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2015年8月31日 (月)

学問の自由会議 2/6

学問の自由会議 2/6

以下は、https://www.youtube.com/watch?v=PCUWCYImC_Iの日本語字幕です。

10:08
しかし、この写真は迅速に発表されており、改ざんは不可能であったとの主張を試みるために、私たちはこのような新聞を見つけました。

これは1963年11月22日付けのSheboygan Press紙です。

これは少なくとも当初は、この主張を裏付けるように思えました。

10:29
ですが、Ralph Cinqueが極めて賢明にミシガン州のBeacon Hills News- Palladium紙の二つの異なる版を発見したのです。

左側は、正真正銘の新聞で、実際にローカルニュースも含まれています。

右側は、納税者のお金を使ってFBIによって捏造された版です。

Oswaldは玄関口にはいなかったとのペテンを仕掛けるためでした。

これはおそらく、JFK暗殺に関する全ての検証中、最大の秘密だったでしょう。

疑いなく、もし私たちの検証が裏つけているようにLeeは玄関口にいたのであれば、彼が6階にいることなど不可能であり、そのため、狙撃者ではありえず、ましてや孤独な精神を病んだ銃の名手などではありえなかったことになるのです。

11:22
     JFK

 

(2)複数の狙撃と複数の狙撃者

11:23
加えて私たちはJFK自身について、1992年の暮れに私が組織した集団による医学的証拠の徹底的な検証に基づいて調べました。

この集団には、弾道による傷の専門家でもある世界的な人間の脳の権威(Robert B. Livingston)、放射線腫瘍学の有資格医師でもある物理学博士(David W. Mantik)、JFKが担ぎ込まれた外傷治療室1でJFKの手当に立ち会った外科医で、その二日後には暗殺者と言われるLee Oswaldの治療にあたった外科医(Charles Crenshaw)、電磁気学と光や動く物体の画像の特性の解析を専門とする別の物理学博士(John P. Costella)、伝説的な写真やフィルムの分析家(Jack White)が含まれていました。

私たちはJFKは実際には4回にわたり撃たれていたことを立証したのです。

まずJFKは、郡記録ビルの屋上から発射された弾丸によって背中の脊柱の右側の襟から5.5インチのところを撃たれました。

次に、Triple Underpass(三線高架下道路)の南端から発射された弾丸によって喉を撃たれました。

これがフロントガラスを貫通した弾丸です。

そして運転手William Greerがリムジンを左側に寄せて停止させ、確実に殺害されるようにした後、後頭部を撃たれました。

これは丸3として確認されるDal-Texビルの窓から発射された三発のうちの一発によるものでした。

それから最後に、前かがみにうなだれ、Jackie夫人がその体を支えながら、大統領の顔を覗き込んでいた時に、右のこめかみを撃たれたのです。

これは壊れやすい破裂性の弾丸によるもので、衝撃波をもたらしたのです。

この力で後頭部は吹き飛ばされたのです。

その時の衝撃のせいで、護送バイクに乗っていた警察官Bobby Hargisははじめ自分自身が撃たれたと思ったのです。

13:06
どうして私たちにこのようなことが分かるのでしょう。

私たちにはフロントガラスの穴があるだけでなく、このような図表もあるのです。

上の図表は、Malcolm Perry医師によって控えめな切開措置がとられる前とその後の喉の傷を描いたもので、小さな、はっきりとした、きれいな傷を示しています。

左下には、喉の傷が大きく拡げられた、公式の検死写真と言われる写真を見ることが出来ます。

そしてその右には、スカル・フラップ(外側に開いた頭蓋骨片)を確認出来る写真があります。

…聞き取り不可能…

耳の上の骨の破片を見て下さい。

そしてまたこの写真では後頭部は吹き飛んでいないことも観察出来ます。

13:45
これはパークランド病院にいた外科医によって描かれた二つの図表です。

上の図表はRobert McClellandによるもので、下の二つはCharles Crenshawによるものです。

この三つを見ると、傷の位置とおおよその大きさが分かります。

傷の大きさについて、Crenshaw医師はこぶしを握った時のこぶしの大きさであると私に説明しました。

Clint Hill(シークレット・サービス)もまたそのように述べたことがあります。

彼のことは、ザプルダーフィルムの現存するヴァージョン、これはリムジンの停止や頭部への二発の命中が削除された改訂版なのですが、そのフィルムの中で見た方もいるでしょう。

