« 付随的被害 1/5 | トップページ | 付随的被害 3/5 »

2013年11月25日 (月)

付随的被害 2/5

以下は、http://www.wanttoknow.info/911/Collateral-Damage-911-black_eagle_fund_trust.pdf#search='colateral+damage+911+ep+heidner'の日本語訳です。(p13からp24)

 

付随的被害 第二部

 

p.13
主要なアメリカの情報工作活動の戦後世代
13

 

p.14
支配力の獲得

 

他の大統領政権とは異なり、Reagan政権は副大統領‐当時はGeorge H.W. Bushであった‐に海外政策を支配させていたことで独自の特徴を持っていた。このような支配は彼らの選挙に先立つBush とReaganの間の取り決めによって確立されていた。79 この取り決めは後に大統領命令12333によって定式化された。80 William Caseyの伝記作家が指摘しているように、Reaganは「海外政策についてはほとんど分からず、構わなかった…」そしてその結果大統領の周辺の切れ者が彼を乗っ取り、動かすのであった。81

 

1980年11月、Ronald Reaganは僅差で現職のJimmy Carterを破り、大統領に選ばれた。投票でReaganとBushに勝利をもたらした要因であった僅かのパーセンテージは、イランで拘束されていた人質を救出し解放することをCarter大統領が出来なかったことに起因していた。82 この失敗した人質救出の取り組みは、この救出作戦を計画し、管理したOliver North、Richard Secord、Albert Hakimに責任があったと伝えられた。83  一方、イランによる人質の解放は、George BushとアメリカのCIAに相当するイスラエルのモサドのDavid Kimcheとサウジアラビアの実業家Adnan Khashoggiによる交渉によって意図的に遅らせられたと伝えられている。4千万ドルで、イラン側は人質の解放を選挙が終わるまで遅らせたのであった。84 歴史のチャプターでは「October Surprise」と称される、この作戦に関与した人物は以下である:

 

· George HW Bush
· Adnan Khashoggi
· Oliver North
· David Kimche
· Bob Gates
· Richard Secord
· William Casey

 

就任の69日後に、John HinkleyがReagan大統領の暗殺を企てた。この企ての8日前、先例のない一連の政策変更があり、George Bushを海外政策と国家安全保障の担当に置いていた。1981年3月22日の閣議において、Bushが「Emergency Crisis Management Staff」の支配権を握ることになった。この任務はBushに「副大統領として先例のない権限」を含め、新しい役割と権限を与えた。85  副大統領George Bushは国家安全保障会議システムの一部としての、アメリカ合衆国「crisis management」部署のリーダーに任命されたのであった。86 こうして、1981年3月30日、このような権限がBushに与えられた8日後に、Reagan大統領が狙撃された。その日、National Security Directive 1 (NSDD1)には実際のところ、2つのサインされていないヴァージョンがあった。その一つは国家非常事態の際の「緊急電話」の管理人をAl Haigとするものであり、もう一方はGeorge Bushとするものであったという。いずれのヴァージョンであれ内容は一般には公開されていない。

 

就任の69日後、その人物の配下にあった工作員がアメリカの政策と法を侵害してテロリストに賄賂を与えた人物が、その人物と近い関係にあった仲間やアドバイザーがアメリカ兵の命を犠牲にした失敗した救出の試みを計画した人物が‐全てはアメリカの大統領を支配する目的でなされたのであったが、このような人物がアメリカの海外政策の支配権を握ったのであった。87

 

Bushを政権の座につかせた暗殺者の父は、Vanderbilt Oilの所有者であったJohn (別名Jack) Hinckley, Sr.であった。Hinckley はBushが下院議員選挙に出馬して以来、毎年最高額の寄付をGeorge H.W. Bushに与えていた。「Hinckley の石油会社、Vanderbilt Oilが1960年代に倒産しかけた際、Bush, Sr.のZapata OilがHinckley の会社を財政的に救済した。 Hinckley は6つの涸れた油田で操業していたが、Bushによる救済の後には、毎年数百万ドルを生み出し始めた。」John Hinckley, Sr.は、CIAが隠れ蓑としている工作活動と広く伝えられるU.S. Ministries for World Visionの管理職的仕事に広範囲にわたり携わっていた。Jonestownの大量虐殺の後、World VisionがJonestownを乗っ取った。In The Black Hole of Guyana: The Untold Story of the Jonestown Massacreにおいて、John Judgeは苦心の末、Jonestown は人々を立ち退かせ、行き場のない避難民となった人々を暗殺者に変えるCIAの工作活動であったことを文書化している。議会の調査を受ける工作活動では、証拠は除去されねばならず-ほとんど全ての住民が情報の露呈を防ぐために殺戮された。88

 

