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2013年11月25日 (月)

付随的被害 1/5

以下は、http://www.wanttoknow.info/911/Collateral-Damage-911-black_eagle_fund_trust.pdf#search='colateral+damage+911+ep+heidner'の日本語訳です。(p1からp12)

 

p.1
付随的被害:アメリカの秘密工作活動と2001年9月11日のテロリストの攻撃

 

2001年9月11日、大部分のアメリカ人にとって国家安全保障の定義が変わった。
全戦後世代にとって、「国家安全保障」は核攻撃からの保護を意味していた。その日、アメリカ人はこうした脅威を再定義した。2001年9月11日、3機のハイジャックされた旅客機が、多くの観察者がその機はコックピットの未熟なハイジャック犯以外の何かによってコントロールされていたと信じるほどの精確さと技術で、3つの個別のビルに衝突した。このレポートはビルが標的であったと主張するだけでなく、それぞれのビル内の特定のオフィスが決められていた標的であったと主張するものである。 それらのオフィスは、もし発表されれば、結果的に想像出来ない規模の国家安全保障機密を明らかにすることになる情報を、知らないうちに保持していた。この機密を保護することが911の攻撃の動機であった。このレポートはこの安全保障機密に関するものである:その起源と影響に関するものである。このレポートの目的は、あの日に何が正確なところ起きたのかを明確にすることではなく、911事件を理解する文脈を提供することである。

 

当初、世界貿易センターの全面的な破壊、ペンタゴンの部分的破壊、4機の民間旅客機の破壊、2,993人の生命の喪失以外には911の破壊のパターンを理解することは困難であった。しかしながら、読み取られた攻撃の目的を、テロリストの攻撃や「新しい真珠湾」という一般に示された「象徴的」記号から見直し、(政治的行動とは対照的に)特定の目的を持った単なる犯罪として見ることを始めるならば、破壊のパターンには説得力のある論理が存在することが分かる。この記事は、911の攻撃は海軍情報部(ONI)によって調査されていた金融犯罪の隠蔽工作としての意味を持っていたというDick Eastman、Tom Flocco、V.K. Durham、Karl Schwarzによる初期の主張に対する検証を提供するものである。このONIはペンタゴンにオフィスがあり、911で破壊された。1  6年間の検証を経て、このレポートは彼らの主張を裏付ける確実な証拠を提示し、911の攻撃の新しい理論的解釈を提案するものである。そうすることで、この事件を取り巻く多くの異常点‐あるいは不都合な事実‐がEastmanらの主張と一致する意味を持つことになる。このレポートの前提は以下のようなものである:911の攻撃はソビエト連邦に対する秘密の経済戦争に資金供給するために1991年9月に秘密裏に作成された2,400億ドルの債券の清算を隠蔽するためであった。その経済戦争の間に「未知の」西側投資家がソビエト産業を、石油とガスを中心として買い占めていた。911の攻撃はまた、1991年の秘密工作活動と関連する犯罪から多くの連邦政府の調査の矛先をそらす働きもした。そうすることで、この攻撃は「自身の財産を守れ」という情報機関の鉄則のもとで正当化された。2 またこの攻撃はより大きな大義のために人命を犠牲にする情報機関のやり口とも一致する。

 

細心を払った攻撃の標的選びを示す事実をペンタゴンへの攻撃の分析から始める。ペンタゴンのONIのオフィスを標的に選んだことは無作為なことではなかった– この情報は後に提示される3– との結論を下した後には、以下のように尋ねなければならない:世界貿易センターに衝突した航空機と第1ビル、第6ビル、第7ビル内部、タワー地下で爆発したと様々な目撃者によって伝えられた爆発物が、この驚くほどの大きな規模の犯罪の遂行を促進するために意図的に配置されたものであった可能性があるのかと。この疑問を考察する中で、パターンが浮かび上がってくる。Eastman、Flocco、Durham、 Schwarzが主張する犯罪が成功するには、世界貿易センター地下金庫室とその保管物が -10億ドルの金のみならず、数兆ドルの政府発行有価証券が -破壊されねばならなかった。ツインタワーにあった主要な政府証券の仲介業務を行うブローカーの重要な部分が、政府発行有価証券市場にカオスを生み出すために除去されねばならなかった。誰にも疑問視されずに、2,400億ドルの秘密債券の電子的な「清算」が可能となる状況が生み出される必要があった。- 実際にそうした状況が発生し、まさにその日の午後、連邦準備制度は緊急事態を宣言し、その「緊急事態権限」を行使した。4 一連の債券によって資金援助されていた犯罪に対して進展中であった連邦政府の調査は、第6、第7、第1ビルにあった証拠が破壊されたことで、終焉あるいは中断されねばばらなかった。5 最終的には、以下の信じられないことを理解し、実証することになる: 2,400億ドルの秘密の、おそらく非合法である政府の資金援助が1991年9月に生み出されたこと。このパズルの最後のコマを埋めるには、アメリカ合衆国の主要な金融機関の50年の歴史を理解すること、どのようにしてアメリカの情報機関が彼らの簿外の口座の主要な源になったのかを理解すること、そしてなぜこれがTruman以来の全ての大統領によって是認されたのかを理解することが必要とされる。6 そうして、政府指導者と諜報活動員に3,000人の市民の死をもたらした決定の「合理化」を可能とした動機のパターンが明確にされる。

 

 

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世界貿易センター
世界貿易センターには3つの大きな証券ブローカーがあった:Cantor Fitzgerald、Eurobrokers、Garbon Inter Capitalである。9月11日の朝、8時46分に11便がノースタワーのCantor Fitzgeraldがあった階の真下に衝突した。Cantor Fitzgerald は全米最大の証券ディーラーであり7、おそらく間違いなく主要な標的であった。8