彼は、トランクの上に飛び乗り、Jackie夫人を押し戻し、彼らの体の上に覆いかぶさり、JFKの後頭部にあいたこぶし大の穴を覗き込んだと述べていたのです。

14:33
約40人の目撃者がこの傷については証言していましたが、彼らはこの左上のエックス線写真を根拠にその証言を却下しました。

なぜならこのエックス線写真はそのような傷を示していないからです。

医師であり(物理学)博士であるDavid Manticは放射線腫瘍学の専門家です。

放射線腫瘍学にはもちろん、エックス線写真の解析も含まれています。

彼は明るい部分と暗い部分のコントラストが強すぎ、極めて疑わしいと考えました。

そこでOptical Densitometry(光学的密度測定)として知られる物理学の分かりやすい技術を適用すると、博士がパッチ(patch=ツギ)のPをとってP領域と呼ぶ領域が、人間の骨とは考えられないほど密度の濃い物体を用いて作り上げられていたことを発見出来たのです。

この領域が覆われていたことにより、そこを隠す強い光が示されていたのです。

そして私は、ザプルーダーフィルムの374コマで、実際にこの傷を、後頭部の吹き飛びを見ることが出来ることを発見したのです。

この傷は他のコマでは黒く消されていましたが、ここでは実際にこの傷を、後頭部の吹き飛びを、青っぽい灰色をしたものを、小脳の一部を見ることが出来るのです。

それからピンク色をしたスカル・フラップ(頭蓋骨片)が右側に吹き出しているのを見ることが出来るのです。

15:45
Thomas Evan Robinsonは埋葬のための準備を遺体に施した葬儀屋で、彼は他の誰よりも長時間を大統領の遺体と共に過ごしました。

1992年5月26日に、彼はJoe Westという名の独自に調査している人物の電話インタヴューを受けました。

彼は大統領の後頭部の大きな穴、後頭部を吹き飛ばした弾丸の侵入傷であった右のこめかみのより小さな傷、顔にあった2つほどの小さな破片物によってできた傷について述べていました。

彼は遺体に死後保存処理を施す時に、こうした傷に気付いたのです。

この傷についてDavid Manticは、弾丸がフロントガラスを貫通した時の細かいガラスの破片によるものであったと推測しています。

背中の傷は背骨の右側、肩の下5、6インチのところにあったのです。

この傷が、図らずも、それ自体で陰謀の存在を確証していたのです。

つまり1977年から1978年にHSCA(下院暗殺調査特別委員会)がこの件を再調査した時、HSCAの医学委員会の委員長であったMichael Baden医師が、もし「魔法の弾丸」説が間違いであるなら、少なくとも6発が3箇所から発射されていたことになると述べていたのです。

そして私が説明したように、JFKは4回にわたり撃たれており、それた一発がJames Tagueを負傷させ、別の一発あるいは二発がJohn Connallyに当たっていたのです。

従って当然、少なくとも6発が3箇所から発射される必要があるのです。

17:08
彼はまた興味深いことに、JFKの顔には退色も膨張もなかったとも述べていました。

これはJFKが即死していたことを意味しています。

17:15
しかし多くの企てがなされ、事実は分かりにくくされていました。

上の二枚の写真を見て下さい。

これは明らかにごまかしです。

上の二枚と下の二枚の間にある大きな違いにご注目下さい。

HSCA(下院暗殺調査特別委員会)は傷の箇所を再現した際、頭頂部まで4インチ上方に移動させたのです。

…聞き取り不可能…

そしてもちろん、後頭部の大きな吹き飛びは存在していません。

この実際の(左下の)写真でもまた再度、スカル・フラップ(外側に開いた頭蓋骨片)を見ることが出来ます。

(HSCAによって)頭頂部にあったとされる侵入傷は見えませんが、スカル・フラップ(外側に開いた頭蓋骨片)を見ることが出来るのです。

頭頂部にあったとされる侵入傷はここ(右下の精巧なイラスト)に描かれています。

(訳者注:右下の画像は写真ではなく、検死写真を元に作成されたHSCA Exhibit(下院暗殺調査特別委員会 証拠物件)F-48と呼ばれるイラストです。)

17:54
興味深いことに、HSCA(下院暗殺調査特別委員会)は後頭部の吹き飛びを明らかにしてはおらず、Haper Fragmentとして知られることになる、リムジンの左方向にあったJFKの頭蓋骨の大きな破片と全く一貫性がないのです。

そのため、いかにして医学の専門家と言われる人物集団がこのような空想に満ちた仮説を思いつくことが出来たのか、私には信じることがますます困難になるのです。

18:15
ここには傷の3つの異なった描写があります。

(訳者注:左がパークランド病院で目撃された後頭部の吹き飛びのイラスト。中央がベスラ病院で目撃された後頭部の吹き飛びのイラスト。右がHSCAのExhibit F-48。)