暗殺者John Hinckleyの兄弟Scott HinckleyとNeil Bushは友人であっただけでなく、最近も一緒にパーティをしており、まさに暗殺の当日も一緒に夕食をとる予定であった。

 

p.15 
また、John HinckleyがReaganの殺害を企てたまさにその日、エネルギー省の3人の監査役がHinckleyの兄弟Scottに対して2百万ドルの罰金を支払うよう圧力をかけていた。この罰金は後に消失するのであった。89  新たに形成された「緊急事態」権限を持つGeorge H.W. Bushは暗殺の企てに対する調査を求めるAl Haigの公式な要請を却下するのであった。

 

このイラン人とイスラエル人を相手にした秘密のビジネス取引は、1980年7月のHamburgでの October Surpriseの調整の際のKashoggi とKimcheに端を発するものであったが、年月と共により大きな秘密工作活動へと進展し、1991年のGorbachevに対するクーデターへのアメリカの資金提供を可能とし、ソビエトのKGBに仕事の空きを提供するまでになる。こうした工作活動において、数多くのBushの政策アドバイザーや工作員が集合として見た場合には「高貴で正しい」アメリカの海外政策であるはずの措置を実行に移したが、それは議会が法によってそのような政策がどうあるべきか決めたものではなかった。October Surprise作戦は大きくなり、より大きなIran-Contra作戦によって影が薄くなった。Bushの秘密の情報組織中核のメンバーは、アメリカの敵と公言したイランに兵器を販売し、その利益を不法に利用して、ニカラグアの反共反乱軍、Contrasに資金提供を続けた。反共主義者と見られてはいたが、CIA長官は彼らは貪欲に突き動かされているとその特徴を述べた。90 冷戦と戦うために秘密の財源を利用するという基調は、わずか数年後にBushの組織中核がソビエト連邦を取り込むことに決めた際に、再び浮上することになる。

 

全Iran-Contra作戦は1986年にほとんど破綻し、ニカラグア政府がContra 反乱軍に兵器を輸送するアメリカ機を撃墜し、アメリカ人パイロット- Eugene Hasenfusを捕らえた時に一般に明らかになった。このような輸送の発見 - アメリカの法の侵害 - によって一連の議会調査と独立調査会による調査が始まった。October Surpriseが発覚することを防ぐために開かれたHamburgとParis での会合には言及されず、Bush をParisに運んだ2人のパイロットは直ちに拘束され、議会で証言しようとした際には信用を落とされた。裁判所は後にパイロットに対する告訴は裏付けがないことが分かったが、その時までに彼らの証言は阻害され、信用が落とされていた。

 

「Gunther Russbacherは…自分がOctober Surpriseの会合の一つにGeorge Bushを飛行機で運んで行ったことを示すビデオテープの証拠と16人の目撃者がいると主張した。」91

 

こうした取引の主要な調整役であったイスラエル人、Ari Ben-MenasheもまたParisでの会合で直接Georgen H.W. Bushを見たと証言した。

 

「6月に、私もまた上院外交委員会を前にした非公開の会議で、宣誓証言をしました。私は ParisでBushを見たと、はっきりと述べました。」92

 

こうした取引の主要なイスラエル人調整役であったAri Ben-Menasheによれば、イランに武器を渡すために設けられた5つの供給プロセスのうちの4つは調査されておらず、Iran Contraに対する議会聴聞会の最中にも操業を続けたという。

 

「…Towerには武器のチャンネルが継続していたことが完全に分かっていました。しかしTower委員会はその件について言及しませんでした。1987年2月に、Towerがイランへの武器販売のささいな部分を調査している間にも、イスラエルとイランの共同委員会はRobert Gatesと共に、イランへの最大規模の武器提供を実行していました。公式の調査は煙幕よりはましといった程度でした。」93

 

簡単に言えば、Iran-Contraチームは、議会の調査を受けている間にも、法を侵害し続けていたということである。Iran-Contraの結果として起訴や有罪判決はわずかにあったが、概して言えば、関与した者は免罪されたのであった。Bushはこのわずかな起訴され有罪判決を受けた下位レベルの政府役人を後に放免した。Dick Cheney は犯罪はなく、Bushは関与していなかったと結論付けた議会の委員会のメンバーの一人であった。Robert Muellerは、( Iran-Contraの調査に関連して)Noriega94 とBCCI95 の調査を指揮したアメリカ人弁護士であったが、George H.W. Bushの非合法な振る舞いを示す証拠を見つけることはなかった。彼のその後のEnronに対する調査ではEnronによる不正行為は見つからなかった。96 Mueller は後にWTCの調査の指揮を執るよう要請された。

 

このIran-Contra作戦の隠蔽工作を支援するために、目撃者は沈黙せねばならなかった。

 