 

その直後に、ノースタワーの25階のGarbon Inter Capitalと23階のFBIのオフィスの真下で大きな爆発が、また第1タワーの地下でも、大きな爆発が発生した。爆発により22階から25階までが猛火に包まれた。9 8時47分に22階での炎が伝えられた。10 その後、間もなく、9時03分に175便がサウスタワーのEuro Brokersがあった階の真下に衝突した。(42ページの表を参照。)これら3つの事例において、爆発、炎による破壊が上の数階のオフィスを焼き尽くした。9時37分に77便が、ペンタゴンの新しく改装された部分に移動した数少ないオフィスの一つを標的として、ペンタゴンに衝突した:それは海軍情報部であった。11 海軍情報部の職員は金融取引の調査をしていた。このレポートのおいてはこの金融取引と、世界貿易センターにあり、標的とされた一連の証券ディーラーが運用していた有価証券との関連を示していく。12 幸運なことに、他の大部分の機関はペンタゴンの標的となった部分に移動してはいなかった。ツインタワーの犠牲者の41パーセントがアメリカ政府発行証券を運用していた2つの企業の従業員であった:その2つとはCantor Fitzgeraldと Eurobrokersである。13 ペンタゴンの125人の犠牲者の31パーセントが海軍情報部のあったNaval Command Centerの職員であった。海軍情報部の40人の職員中39人が死亡した。世界貿易センターのタワーの地下金庫室にあった債券の証明書は破壊された。14

 

様々な主張により時間は異なるが、9時00分から9時30分の間のいずれかの時点で、第7ビルから人々は避難していた。いずれかのタワーが崩壊する前に、炎と爆発がビル内部の多くの場所で自然発生的に始まった。こうした観察結果は、火災についての公式説明が崩壊するタワーから飛来した物体が災を発生させて火災が始まったというものであるため、重要である。ビルから逃れた目撃者は火災が既に始まっており、死体も見たと主張している。15 ビルは最終的に破壊され、その方法は今では多くの非公式の観察者が制御解体であったと信じている。第7ビルはこの歴史と関連した金融犯罪の捜査に重要な以下の機関を収納していた:

 

 

アメリカ輸出入銀行      6階

 

アメリカシークレットサービス 9階、10階

 

証券取引委員会        11階、12階、13階

 

国税局            24階、25階

 

CIA             25階

 

国防総省           25階

 

そのオフィスの第三の人物、アメリカシークレットサービス特別捜査官David Curranによれば、「私達が第7ビルに保管していた、全ての事案の証拠が、ビルと共に破壊されました」という。「私達は私達がシークレットサービスとして使用するネットワークを、全てのコンピューターを、全ての装備を失いました。私達が使用するマシンガンからショットガンから電子装置まで全てです。」そのビルを失った結果として多くの事案を終結せねばなりませんでした。16(追加された参考資料の注を参照)

 

こうした最中に、タワーが瓦礫の中に埋まる前に、第6ビルが内部からの爆発により破壊された。17 災害の調査を受け持つFEMAはこのビルに関するデータを収集しなかった。第6ビルはアメリカ関税局と、1992年に創設された55の機関を仲介し、マネーロンダリングを調査する機関であるEl Dorado Task forceの所在地であった。El Dorado Task forceは全米の主要なマネーロンダリングを統合する担当機関であった。911の直後に、これらの集団はテロリストへの資金援助の捜査を再任命されることになった。18 同日、証券取引委員会は国家緊急事態を宣言し、アメリカの歴史上初めて証券取引法第12項(k)に基づきその緊急事態権限を行使し、続く15日間証券取引の清算、決算に対する規定の制約事項を緩和した。こうした変更により2,400億ドルの秘密の政府証券は、所有者の認定をめぐる通常の規定された規制なしで、満期で清算されることが可能となった。19 (これが成し遂げられたやり方はこのレポートの後半で説明される。)

 

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ペンタゴン
その日旅客機の直接攻撃を被ったペンタゴンの海軍情報部は、疑いなく、破壊のために選ばれた標的であったことに留意しなければならない。これが事実であることを示す点が数多く存在する:

 

· アメリカ軍のコマンドセンターと国防長官の執務室はペンタゴンの北に面した部分、River面とMall面に位置していた。20 これは公式な情報である。充分に計画された攻撃においてはこれらの面のいずれかが主要な標的であったはずである。911に責任がある人間達は3年近い時間をかけ自分達の攻撃を計画していたことを思い出す必要がある。彼らの標的と方法は無計画なものではなかったのである。

 

· 攻撃されたペンタゴンの西に面した部分は2年近くにわたり改築されていた箇所であり、そこが明確な理由によって標的とされたのでない限り、標的とは考えられない。

 

· Naval Command Centerはそのペンタゴンの新しく改装された部分に1ヶ月前に移動していた21;

 

· 攻撃した航空機は、北西から接近した後に270度でペンタゴンの周りの旋回飛行をしたのであれ、西から接近し360度の旋回飛行をしたのであれ、いずれのシナリオであっても、ペンタゴンの西側に衝突するには多大な労力を払った。いずれのシナリオであっても、付け加えられた旋回飛行が、余計な飛行時間のために防衛システムが攻撃する航空機を迎撃可能となる機会を生み出し、ハイジャック犯はこの曲芸飛行を遂行することで撃墜されるかなりのリスクを負うことになる。22 (図1、2を参照)

 

· 図1で見られるKoeppelによる接近航路をよく見ると、攻撃中の接近航路はホワイトハウスの真上を飛行し、主要な標的と考えられる標的を迂回し、ペンタゴンの無価値と想定される部分に向かっている。国家運輸安全委員会が示したもう一つの接近航路では、旋回飛行の際の余分な距離のため、真っ直ぐに飛行を続けておれば、ホワイトハウスか議事堂のいずれかに衝突が可能となっていたことになる。

