノで生まれ育ち、1969年に徴兵に志願した。当時彼は、主流の政治的考えを支持する平凡な若者であった。そうした考えは軍務に就いた後、劇的に転換した;そして同氏は、カリフォルニアのフォート・オードでの反戦抗議の間にバスに乗れとの直接命令に従わなかったことを含む、様々な反戦行動のために投獄されることになった。

 

牢が満杯であったために、同氏は釈放され、続く1年半をカナダで逃亡者として過ごし、最終的に名誉除隊をすることになった。同氏はこのことを今日まで誇りとしている。同氏は34歳の時に大学に戻り、イリノイ州シャンペーンのパークランド大学から経営学の準学士号を、アバーナ・シャンペーンのイリノイ大学から社会学の文学士号を授与された。同氏は続く12年間程を、中堅レベルの多国籍会計コンサルティング会社を含む多くの異なる企業で、ネットワーク運営者/会計ソフト専門家として雇用されて過ごした。

 

こちらをクリック:「歴史の正しい理解:探求に制限があってはならない

 

Stephenは90年代後半の株価上昇の間の成功した投資のおかげで、2000年にセミリタイヤすることが出来た。30年以上にわたり、同氏はまた電子バイオリンとキーボードのセミ・プロ級演奏家でもあった。同氏はその後、イラク侵略を取り巻く世界の出来事に対する懸念から、反戦活動家としての取り組みを再開している。2002年から現在まで、わずかでも文明が未来に進む方向に肯定的な影響を与えることが出来るかも知れないとの希望を持ち、同氏はNewsFollowUp.comの編集を含め、反戦活動家としての取り組みを続けている。

 

 

Winfield J. Abbe, Ph.D.

 

Winfield Abbeはカリフォルニア大学バークレー校にて物理学学士を、ロスアンジェルスのカリフォルニア州立大学にて物理学修士を、カリフォルニア大学リバーサイド校にて物理学博士号を授与された。博士の主要な研究分野は低温固体状態の物理学と理論素粒子物理学である。

 

博士はまた、フェルマーの最終定理という長年続いてきた問題に取り組んできた。これは最近解明されたが、難解な解法は世界でもごくわずかの人々にしか知られていないものである。Abbe博士はアセンズのジョージア大学の教官で、またアナーバーのミシガン大学の科学技術研究所の研究員でもあった。

 

こちらをクリック:Winfield Abbe、「ジョージア大学における学問の自由への侵害

 

自身の学究的世界における経歴の中で、博士は上位の大学教官が下位の教官に対して行った不快な嫌がらせや学問の自由の実践の荒廃を見てきた。そうした実例の一つに、この会議で扱うことを楽しみにしているジョージア大学での実例がある。博士は最近「Real Deal」においてそうした事象についてJim Fetzerのインタヴューを受けている。

 

James H. Fetzer, Ph.D.

 

元海兵隊士官であるJim Fetzerは、科学的知識の理論的基盤、コンピューター科学、人口知能、認知科学、進化、精神性について幅広く書物を発表している。

 

ミネソタ・ダルース大学のディスティングィッシュト・マックナイト名誉教授である博士はまた、JFK暗殺、911事件、Paul Wellstone上院議員の命を奪った航空機墜落事故について大規模な検証を実施したことがある。博士の最近の論説の一つには、「Anti-anti-Semitism and the Search for Historical Truth(反・反ユダヤ主義と歴史的真実の探求」がある。

 

こちらをクリック:Jim Fetzer、「探求に制限が存在するのか? JFK、911、ホロコースト

 

911の真実を求める学者たちの創設者である博士の最近の著書には、「The Evolution of Intelligence (知性の進化)」(2005)、「The 9/11 Conspiracy(911陰謀)」(2007)、「Render Unto Darwin(ダーウィンへの返礼) 」(2007)、「The Place of Probability in Science (科学における蓋然性の位置)」(2010)がある。2006年に退官して以降、博士は対談「The Real Deal」やVeterans Today上での論説において、最近の歴史の最も入り組んでおり、論議をかもす事件に取り組むことに専念している。

 

Jim Fetzerは元海兵隊士官で、ミネソタ・ダルース大学のマックナイト名誉教授である。

 

Jim Fetzer

 

Jim Fetzerは元海兵隊士官で、科学的知識の理論的基盤、コンピューター科学、人口知能、認知科学、進化、精神性について幅広く論文を発表している。

 

教授はマックナイト名誉教授であり、またJFK暗殺、911事件、Paul Wellstone上院議員の命を奪った航空機墜落に対しても徹底的な検証を実施している。

 

911の真相を追求する学者たちの創設者でもある教授の最近の著書には、「The Evolution of Intelligence (知性の進化)」(2005)、「The 9/11 Conspiracy(911陰謀)」(2007)、「Render Unto Darwin(ダーウィンへの返礼) 」(2007)、「The Place of Probability in Science (科学における蓋然性の位置)」(2010)がある。

 

 

 

« 2015年5月 | トップページ | 2016年4月 »

フォト
無料ブログはココログ