「海軍Lt. Commander Alexander Martinは、海兵隊 Lt. Col. Oliver NorthがNational Programs Office(国家プログラムオフィス)との名称のホワイトハウスの国家安全保障会議の人目に付かない部門を通じて運営していたReagan/Bushの麻薬工作の実質的な会計主任であった。

 

p.16
司会者Tom Valentineとのラジオインタヴューで、先ごろ7月に、Martinは麻薬と金だけでなく、死についても語った。「Iran-Contraに当初関与していたおよそ5,000人のうち、およそ400人が、1986年以来、自殺したか、事故死したか、自然な死因かによって命を失っています。こうした死の半数以上において、死亡証明書が発行されませんでした。187の事例において、家族が連絡を受ける前に遺体は火葬されていました。」Martinはそして自分は身を潜めていると語った。97

 

「(BCCIの)アメリカ支店を閉鎖させたマンハッタン地方検事は、BCCIのCIAの秘密工作活動との関係、イラクへの武器密輸、マネーロンダリング、児童買春を調べる過程で16人の参考人が死亡したと発表した。」 98

 

10月30日からクリスマスイヴまでに、私達の友人であり、誰もが高位の海軍情報将校であると考える、William Smithと私を殺害する4回の企てがありました。これと同じ時期に50を超えるCIAの工作員、彼らの妻、家族が、Clintonのチームが力を得る前に痕跡を隠すために、CIAのRobert Gatesの一派による企てによって殺害されたのです。私の命を奪おうとした最後の企ての後に、私の夫のSEALチームが私のためにオーストリアのウィーンへの安全な道筋を調整してくれ、私はCIA長官の職からRobert Gatesが去るまでそこに留まりました。」99

 

Amiran NirはOliver Northの裁判における彼の証言を防ぐために暗殺されたとAri Ben Menasheは記している。この証言はGeorge H.W. Bushの関与を示すことになっていたであろう。100  John Heinz上院議員とTowers上院議員は後にAmiran Nirと同じ運命に直面することになった‐航空機墜落による死である。こうした国家安全保障工作活動を明るみに出す危険性を持つ人物の命を奪うというパターンが1991年、さらに2001年にも再び繰り返されたのであった。

 

Iran-Contraのスキャンダルに関与した人物の名前には以下が含まれる:

 

· George H.W. Bush
· Adnan Khashoggi
· Oliver North
· David Kimche
· Richard Secord
· Richard Armitage
· Russell Hermann
· Bob Gates
· Shiek Kamal Adham
· Khalid bin Mahfouz
· Dick Cheney
· Farhad Azima
· Alton G. Keel Jr.
· Bruce Rappaport
· Alfred Hartmann
· Porter Goss
· Richard Armitage
· Shaul Eisenberg
· Robert Mueller

 

これらの人物のほとんどがソビエト連邦に対する秘密戦争における主要な工作員となるのであった。

 

Iran-Contra 作戦が展開する間、世界の反対側では、もう一つの重要な発展が起きていた。フィリピンの親米独裁者であったFerdinand Marcoが、Bushの海外政策マシーンにより突き動かされ、一部では73000トンもの規模と推定されるGolden Lily Treasureをアメリカに移譲したのであった。当時、この財宝は5,000億ドルから6,000億ドルの価値があったと推定された。101

 

この作戦に関係していた個人は以下であった:
· George HW Bush
· Adnan Khashoggi
· Oliver North
· Russell Hermann
· Paul Wolfowitz

 

p.17
アメリカの情報工作活動は30年間にわたりMarcosの金を吸い上げていた。しかしながら、Ferdinand Marcosはさらに埋められていた財宝を発見し続けていた。 MarcosはAdnan Khashoggiの支援を受けて、1970年代にそれを少しずつ市場に販売し始めていた。102 何か未判明の理由により、Enterpriseは1986年にそれを全て手に入れることに決めた。この理由は分かっていないが‐ソビエト連邦に対する戦争に資金提供するためであったかも知れない。副大統領George Bush が最終的に1986年に、Marcosが公職の座を追い出された時にMarcosから金を奪い取った。Marcosは当時73,000トンの金を所有していたと推定されている。103
Marcosを公職の座から追放する際、アメリカはMarcos配下のGeneral で、Marcos側の高い地位から離脱しCorazon Aquinoを支持する側に回ったFidel Ramosによる支援を受けた。Fidel Ramosは後にCarlyle Groupの取締役員メンバーとなった。Marcosの金は一連の銀行に移転されたが、最も顕著だったのはCitibank、Chase Manhattan、Hong Kong Shanghai Banking Corporation、UBS 、Banker’s Trustであった。またKloten Switzerlandの保管場所にも保管された。Marcosの強制退去に関与したBush側の行政官はRichard Armitage と Paul Wolfowitzであった。Adnan Khashoggiもまた関与しており、金の移転を支援した。Khashoggi 、Shiek Kamal Adham、Khalid bin Mahfouz、Peter MunkがBarrick Goldと呼ばれるカナダの金採掘会社を創設したのはこの時期であった。