 

· 海軍情報部の職員であったと主張したDerek Vreelandは攻撃の数週間前に攻撃を予測していた23;

 

· ONIは複数の情報筋により、1989年から1991年の非合法取引を文書で示すファックスのコピーを漏洩した責任があったと考えられている。24

 

3

 

図1(上)は2つの旋回飛行の航路を示している。左は、元空軍パイロットSteve Koeppel25 が地図で示した航路であり、右は国家運輸安全委員会が示した公式の接近航路である。26

 

 

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図2(下)はONIに衝突する西側からの接近航路を示し、北側から接近する直接の航路では初めにある主要標的であるMallと River入り口を度外視している。

 

4

 

77便はペンタゴンの空の部分として知られていたはずの箇所に正確に衝突するために、3つの主要な標的(ホワイトハウス、議事堂、ペンタゴンの北面のコマンドセンター)を「通過」したのだろうか。「たぐい稀な技術」を持っていたと説明されたパイロットは、数年の計画の後に、無価値な標的に衝突したのだろうか。パイロットは自分が衝突を望んだまさにその箇所に衝突したと想定すべきであろう。 サウスタワーとペンタゴンに衝突した航空機は正確に標的に衝突するために、最後の最後で曲芸飛行を果たしたのである。攻撃可能な標的が数多くある中で、なぜこれらの標的を選んだのであろうか。

 

アメリカ人の大多数にとって、あの日に関する答えられていない疑問は数多くある。そうした疑問の多くは答えられていないが、WTCの特定箇所が経験したただならぬ破壊とペンタゴンの特異な標的選びは、全てEastman、Durham、 Flocco、Schwarzの主張の鍵となる箇所の意図的な破壊のパターンを裏付けている。大部分のメディアの報道は、一連の攻撃の背後にはOsama Bin Laden がいたというアメリカ政府の主張に従ったものであるが、海外メディアはAl Qaedaの背後にあった「本当の力」は分かっていないと示唆する報道を提供していた。27 見ていくように、この攻撃の背後にあった金融の力は一連の債券を生み出したのと同じ力であり、またAl Qaedaに資金援助したのと同じ力であった。

 

世界貿易センター攻撃の起源
大多数の歴史家は911の歴史を、Osama Bin Ladenが fatwa(死刑宣言)つまり jihad(聖戦)をアメリカに対して宣言し、Mohammed Attaが率いる「Hamburg Group」がAl Qaedaにサービスを「申し出た」と伝えられる1998年に遡る。28 しかしながら、911の攻撃の動機を特徴付ける歴史はさらに以前にまで遡る。WTCへの攻撃の原因を取り巻く疑問に対する答えは、George H.W. Bushが大統領であった1990年あるいは1991年にまで遡る出来事の中に見出すことになる。

 

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この期間の活動について知ることは、かなりの部分が、George H.W. Bushの息子、George W. Bushが2001年11月1日に発令した大統領命令13233によって隠されている。この大統領命令には、一般市民の過去の大統領の記録を見る権利と国家安全保障を保護する必要との均衡を保つ意図があった。結果として、1990年と1991年の活動を明らかにする可能性のある公式記録は国家安全保障とそれを支持する人間の利益のために一般のアクセスから保護されたままである。そのため、この1980年代後半から1990年代初頭の出来事の再構築はニュース報道、書物、記事に基付いている。

 

公けの記録が示唆するのは、1989年に第一期Bush政権が始まった際George H.W. Bushがソビエト連邦の崩壊をもたらすための秘密裏の経済的戦争プログラムを起動させたということである。このプログラムの名称は、その出資金が隠されている「第三世界投資プログラム」であり数十億ドルの秘密工作活動と以前は伝えられていた、Project Hammerであると考えられる。29 このプログラムは以下の4つの秘密工作活動からなっていた:

 

1)ソビエトの資産の盗み
2)ルーブルの通貨不安定化
3)Gorbachevに反対する1991年8月のKGB将校のクーデターへの資金援助
4)ソビエト連邦の主要なエネルギーと防衛産業の乗っ取り

 

当初、このプログラムはBush副大統領が作成し、Ronald Reagan大統領がサインした複数の大統領命令によって規定された通りのアメリカ政府の政策的枠組みの範囲内で実施された。この計画は当初ReaganのCIA 長官であったWilliam Caseyによって立てられていたと信じるに十分な理由がある。第二次世界大戦の最中、Casey はヨーロッパでOSSの指揮を取る前、Board of Economic Warfareで働いており、彼の役割は「Hitlerの経済的急所を特定し、どうすればそこを締め上げることが可能かを調べること」であった。30 この計画の工作員の多くはおそらくCIAや国家安全保障のチャンネルを通じて関与したと思われる。しかしながら、Bushの閣僚が得た経験やIran-Contra やFerdinand Marcosの金工作(これらについては短く説明する)の際に民間部門のカウンターパートが得た経験の結果、この計画の実施には以下の2つの新しい条件が付随することになった:

 

1)議会によって承認されていない方針に秘密裏の非合法的資金を用いることを受容されたままとすること。George H.W. Bushのもとで、秘密裏の工作活動は議会の監視から見逃され、免罪されることが可能とすること;

 

アメリカの一般市民と彼らの議会での代表が自分達の生活に気を取られており、海外の土地で起きることに、たとえそれらの行動が法や憲法を侵害するとしても、気にかけないこと。

 