パークランド病院で目撃されたこぶし大の後頭部の吹き飛びは、海軍医療士官であり、検死を担当したJames Humeによって大きく拡げられたのです。

彼は実際に、JFKの頭蓋骨に頭蓋用のこぎりをあて、より後方から弾丸が発射された結果らしく見せるために広げていたのです。

しかしその時Thomas Evan Robinsonと医療技術者であったEd Reedの二人の目撃者が、彼がそうするのを目撃していたのです。

そしてもちろん、HSCA(下院暗殺調査特別委員会)による非合理な傷の描写があります。

彼らは、そもそも初めから事態の進展を好ましく思っており、隠蔽工作を実施しようと企てていたのであったと私は考えています。

18:57
それからこれは、いかに後頭部が修復されていたのか、ザプルーダーフィルムの改ざんを示すさらなる証拠です。

この374コマでは傷を見ることが出来ますが、前のコマ、340、350、360、370コマでは見えないのです。

19:13
実際の連続狙撃はこのようなものでした。

少なくとも6箇所から6人の狙撃者がいたと考えられるのです。

そして総計8発、9発、ないし10発を発射していたと考えられます。

19:27
     スポンサー
CIA、アメリカ統合参謀本部、マフィア、連邦準備制度、イスラエル、
反カストロ派のキューバ人、テキサスのオイルマン

 

     ファシリテーター
LBJ、J. Edgar Hoover

 

     メカニクス
狙撃者、監督者、調整者

ですから言うまでもなく、私が提示した証拠により、JFKに関してヴォルテールは正しかったのです。

19:33
この事件の解明が困難であった理由の大部分は、スポンサー、ファシリテイター、メカニックの概念上の区別をしなかったためです。

スポンサーは、政策の変更を求めて、JFKを追い出し、主としてLindon Johnson(リンドン・ジョンソン)を仲間に入れることを欲していた人物や集団でした。

スポンサーには、CIA、アメリカ統合参謀本部、マフィア、連邦準備制度、イスラエル、反カストロ派のキューバ人、テキサスのオイルマンが含まれていました。

大統領はCIAをバラバラに解体すると脅かしていました。

大統領はベトナムから軍を撤退させようとしていました。

大統領はマフィアを取り締まっていました。

大統領はまた、財務省に合衆国紙幣を発行するよう指示していました。

これは大統領が、合衆国通貨を発行する民間銀行の連合体に、アメリカ政府が利子を払わねばならないことは非合理であると考えていたのがその理由でした。

大統領はイスラエルに、イスラエルの核兵器開発の野望に反対していました。

反カストロ派のキューバ人は大統領がピッグス湾で裏切ったと考えていました。

しかし実際には、事態がうまく行かなかったのは大統領の過ちではありませんでした。

また大統領は、テキサスのオイルマンが自分たちの神権と同種であるとみなしていた石油減耗控除を削減すると脅かしていました。

それから地上の狙撃者、監督者、調整者からなるメカニックがいました。

その中には…聞き取り不可能…George Herbert Walker Bush(ジョージ・ハーバート・ウォ-カー・ブッシュ)が含まれていたと考えられます。

実は彼が、Dal-Texのチームを監督していたのです。

また将官Edward Lansdale(エドワード・ランズテール)が、連続狙撃の狙撃者を配置し、暗殺の全てを組織していたと考えられるのです。

それからこれらを実現させた二人の重要なファシリテーターが、Lindon Johnson(リンドン・ジョンソン)とJ.Edgar Hoover(エドガー・フーバー)でした。

ご記憶されているでしょうが、JohnsonがFBIを唯一の捜査の権威として任命したのです。

彼らは二人共JFKを憎んでおり、二人共彼の排除を望んでいました。

Lindonは大統領になりたがっていました。

そして彼は首尾よく大統領になったのです。

21:15
この件をさらに追求したい人向けに、特に大学の課程という観点で追求したい人向けには、つまり私はそうした課程での研究の正当性を示す実例を示すことが出来たと信じるものですが、次の本があります。

James Douglassが書いた「JFK and The Unspeakable」(「JFKと語られざること」)です。

この本は、ケネディ政権の発足後、最初の約1,000日が経過する中でいかに大統領が一連の力を持った集団と敵対していたのかを解説しています。

21:37
「Murder In Dealey Plaza」(「デイリープラザにおける殺戮」)はDavid Mantic、Douglas Horne、その他が書いた論文集で、医学的証拠や窓ガラスを貫通した弾丸の弾道学的証拠、その他の証拠を科学的に検証した本です。

21:53
さらに加えて、ARRB(暗殺記録再検証委員会)の軍記録上級分析者であったDouglas Horneが5冊組の研究書を発表しています。

本の題名は「Inside ARRB」(「暗殺記録再検証委員会の内側」)といい、彼らが明らかにした全ての事象を読者に今日提起するものです。

オリバー・ストーンの映画「JFK」の結果として、この件に対する興味が再び引き起こされた直後に、議会によってこの暗殺記録再検証委員会は設置されたのでした。

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