 

· Adnan Khashoggi は国際的な武器商人でOctober Surprise と Iran-Contraの取引を支援し、Marcosが自分の金を市場に販売する手助けをした;

 

· Shiek Kamal Adham はサウジアラビアの情報機関の長官であった;

 

· Khalid bin Mahfouz はサウジアラビアの投資家で、 Bush一族の複数の会社…特にHarken Energyに投資しており、BCCIの20%の株式所有者であった。

 

かなり後に、Kashoggi とAdhamはOryxという名称のDubai を拠点とする会社の主要な投資者となる。Oryxは、アメリカ人投資家Wally Hilliardと並んで、Mohammad Attaと数人の911のハイジャック犯が飛行訓練を受けたHuffman Aviation の所有者となる。104 105  Hilliardは後にBush一族、特にJeb Bushの支援を受けていたことが分かる。106

 

Barrick は数多くの主要な銀行にとって金を生む物言わぬパートナーとなり、その活動はFBIの金価格操作に対する捜査対象となるのであった。この捜査に関する記録はノースタワーの23階のFBIオフィスに保管されており、タワーが崩壊する直前の爆発物の爆発により破壊された。Golden Lily Treasureの最終的な到達地点と10年間にわたり市場に流れ出た「貸し付けられた」金の源は、公式には説明されていない。

 

Marcosの金の主要なプレイヤーはBanker’s Trustとなるが、1990年代中盤にロシアへの貸付によりBanker’s Trustが財政的に苦境に立つことになった後に、Alex Brown & Sonsに吸収合併されることになる。こうしたロシアへの貸付は1993年の8月に始まり、Enronによって促進されたが、これはProject Hammer のソビエト産業の乗っ取りの一部であった可能性が極めて高い。Alex Brownの関与からこの謎において多くの役割を果たす中心的な3人の人物の名前へと辿り着くことになる:

 

· Buzz Krongard
· Mayo Shattuck
· J Carter Beese Jr.

 

Buzz Krongardは、Alex Brownで彼らが共に過ごした時からのBeese とShattuckの師と伝えられている。加えて、彼はBankers Trustと Deutschebank Alex Brownの間の合併を取り持ったのであった。ZurichのBankers TrustはMarcosの金の主要な保有者であった。Krongard は後に投資銀行 A.B. Brownの会長、Banker's Trustの副会長、911当時のCIAのExecutive Directorとなるのであった。

 

Mayo Shattuck は、彼らがBarrick Goldで協力関係にあった際の、Adnan Khashoggi と Edgar Bronfmannの私的銀行家であったと報じられることになる。107 彼は後にDeutschebankのCEOとなるが、タワーが崩壊した日にはWTCのオフィスには居合わせず、911の翌日に説明されざる理由によりCEOの職を辞するのであった。911の悲劇を利用したインサイダートレーディングがあったことを示す不法なストックオプションの発生源であったと特定されたのは彼の銀行であった。911の後に、彼は直ちに、主として石油と金のテリバティヴのトレーダーとしてEnronに換わることになる会社‐Constellation Energyに移ることになる。

 

Carter Beeseは、Alex Brownで働く前は、アメリカ士官学校のCIAの訓練施設とJohn Hopkins大学で教育を受けていた。George H.W. Bushは彼を Overseas Private Investment Corporation(海外民間投資公社)の重役に任命した。1992年以降、OPICはロシアでの140以上のプロジェクトに45億ドル以上を融資と保険の形で提供している。彼はまたRiggs Bankの会長でもあり、(Bushによって任命された)証券取引委員会の委員でもあった。加えて、彼は1994年から1997年までAlex Brownの会長で、そこからさらにBankers Trustの副会長にもなるのであった。彼はまたRiggs Capital Partnersの社長ともなった。

 

p.18
Riggs は、ロシアの新興財閥とならず者KGBのための国際的金融装置を仕組み、彼らにソビエトの財宝を奪い、ロシア経済を破壊することを可能にした有名なRiggs-Valmetのコンサルタントを支配していた。Carter Beeseの死は2006年に自殺として報じられた。

 