Iran-Contraスキャンダルの際にアメリカ合衆国憲法を覆し、国際法を破っても重大な結果とならなかったことに勢いを得て、「Vulcans」として知られるBush政権の集団は共産主義の精神を徹底的に叩き潰すさらに大きな行動を計画した。この集団はローマ人の戦争の神– Vulcanにちなんで、自分達にこの名称を与えていた。彼らはGeorge H.W. Bushのもとでソビエト連邦とイラクに対して、George W. Bushのもとでイラクとアフガニスタンに対して戦争を仕掛けた。この集団に属する者は31 以下である。

 

· Dick Cheney
· Don Rumsfeld
· Colin Powell
· Paul Wolfowitz
· Richard Armitage
· Condoleezza Rice

 

Vulcanの冷戦を終結させる行動は議会の監視には見えない秘密の軍資金によって支えられていた。32 この軍資金は以下の複数の名称で知られることになる:Black Eagle Trust、Marcos gold、Yamashita’s Gold、 Golden Lily Treasure、Durham Trust、 Project Hammerという名称である。 33 これらの同じVulcansメンバーが2000年にGeorge H. W. Bushの息子のGeorge W. Bush大統領の政権で、権力の座に戻ることになった。

 

Vulcansが実施したこの秘密裏の工作活動は‐控えめに見ても‐有価証券詐欺、マネーロンダリング、海外腐敗行為防止法の侵害行為の可能性を伴っていた。34 数多くの状況において、殺戮、偽りの拘束が後悔の念にかられたこの計画の参加者が話を一般に公開することを防ぐ取り組みの主要な柱であったと考えられる。35 ソビエト連邦の崩壊をもたらすという‐その目的を達成する一方で、このプログラムはまた同時に、アメリカの納税者の費用を使って、この方針を実施した個人の懐を潤したと考えられる。これは秘密の非合法と言われる債券での2,400億ドルという巨額な規模でなされたのであった。この債券は911の余波の中でアメリカの納税者によって裏付けられた中期国債と摩り替わっていたと考えられる!

 

 

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17年後の2008年に、一連の秘密債券から直接利益を得た個人的金融帝国の利益は数兆ドルになっているに違いないが、それらは正当には様々な市民の財産である。Putinの選出した新興財閥の追放はこの話と一致する。

 

この冷戦を終結させるという当初の国家安全保障の目的を達成するために利用された秘密債券は最終的に世界貿易センターのブローカーの地下金庫室に行き、2001年9月11日に破壊されたのであった。36 それらは9月12日に清算と決済の満期が訪れた。これらの債券を調査していた連邦政府関係機関‐海軍情報部‐は911で破壊されたペンタゴンの部分にあった。37 1991年の経済的冷戦の勝利に関与した国家安全保障の上級関係者の主要集団にとっては、WTC、ペンタゴン、4機の旅客機、人々は冷戦の終結における「付随的」被害となるのであった。彼らの死は、Black Eagle Trustの存在やそれが50年以上にわたり資金供給してきた秘密裏の活動の存在を隠すために、必要であった。一連の出来事を別の観点で見ると、彼らの命やビルの破壊は、1980年代にしばしば「Enterprise」と称されたが、依然として影に潜んでいる実業家と犯罪者の仲間意識や兄弟意識によって継続されている無法状態を隠蔽する工作の構成要素であったことが示されることになる。

 

軍資金
一連の債券とその資金源の話は数年の間にインターネット上で発表されており、38 この債券自体が訴訟や刑事手続きの渦中にあるものの、この話は実際には信頼が得られてはいない。一見した所インターネット上の冷戦に関する伝説の類とみなされる話の起源を理解しようとすると、歴史が1991年9月に実際にGeorge H.W. Bush とAlan Greenspanが、ソビエト連邦の経済に対する攻撃を通じて冷戦を終結させるというより広範囲のプログラムの一部として、ソビエト連邦の買い占めに債券で2,400億ドルを資金提供したことを示唆している。さらに、George H.W. Bush大統領はソビエトの経済の特定部門を乗っ取るために数多くの関連した秘密工作を開始していた。そして10年後の2001年に一連のプログラムは最終的にアメリカの政策発案者のもとへ戻ってきたのであった。一連のプログラムの全てではないとしても、大部分が法の境界線の外側にはみ出していたと考えられる。結果として、英国、スイス、ロシア、カザフスタン、フィリピンの捜査機関が議会とアメリカ司法省に、海外の裁判所では犯罪活動と見なされた、一連の秘密活動に資金提供するために利用された銀行の口座を明らかにするべく圧力を加えていた。Alan Greenspan、財務省、アメリカとヨーロッパの主要な銀行は、金価格操作つまり非合法的金販売で訴えられていた。この金価格操作の起源は、この戦争を仕掛けるために用いられた秘密の軍資金にあると考えられる。39 同時に、Marcos体制の大量虐殺の生存者による訴訟と親イスラエルロビイストの影響下にあったアメリカ議会が、スイスの銀行業カルテルに公開調査のためにその金塊の記録の明らかにするべく圧力を加えていた。調査の際のこれらの銀行による全面公開は、1980年代と1990年代初頭の大規模な金融詐欺の一部へのアメリカ政府の共謀を、無数のアメリカとイギリス政府機関のよる50年にわたる金塊の盗みと共に、大きく明らかにする結果となっていたであろう。さらに、これらの口座に対する調査はBlack Eagle fundとして知られる国家安全保障の秘密と第二次世界大戦以降の実質的に全ての秘密工作活動を明らかにするものでもあろう。一連の調査を終結させ、そのような情報の公開を防ぐことが、WTCとペンタゴンの破壊の唯一の目的であった。

 