1986年にアメリカ政府のエージェントによって没収された後にMarcosの金に何が起きたのかは伝えられていないが、1990年代初頭を通じて、世界の金市場は金価格を抑えたと見られる謎に満ちた数千トンの金が出現したことにより、混乱することになった。アメリカ政府に対する最初の訴訟は名高い弁護士Mel Belliにより開始されたが、彼はCitibankから金を取り戻すことを求める、死去したSanta Romanaの親類を代表していた。108 この訴訟は2007年でも開かれたままであった。その後アメリカで数多くの金融機関とAlan Greenspanを相手取って二つの訴訟が起こされ、この金の源を突き止めようとした。金のトレーダーは米財務省がこの金の源であったと疑い、アメリカの金保有高は私的利益のためにブリオンバンクによって不正に操作されていると主張した。Reginald Howeによる第一の訴訟はメリットと大義があるものと見られたが、司法上の理由のため裁判所により却下された。BlanchardのDonald W. Doyle による第二の訴訟は、Barrick Goldが主要な被告となっていたものであったが、2006年に示談の形で解決し、同意の下で封印された。Barrick はまたHoweの訴訟でも情報に通じていた関係者として言及されていた。1992年に、BarrickはGeorge H.W. Bushから彼の大統領任期の最後の数日間に特別待遇を受けた。その時Barrickは、10,000ドルでNevada州の公有地の100億ドルの「価値」があると見積もられる堆積物を採掘する権利を受け取ったのであった。109 この取り決めには何も不法なことはなかったが、Bush大統領によって導入された特別なプロセスにより Barrickはこの堆積物の評価価値をコントロールすることが可能となり、最高の専門家を利用して、主張する価値を決定することが可能となったのである。 この特別なプロセスは他の採掘志願者には利用不可能とされた。この直後に、George H.W. BushはBarrick Goldの懇談会の一員を務めることになった。長期的に見れば、Barrickの業務は「金のデリバティヴ」を生むことで、数十億ドルの紙の金を生み出すものであった。こうしたNevadaについての主張は、業界の専門家によればその可能性は疑われていたが、実際に富を生み出したことを示す報道に基づいている。110 Barrickの金の先物取引販売の主要な販売チャネルはEnronであった。Enronはまた、元ソビエト連邦からの石油とガスの契約が処理される媒体(ソビエトのマネーロンダリングの媒体)ともなるのであった。そしてこれもまた冷戦の付随的被害となったのである。

 

興味深いことに、ヨーロッパでは採掘業務を行っていないBarrickがスイスの2つの精錬所を利用しているのである:その2つとはMKS Finance S.A. と Argor-Heraeus S.A. である。双方ともミラノに近いイタリアとの国境付近にあり、Zurichの金保管所から数時間の距離である。Barrickと他の銀行が答えることを避ける必要があった疑問は以下である:彼らはその地域に鉱山を持っていないのに、どのような金をBarrickは精錬していたのか。

 

Vulcanのソビエト連邦に対する秘密経済戦争

 

自分達を「 Vulcans」と呼んでいたBushの「戦時内閣」はソビエト連邦に対する経済戦争の資金源を見出だし、4段階の戦略を計画していたと考えられる。こうしたVulcansは長老Bushと Dick Cheneyの指揮の下で、数年後にGeorge Bush Jrによって公職に復帰する人物と全く同じであった。

 

共産主義に対する彼らの戦争を準備する中で、またGorbachevを終焉に導き、 Yeltsinの台頭をもたらした1991年8月の失敗した‐偽りのクーデターへと至る年月において、Bushとならず者KGB将校の中核は、ソビエト経済の所有権を乗っ取るために利用されることになる銀行と持ち株会社の複雑な国際的ネットワークを構築した。この作戦を支持した300人を超えるこうしたKGBの反逆者は後に1990年代初頭にアメリカへ移住し、恩給を受けた。111  定期的なCIAの議会への報告書は犯罪分子によるロシアの乗っ取りへのKGBと犯罪組織の共謀を精査したものであったが、アメリカの恐るべき役割については全く言及されず、議会の監視や公式記録から消し去られることになった。112

 

ソビエト連邦に対する経済戦争という第一段階において、George Bush は Leo Wantaと数名にルーブルの不安定化の権限を認め、ソビエト/ロシア国庫の盗みを促進した。こうしてロシア国庫から2,000トンから3,000トンの金塊(当時で350億ドル)を吐き出させる結果となった。113 このステップはルーブルの通貨としての防衛力をそぎ、通貨を不安定化させる上で決定的なものとなった。金が1991年3月に「盗まれ」、Leo Wantaによって促進され、Boris Yeltsinの右腕であった人物によって承認されたのである。CIAとFBIからリークした報告の大部分はロシア国庫の盗みはKGBと共産党の工作活動であったと示唆しているが、こうした報告が省いていたのはBoris Yeltsin、アメリカのCIA、アメリカの銀行業界の広範囲に及ぶ関与であった。

 

 

p.19
Wantaと共に盗みを働いたソビエト側の主要なプレイヤーはGregori (別名 Georgy、 Georgii) Matyukhinであった。彼は元KGB将校で、中央銀行の初代総裁となったが、経済の崩壊後「健康上の理由から」その職を退くことになった。114

 

In fact, it was Matyukhin who authorized large capital transfers to
Chechnya, the source of the Chechen ‘advice notes’
that Kozlov attributed to as the source of the theft of the Soviet
Treasury.
実際、チェチェンへの大規模な資本移転を認可したのはMatyukhin であり、Kozlovがソビエト国庫の盗みの原因と考えたチェチェン語の「案内状」の発信元であった。

 

「全ては1991年の夏、Boris Yeltsin の第一副首相であり、RSFSRの最高ソビエトの当時の議長であったRuslan Khasbulatovが自国の人々を助けようと決め、RSFSRの中央銀行の長であったGrigory Matyukhin にチェチェンの小作農の農地にクレジットを与えるよう指示した時に始まった…Khasbulatovの指示を実現した後には、小さな共和国はRSFSRで最大の発行体となった。通貨発行を通じて得られた住民の収入の割合は40%を超えていた(全国平均は17%)。銀行との協力作業によって受け取った現金の総計は彼らが50倍でリターンした‐これもまた他の地域よりもかなり高いものであったが‐現金を超えていた。」115

 

後に、Matyukhinは実際にはCIAのために行動していたことが発覚した。116

 

第二段階において、Wanta、George Soros並びにBushが指定した人間の集団がルーブルの不安定化を開始することになった。2つの主要な工作活動があった:最も大規模なものはAlan Greenspan、Oliver Northによって調整されたもので、Leo Wantaによって実行された。彼らは秘密債券での2400億ドル調達の指揮を執り、この計画の様々な局面を支援したかどで告発されている。117 こうした債券は元OSS/CIA高官、Colonel Russell Hermannが運営していた秘密主義のDurham Trustにより(部分的にあるいは全部)作り出されたものであった。この軍資金はMarcosの金を使って生み出されており、おそらく1989年の全世界規模の債務再清算の間にアメリカが保有していた担保の不法な利回り曲線利益によって増大したものであったと考えられる。118

 

クーデターは第三段階を迎えることになる。KGBにはGorbachevの失脚を望むBush大統領の熱意がよく分かっていた。このクーデターを観察した多くの人間はそれを、成功を意図していなかった偽りのクーデターとして説明した。Yeltsin自身、自分の回顧録で実際にクーデターはヴェールで隠された親Yeltsinのクーデターであったと書いている。119 クーデターを実行した将校も同じように述べた。120

 

1991年のGorbachevに対するクーデターは将校Victor Cherbrikovに仕えていたKGB将校Vladimir Kruchkov121 によって工作されたものであった。彼らは双方ともRobert Maxwellのビジネスパートナーであった。Maxwellはイギリスの金融関係の重要人物で、イスラエルのシークレットサービス職員であることが文書で示されており、アメリカの情報組織の利害を代表していた。彼はIran Contra の取引の間Cherbrikovが軍事兵器をイランとニカラグアのContrasに販売する際に支援し、Cherbrikovのロシアの銀行に数百万ドルを利用可能とさせた。122 1991年の試みられたクーデターの直後に、MaxwellはKGB将校Vladimir KruchkovにMaxwell のヨット上で面会した。123 その1年前、Kruchkovにクーデターについての話し合いを持ちかけたのはMaxwellであった。124  クーデターのあった同じ月に、Maxwellはロシアにおり、イスラエル人を通じてCIAから将校Kruchkovに渡すために7億8000万ドルを受け取った。125  Maxwellのアメリカとの主要な接点はJohn Tower上院議員であった。彼はGeorge H.W. Bushの長年にわたる腹心の友で、October Surpriseへの参画者でもあった。上院議員としての経歴の後に、Towerは実際にMaxwellのためにMaxwellの所有する比較的小さな出版社の一つ‐Pergamon-Brasseyで取締役として働いた。この工作活動において、Maxwellは元退役アメリカ空軍大将 、退役イギリス軍Major Generalによる支援を受けていた。126 Towerの委員会が予定されていた参考人の3分の1もインタヴューしないうちに、BushがOctober Surpriseに関与した疑いを晴らす発表をしたのは、Towerであった。委員会にはBushを会合で見たという2人の目撃者の証言、さらに16人の目撃者とビデオテープまでもが提供されたのだから、この発表は今では一層厚かましいと見なされる。127 128 Towerは1998年にイスラエル政府が10億ドルの貸付をMaxwellに提供出来るように調整していた。129 また寛大にもアメリカの財政支援をイスラエルに与えていたが、これも貸付でなされたことを示すのが公平というものかも知れない。130 Towerは、MaxwellをBushとソビエト情報機関の間の仲介人として利用するという唯一の目的で、Maxwellを1976年にGeorge Bushに紹介していた。131 クーデターの直後に、アメリカとイスラエルの情報工作活動を脅迫しようと企てた後に、Maxwellはヨット上で謎めいた死を遂げた。CIAかモサドのエージェントが彼が期待していた脅迫に対する支払いをするかわりに彼を暗殺したと広くうわさされている。MaxwellのGeorge Bushへと遡るつながりは全く謎めいた形で途絶えた。Tower 上院議員は1991年4月に疑わしい状況の航空機墜落で死亡した。Maxwellの妻はCIAのエージェントから、もし彼女が自分の命を大切に思うのであれば、夫の死について調査するのを思いとどまるように忠告された。132 彼が保管していたKruchkov との電話での会話の録音テープは消失した。133