このような調査と法的圧力は1997年に蓄積が始まり、1998年2月にOsama Bin Ladenが fatwaを宣言し、Attaが911の攻撃の計画を始めたのであった。この1998年になされた世界貿易センターの攻撃をもたらした決定を理解するには、歴史を遡り、一連の銀行家や政府関係者が直面していた情報公開の規模を理解しなければならない。Attaが開始した計画に先立つ10年前、ソビエト連邦に対する経済的戦争の計画が始まっていた。この秘密戦争の資金源は第二次世界大戦の終わりにまで遡るが、その軍資金の規模が1991年のソビエト連邦に対する攻撃を実行可能とするほどの規模になるのは1986年になってからであった。この資金源を理解することは、なぜ2001年に世界貿易センターが破壊されたのかを理解する上で決定的に重要である。

 

数多くの情報筋が第二次大戦の終わりに、大日本帝国の財宝がフィリピンでGeneral MacArthurのchief of Intelligenceであった、General Charles Willoughbyの部下によって発見されたことを文書で示している。その後Golden Lily Treasureとして知られることになる、この大量の富は50年を超える間の東南アジアや中国で日本軍の略奪により蓄積されたものであった。それはアメリカの潜水艦による日本封鎖のためにフィリピンに蓄えられていた。報告は異なるが、公有財産にある文書は回収された財宝は、宝石やダイヤモンドを含めず、金で280,000トンを超えていたことを示している。40 戦後、そのstaff member直属の部下であったEdward Lansdaleと Severino Garcia Diaz Santa Romana は山下奉文陸軍大将の運転手であった‐小島香椎少佐を拷問し、金のありかを吐かせ、地図を作らせた。41

 

 

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LansdaleがAssistant Secretary of WarであったJohn J. McCloyにこの発見についてブリーフィングすると、その金を没収し、その発見を隠蔽するアメリカの閣僚レベルでの決定がなされた。この金はBlack Eagle  トラストに加えられることになった。Black Eagle トラストを創設したのは、Secretary of the Navy であったRobert B. AndersonやSecretary of War であったHenry L Stimsonと並んで、McCloyであった。42 John McCloyはAdolph Hitlerと1939年のオリンピックでボックス席を共にしたことがあったが、世界銀行の総裁になった。Robert Andersonはイギリスの西インド諸島のCommercial Exchange Bankを運営することになり、非合法的な銀行業務と脱税で有罪判決を受け、刑務所送りとなった。43 その集団の第4のメンバーであった – William ‘Wild Bill’ Donovan – はCIAを創設することになり、この金を彼の部下が代表となっていた主要な銀行に分配し、CIAの秘密工作活動での主要なパートナーとしてAIGを設立した。

 

第二次大戦に始まるアメリカ情報機関の商業銀行業への関与
7

 

p.8
アメリカの情報機関の銀行業の歴史
(Black Eagle Trust とGolden Lily という起源から)
8

 

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彼らが創設したトラストは第三帝国の金の延べ棒に刻印されていたナチスの黒い鷹からその名称を取っている。第三帝国から没収された金塊はその正当な所有者やその相続人には返還されず、このトラストの資金源となった。44 長年にわたり、このナチスの金の意義は日本の財宝と比較すると劣っていた。資金は増大するにつれて、100を超える全世界の個人口座に分配され、Trumanから Clintonに至る全ての大統領の財政顧問であったGeneral Earle Cockeによって、彼が死ぬまで管理された。45 これらの口座を管理していた大多数の人物はかなり以前に死亡しており、それらの相続人による口座へのアクセスの試みは強固な拒絶、偽りの拘束、あるいは疑わしい状況での死に直面してきた。Santa Romanoの相続人はその一つの例である。46 Mrs. V. K. Durhamはそうした人間の一人である。彼女の夫、Colonel Russell HermanはDurham Trustを管理していた。このレポートはしばらく彼らの話に戻ることにする。

 

ナチスと日本の財宝の金の没収を開始し、実施した担当者達は第二次世界大戦末期のアメリカと英国の最上級の情報将校とアメリカ合衆国の大統領の閣僚を代表している。Office of Strategic Services(戦略諜報局) – OSS -でのこうした意思決定者は以下であった:

 

 

· Wild Bill Donovan、第一次世界大戦で最も勲章を受けた兵士で、OSSの長官であった。彼の部下には以下の人物が含まれていた:

 

· Allen Dulles、将来のCIA長官で、Bank of New Yorkの社長、Brown Brothers, Harrimanの法律上の代表者。47

 

· Henry S Morganと Spencer Morgan。Henryと Spencerは JP Morganの息子であったが、金融帝国を運営する業務から戻ったのであった。この帝国はJP Morganに端を発し、‘Morgan and Chase’、‘Chase Manhattan’へと発展し、最終的には2008年にChaseとして知られることになる。

 

· Paul Helliwellはアメリカの情報組織の秘密工作活動の主要な銀行家となり、Nassau Castle Bankを設立し、その後Mercantile Bank and Trustを設立する。Castle Bankが閉鎖しなければならなくなった際に、彼はNugan Hand Bankを設立した。Nugan Hand Bankが閉鎖した際、彼はその銀行業務をIllinois州ChicagoのHousehold Bankと悪名高いBCCI 銀行に移す支援をした。彼を代表する表向きの人物がBill Donovanの知人、General Earle (別名Erle) Cockeであった。48

 

· General Earl Cockeは2000年に死去するまで、Trumanから始まる全ての大統領の金融アドバイザーとなる。Cockeは古典的な意味での真のアメリカの英雄であった:Silver Star、4つのBronze Star、4つのPurple Heartの受賞者であった。彼はまた、ソビエト連邦の転覆とソビエトの石油とガス資源を西側投資家の管理の下に置こうとする企みのために用いられることになるBlack Eagle FundとProject Hammerの調整者でもあった。

 

· George S Moore;Citibankへと発展することになるFirst National City Bank of New Yorkの将来のPresident 、CEO。Citibankは116,000トンを超えるMarcos の金の後始末をした。49

 

· General George Olmsted;もう一人の第二次世界大戦の英雄で、後にアメリカ軍の軍事援助を分配する責任者となる。その後International Bankとして知られるWashington DCに活動拠点を置く銀行持ち株会社のPresidentとなり、CIAが所有するバハマのMercantile Bank and Trust を引き継いだ。50 Olmstedの指揮の下で、International Bankは当時First Americanとして知られていたFinancial General Bankshares (FGB) をBCCIに売却した。51

 

· William Colby、将来のCIA長官、Helliwellが所有する秘密工作銀行の弁護士。

 

· William Casey、勲章を受けた第二次世界大戦の退役軍人、将来のCIA長官。
Caseyは1945年にPaul Helliwellから、OSSのヨーロッパの“Secret Intelligence Branch”を引き継いだ。52

 

これらの人物が「戦争装置」を生み出すために働いたOSSの中核を形成しており、53 実質的に彼ら全員が世界の最も重要な銀行において支配的役割を演じることになった。

 

British Special Operations Executive(SOE)からは、Jardine Matheson BankのJohn Keswickと William Keswickが参画し、OSSを支援した。54

 

Keswick 一族はまたHong Kong Shanghai Banking Corporation (HSBC)も支配することになった。55 50年後に、これらの人物が代表する金融機関は、彼らが自分達の金を隠したスイス‐ドイツの銀行と並んで、世界の主要な金融銀行となるのであった。

 

Lansdaleと Santa Romanaが財宝の回収を受け持つことになった。彼らは金の大部分が埋められていた土地を没収し、その後採掘するために、Hukbalahak の反乱による「共産主革命」をでっち上げた。56 いくつかの埋蔵地はClark 空軍基地上にあった。57  年月が過ぎると、Zurich のLansdaleの個人口座は30,000トンを超えるほどに増大し– いかなる近代国民国家の国庫よりも巨大な規模になった。Santa Romanaは複数の口座を持っており、最大の単体口座は20,000トンと見積もられていた。これらの口座は彼らの名前で開設されたものであったが、時が過ぎるにつれ、これらは実際には政府の口座であったことが示されることになった。参照基準として記すと、世界の金の年産量は1,200 トンと見積もられており、1980年のアメリカのFort Knoxにおける金の貯蔵はわずかに8,221トンを保有するのみであった。1980年以降はFort Knoxの金保有を示す公式報告がない。

 

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David Guyatt 、Sterling Seagrave、Peggy Seagraveによれば、Yamashita goldは
Black Eagle Fundの基盤となり、そこからアメリカの情報筋が関与した多くの秘密工作活動は資金提供を受けることになったという。58 最も一般的な国際法の解釈は金は(ナチスの金に対してなされたように59)それが盗まれた国に返還されるべきであると、あるいは米国財務省に取り入れられるべきであるというものである。明確な言い方をすれば、アメリカ政府のこの件に関するニュースを抑圧しようとの継続した取り組みはこの金の没収が非合法であった明白な証拠を提供するものである。

 

Lansdaleのフィリピンでの工作活動はアメリカ情報筋が関与する現代の秘密工作活動に共通する多くの特徴を生み出した:つまり賄賂、窃盗、拷問、偽旗作戦である。アメリカの情報組織とイスラエルの情報組織の間のつながりを創出することになったのはLansdaleであったと思われる。情報組織がアメリカの犯罪組織の働きを保持する先例を示したのはLansdaleであったと思われる。Lansdaleは1961年のFidel Castroに対するアメリカの戦争の際に、アメリカのマフィア一族のボス、Carlos Marcello、Santos Trafficante、Meyer Lansky、Lucky Lucianoを雇うことになった。彼がイタリアのマフィア一族を雇って、イタリアの共産党に対する非合法工作活動を仕掛けたのと同様であった。

 

 

「…Lansdaleの雇ったギャングはまさしくFBN(連邦麻薬局)が追っていたギャング--Carlos Marcello、Santos Trafficante、Meyer Lansky、Lucky Luciano …であった。CIAとのつながりは、もちろん、‘Wild Bill’ Donovanが率いたかつてのOSSと同組織がLucky Lucianoとコルシカ島人マフィアを登用し、マルセイユや地中海沿岸の他の場所の共産主義者労組の港湾労働者を打ちのめし、殺戮し、シチリア島を共産主義者から奪い返したことに始まるものであった。CIAの承認を受け、麻薬密売を活動の資金源として利用しながら、マフィアはアメリカへの麻薬供給ルートのお膳立てをした。多くのFBN(連邦麻薬局)の活動は麻薬の供給源をマフィアに遡っているが、一方レバノン、 トルコ、 アフガニスタン、中東のいずれかの場所を経由した供給は、国家安全保障上の理由による極めて強力なCIAの介入によって、ただ阻止されるばかりであり、捜査は終了することになる。」60

 

海外の地の侵略を支持するアメリカ市民の同意を集めるために、無辜のアメリカ市民を犠牲にすることを提案し、それを正当化したのはLansdaleのチームであったと思われる。これはCuba projectのためにLansdaleに仕えた陸軍准将William H. Craigによって運営されたプログラムのもとでなされた。61 このプロジェクトはOperation Northwoodsと呼ばるものであった。このプロジェクトを示す文書は40年程過ぎた後にRobert McNamaraのファイルから誤って一般に公開されることになり、Lansdaleの配下の工作員は戦争を仕掛けるほどであったことを明らかにした。62 これらの文書において、アメリカ軍はキューバへの第二の侵略を正当化するためにアメリカ市民に対して「テロ」キャンペーンを仕掛けることもあることを認めていたのであった。これはアメリカの情報工作活動がテロリストの戦術を用いたことをはじめて公式に認めるものであった。