 

 

p.20
メディアではクーデターは無計画な、強固な反対派による組織化が不完全であった取り組みとして提示され、経験ある、鍛えられた軍将校の集団が酒に酔い、瞬間的な放心状態で、政府を打倒することに決めたのだと示された。

 

「捕らえられた3人の共謀者が述べたと伝えられる説明では、彼らのクーデターは行き当たりばったりで計画されたと示されている。例えば、Mr. Pavlovは共謀者は最高ソビエトが自分達の行動を承認し、その後『物事はうまく行くであろう』と期待していたと述べた。Mr. Yazov はクーデターが計画された8月18日の会合において、彼とMr. Kryuchkovと3人目の共謀者で元内務大臣で、後に自殺したBoris K. Pugoは、皆酒に酔っていたと述べた。Mr. Pavlovは質問者に彼もまたその会合では「かなりな量のアルコール」を飲んだと語った。」134

 

9人の主要な共謀者のうち3人がその失敗した取り組みの後に自殺したと広く伝えられている。ほとんど言及されなかったことは、こうした経験豊かなベテランのうち2人が窓から身を投げ、3人目のBoris Pugoは頭部を自分で3回撃ったということである。

 

「自殺の最も難しい方法とは何であろう。頭部を3回撃つことは間違いなく上位にあるであろう。モスクワ警察筋によれば、8月の反乱が失敗に終わった際、「自殺」したと公式に説明されたソビエト内務大臣で、クーデターの共謀者であったBoris Pugoの死因がそれであった。あと2人の窓から身を投げて自殺したと公式には伝えられた共産党高官について、情報筋はおそらく彼らは沈黙を守るために押し出されたのであろうと述べている。彼らは、党が崩壊する際の国からの共産主義者の富の密輸について間違いなく知り過ぎていた。」135

 

Boris Pugo の死と公式に関連付けられた唯一の人物は、直接Boris Pugoの「逮捕」に関与したViktor Erinであった。136 Erin は後にBank Menatepの最高責任者となり、Yeltsinギャングに対するPutinの取り締まりの一環として、貸し付け詐欺と盗みにより告訴されることになる。137 このクーデターは「方針と名誉」をめぐるクーデターではなく、Project Hammerと関連した多くの出来事と同様、マネーが全てであった。CIAはクーデターの前にRobert Maxwellを通じて将校達に数百万ドルを与えていた。138 こうした取引を最も説明出来たであろう人間は明らかに殺戮されたと見られる。こうした殺戮を担当した集団は後にBank Menatepを通じて、クーデターに資金提供した金融集団と結び付いている。クーデターの際の他の反逆者について言えば、彼らは皆2年後にYeltsinによって刑務所から釈放されたのであった。139

 

1991年6月のアメリカ訪問の際にYeltsinはBushとクーデターについて話し合っており、クーデターは実際には計画に長い時間をかけていたと考えられる。140同年の夏、Yeltsinは、他のモスクワ使節団がGorbachevと共に食事をしていた間、
New York Federal ReserveのChairmanであったGerald Corriganと「個別に」食事をした。141  クーデターにおけるKruchkovの利害に関してMaxwellによって促された話し合いは1990年の夏にまで遡る。142

 

クーデターによってソビエト連邦の解体143、そしてBoris Yeltsinと彼のロシアマフィア新興財閥「一族」並びにカザフスタン大統領Nursultan Nazarbayevによる支配が始まった。その時点で、ソビエト連邦の解体に必要な3つの票のうちの2つが George H.W. Bushの懐にあったことになり、それらはYeltsin とNazarbayevへの票であった。

 

この最終段階において、George H.W. Bush大統領によって配属された一連の工作員が貴重なロシアとCIS(独立国家共同体)の石油、金属、防衛領域の産業資産の乗っ取りを始めることになる。これはBank of New York、AEB 、Riggs Bankを通じてロシアの新興財閥のためのマネーロンダリングに資金を提供し、運営することでなされた。それらの全て、特にBlackstone Investmentは、自分達の懐を潤そうとした。144  Blackstoneは911の攻撃の6週間前のLarry SilvermanのWTC第7ビル購入の背後にあった投資者であることが最終的に判明することになる。145 WTCの喪失の際の金融上の利害をコントロールすることで、この集団はWTCの攻撃の背後にいた犯罪者への調査を求める投資業界の声を沈静化することが出来たのであった。

 