 

Fidel Castro を狙った暗殺班のお膳立てを監督していたのは、Floridaからではあったが、Lansdaleであった。暗殺ビジネスにおけるLansdaleの弟子の一人がTed Shackleyであり、Operation Phoenixのもとでベトナムでの暗殺班のお膳立てに取り掛かることになった。63 ShackleyはCuba Projectからベトナムを支援する秘密戦争のために、Felix Rodriguezを従えてラオスに行くことになった。Felix Rodriguezは元CIA長官George H.W. Bushの腹心の友であり、BushがRonald Reaganのもとで副大統領になった時にも、Bushと直通電話で連絡する関係を維持した。64 アメリカの情報機関が資金提供していたIran-Contraの兵器弾薬密輸のパイロットがニカラグアで撃ち落とされた時に、George Bushに電話し、パイロットが生きたまま捕らえられたと彼に知らせたのはRodriguezであった。 ベトナムで、ShackleyとRodriguezは自分達の工作員のサークルを拡張し、Oliver North、Richard Secord、Richard Armitageを含むまでになるのであった。North、Secord、Armitageは自分達がルールの外側で活動することで共産主義者を相手に「好成績を挙げる」ことが出来る人間であることを実証していた。彼らがアメリカの秘密工作活動指導部の第二世代をもたらすことになった。これらの人物が自分達の国の軍務で育成した「是が非でも」という熱意はアメリカ軍事裁判所におけるMai Lai の大虐殺の裁判では、許容不可能であるとの判決を受けた。65 しかしWild Bill Donovanが生み出した「戦闘装置」によって放免された。

 

東南アジアにいる間に、North、Secord、Armitage、Rodriguez、Shackleyは自分達の工作活動に対して、議会の監視下にある資金によってではなく、オーストラリアのNugan Hand bankを通じて資金提供することになった。66 Nugan Hand Ltd. は1973年にSydneyで(世評ではマフィアと関係があると言われている)オーストラリア人弁護士Frank NuganとPhoenix Projectの一環として北ラオスでの活動経験のある元アメリカ軍グリーンベレーのMichael Jon Hand によって創設された。彼らは創設の際、当初のYamashita gold の回収作戦行動における主要なOSS職員の一人であった、Paul Helliwellにより支援を受けていた。67 Frank Nuganの一族はフィリピンのアメリカ海軍基地とオーストラリアの間の主要生活必需品の輸送業務を行っていた。68

 

p.11
Marcosの財宝の一部の流れについて洞察が得られるのは、Frank Nuganと彼のビジネスパートナーであったPeter Abelesを通じてである。Peter Abelesはオーストラリアでハンガリー人マフィアとして知られる集団のメンバーであり、Henry Keswickのパートナーであるとの評判を得ていた。Sir Henry KeswickはSOEの将校John Keswickの息子であった。Keswickの一族はJardine Mathesonの 支配的過半数株式を持っていた。Jardine Mathesonは1970年代中盤に始まった、Ferdinand Marcoの金の精錬事業所を所有し、操業していた。69 Keswickの一族はまたHong Kong and Shanghai Banking Corporation (HSBC)の支配的過半数株式も持っていた。Citibankが没収された財宝の最大の受け入れ口となるのであるが、このHSBCはSanta Romanaの判明している金の口座の最大の保管者であった。70 Romanaが死亡した時、この銀行は彼の口座を彼の相続人に譲渡することを拒み、彼の口座を没収した。71

 

カナダ人実業家Peter Munkを1967年のカナダでの恥ずべきインサイダートレード訴訟から表舞台のビジネスに連れ戻したのはPeter AbelesとSir Henry Keswickであった。Munkは 最終的にBarrick Goldへと発展する一連の業務において、Adnan Kashoggi、Sheik Kamal、Edgar Bronfmannと提携を結ぶことになった。72 Barrick GoldはMarcos の金の回収と関係するほとんど全てのブリオンバンクの投資者となった。

 

こうした銀行がBarrickに、借りた金は彼らの金採掘事業と置換されるとの契約で金を貸付けると、Barrickはその借りた金をデリバティヴとして販売するのであった。こうした取引の多くを示す記録は、Enronが崩壊し、取引業務とその全ての記録がMarcosの金のもう一つの主要な受け入れ口であったUBSに引き継がれた際に、消失した。報じられる所によれば、FBIはこうした取引に対して捜査を実施しており、その捜査ファイルはWTCのノースタワーの23階に保管されていたという。911に関する一人一人の話を再調査すると、WTCの崩壊の前に爆発物によってオフィスが意図的に標的とされていたことが示唆される。73

 

Nugan Hand BankはMarcosの金をフィリピンから秘密工作活動に移転するために利用された多くの銀行の一つとなった。陸軍准将Earle CockeはNugan Hand のWashington支店を受け持つPresidentであったが、Project Hammerと Black Eagle Trustの主要な管理者となった。アメリカの情報工作活動出身のNugan Hand Bankの従業員には以下の人物が含まれていた:

 

 

· General Leroy J. Manor(Manila支店の支配人)U.S. Pacificの元chief of staff;対暴徒特別活動のCommand and deputy director;Marcosの義理の兄弟とオフィスを共有していた;

 

· General Edwin F. Black(Hawaii支店のpresident)タイの米軍の元司令官

 

· Richard Secord(Iran-Contra、ベトナムでの暗殺を全面的に受け持った工作員、アフガニスタンと中央アジアでMujahadeen(イスラム戦士)軍を創設した);

 

· Dale Holmgreen(CIAの所有するCivil Air Transportのchairman 、Taiwan支店の支配人);

 

· Richard L. Armitage(タイでのペンタゴン特別コンサルタント、インドネシアからテヘランのShackleyの口座へのヘロイン利益の譲渡を監督した);

 

· William Colby (弁護士でありCIAの元長官);

 

· Rear-Admiral Earl P. Yates、Policy and Plans of the U.S. Pacific Command の元Chief of Staff、対暴徒活動の専門家、同社のpresident となった;

 

· Walter McDonald(引退したCIA副長官、Annapolis支店の代表);

 

· Dr. Guy Parker(RAND Corporationの専門家、銀行コンサルタントとなった)
共和党の外交政策の上級アドヴァイザー;

 

この銀行はアメリカの秘密工作活動のための資金調達部門としてオーストラリアで創設されたものであり74、またMarcosの金のルートでもあった。この「銀行」の目的の一つはオーストラリアの労働党政府を早期に終焉させることであった。Whitlam政府は静かにアメリカ企業の子会社を国有化する恐れがあった。

 

「その後の調査によりNugan-Hand bankはTask Force 157という工作活動の隠れ蓑として利用された組織であることが確定した。Task Force 157 は Henry Kissingerによって設置された集団であったが、極めて奇妙な方法で設置された。
それは小型CIAであったが実際にはCIAから分離しており、おそらくKissingerがTask Force 157が行っていたこととCIAの間のつながりを否定出来るように、Kissingerによって設置されたのであろう。それでも、Task Force 157の要員にはCubaに対するサボタージュ工作のリーダーの一人であり、ベトナム戦争の際のサイゴンのStation Chiefであり、CIAの西半球部局の局長であったTed Shackleyが含まれていた。つまりこのように彼とCIAが行っていたことを切り離すことは極めて困難であることを示す申し分のないCIAの記録があるのである。Task Force 157の構想には2つの要素があったと考えられる:第一に、Whitlam政府に対する工作活動を仕掛けること。そして第二に、武器取引や禁制品の密輸のようなある種のアメリカの工作活動の拠点としてオーストラリアを利用することを強行することである。」75

 

 

p.12
Nugan Hand Bankは1980年1月、Frank Nuganの未解決の殺害あるいは自殺の数日後に閉鎖した。彼の死亡の理由は特定されていないが、その当時、この工作活動は露呈する危険性があった。

 

「国家安全保障局の元副長官で、CIAの副長官でもあったBobby Inmanは2つの場面で 、Nugan-Handに対する調査がWhitlam政府(オーストラリア労働党政府)に対して仕掛けられた一連の汚い手口を明らかにすることになるのではないかとの深い懸念を表明した。」76

 

(足跡を隠すために殺人を用いるというアメリカの情報機関の手口は、このレポートでのちにIran-ContraとOctober Surprise事件を再検証する際に、さらに実証される。)
John HandはFrank Nuganの死の数日後に行方不明となり、再び姿を現すことはなかった。銀行業務はIllinois州ChicagoのHouseHold Bankに移されたが、そこはWilliam Colbyが非公式のアドバイザーとなるのであった。そして、Herman Skolnickによれば、Household BankはNugan Handの業務を継承することになったという。

 

その役割には、秘密工作活動の資金の移転、暗殺チームへの資金提供、麻薬の横取り、ギャンブル、密輸品の武器火薬類の略奪があった;軍人、民間人、多国籍の人間が関与していた。「退役」あるいは「休暇中」と想定される、情報機関の職員と並んでアメリカの軍人、司令官、将軍が、Nugan-Handを操業しており、その後Householdとその無数の関連部署や従属会社を支援した。この「マネーを追跡する」プロジェクトは、伝えられる所によれば元々はArkansasを拠点とする業務を受け持つ子会社であり、銀行業務コンピューターサービス会社であったSystematicsの支援を受けて、Household Internationalによって全般的に実施されたという。対象となったのは友人側と敵対側の双方の銀行であった。(Vince) Fosterと彼のチーム --Hillary (Rodham Clinton)と Webster (Hubbell) --は自分達がSystematicsの「弁護士」と想定されるという隠れ蓑を利用した…ここでのVincent と Hillaryの役割はChicagoを拠点とする法律会社Hopkins & Sutterによって調整され、監督されていた…77

 

Household Financeの多くの部門はその後間もなくHarris Bankに吸収合併され、Harris BankはBank of Montrealに吸収合併された。Bank of MontrealはBronfmann一族によって支配されることになるが、Bronfmann一族はBarrick Goldに大規模に投資していた。スイスの銀行カルテルと1998年に取引を結び、ホロコーストとMarcosの金の口座に対する調査を求めるアメリカ議会とイスラエルの圧力を頓挫させることになるのは、Edgar Bronfmannであった。

 

1980年代後半までに、自分達のエージェントとして第二次世界大戦末期のOSSの情報工作活動におけるエージェントがいた銀行が、2001年までに地球規模で支配的な銀行となっていた。

 

· Morgan Guaranty Trust
· Chase Manhattan
· Citibank
· Jardine Matheson
· UBS
· Deutschebank
· HSBC

 

1960年代と1970年代にBlack Eagle Trustによって資金提供された秘密工作活動は、それらを秘密にしようとの企てにも関わらず、アメリカの世界的なイメージの目に見える汚点となった。ホワイトハウスを浄化しようとの取り組みにおいて、Jimmy Carterは800人の秘密作戦工作員の退職を命じた。78  こうした工作員は民間コンサルティング会社や警備会社に移り、秘密工作活動の下請け契約者として雇われた。こうして後に「Enterprise」と称されることになる民間人工作員の緩やかな結びつきが始まった。CIA長官であったGeorge H.W. Bushはこの集団に多くの知人を持っており、彼らと共にアメリカの外交政策に対する、また外交政策が自分達の利益のために生み出す海外投資の機会に対する自分達の影響力と支配力を取り戻すために活動することになった。

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