こうした局面へと導いた他の活動を詳細に見ていくと、これは初めからアメリカが指揮を執った情報工作活動であったことが明白となる。この経済戦争にはまた、NY連邦準備銀行のGerald Corrigan、数年前の英国のポンドの値崩れに対する責任のあった国際的通貨投機者George Soros、元駐ドイツ大使R. Mark Palmer、Este Lauder estateへの投資者でその継承者であったRonald Lauderも関与していた。

 

p.21
Palmerと Lauderは後にCentral European Development Corporationと呼ばれる事業において、アメリカ人投資家集団を率いて、George Soros や NM Rothschild Continuation Trustと協力することになる。146 Riggsの集団が巨大企業Yukosを支配することになる一方で、この集団は最終的にロシアの天然ガス巨大企業Gazpromを支配することになる。両社の所有者は今日でも大部分が「隠されて」おり、その代表者は刑務所で過ごし、ロシアの復讐という困難な時を耐え忍んでいる。

 

1988年に、Riggs Bank はJonathon Bush とJ Carter Beeseの指揮の下で、 Valmetと呼ばれるスイスの企業の支配的過半数株式を購入することになった。Dubai出身の弁護士、Stephen CurtisがValmetを支配していた。Curtisは友人にもし自分が近い将来死ぬことがあれば、それは事故ではないと告げた後間もなくして、2005年にヘリコプターの墜落により死亡した。147  1989年の初頭、Riggs-Valmetと呼ばれるRiggsの新しい子会社が元ソビエト圏の国々からマネーを移動させる国際的ネットワークを開設するために、KGBの将校とKGBの表だった人間達の集団と接触を始めた。148 1989年に、Jonathon Bushは自分の兄弟の「公式な」代表として東ヨーロッパとウクライナに赴いた。1989年にGeorge H.W. Bush は国家安全保障局の長官でIran-Contraスキャンダルで端役を務めたAlton G. Keel Jrに、自分の兄弟がexecutive Vice Presidentであった‐Riggs Bankに行って働くよう調整したと考えられる。Keel はInternational Banking Groupを率いることになった。149 この銀行は後にRichard Perleによってボスニアのmujahedin(イスラム戦士)テロリストに資金を注ぐために利用されるのであるが150、ここでの狙いはValmetとして知られる小さなスイスの銀行業者の支配的所有者となることであった。このRiggs-Valmetの活動は、判明したように、世界銀行の「コンサルタント」並びに将来の新興財閥Khordokovsky、Konanykhine、 Berezovsky、Abromovich が実行する複数のKGBの偽装作戦の「コンサルタント」となることであった。Riggs-Valmetのエージェントがこの頂点に立つ4人の新興財閥に対して、どのように彼らの莫大なマネーロンダリングの企みを構築すればよいのか提言し、また西側投資家に対してはロシアの石油とガス操業を視察させ、投資に関する指導を与えるのであった。151 これらの間もなくロシアの新興財閥となる者は、KGB将校のGenerals Aleksey (別名 Alexei) Kondaurov; そしてAnton Surikovのスポンサーでもあり、また西側情報組織のエージェントであったことが伝えられるFillipp (別名Phillip) Bobkovによって、表側に立つ人間として仕組まれていたのであった。152 Kondaurovと Bobkov の両人は、Robert Maxwellと共に行動していたVictor Cherbrikovに以前は仕えていた。Bobkov と Kruchkovの両人(8月のクーデターの指導者)はイデオロギー的に協調しており153、1990年の10月に始まる共産党の経済的活動を構築する上で共に行動した。154  Kondaurovと Alexandre Konanykhine はYeltsinの選挙キャンペーン資金の50%を提供するというキャンペーンへの惜しみない資金提供を通じて、ロシア奥地のBoris Yeltsinという名のそれまで無名の政治家で建設現場監督であった人物をロシアの政治の最前線に担ぎ出すことになる。その間、Riggs Bankは迅速にさらに2人のかつてのIran-Contra スキャンダルへの参画者との銀行業務関係を固めていた:その2人とはスイスの銀行家 Bruce Rappaportと Alfred Hartmannである。当時ルーブルに対する第二の正面攻撃を開始していたGeorge Sorosが関与したのはこの集団を通じてであった。Rappaportと Hartmannはまた自分達の活動のネットワークを Bank of New YorkとイスラエルのThe Eisenberg Groupを含むまでに拡張するのであった。 Rappaportと Hartmannによってさらに3つの集団がこの計画に引き込まれることになったのは活動のこの段階である:その3つの集団とは、ロシアマフィア、イスラエルのモサド、Jacob Rothschildによって代表されるロスチャイルド一族の利害関係者であった。

 

Soros と Rapportはロスチャイルドの金融利害関係者が数多くの未公開の取引の活動に対する口をはさまない資金提供主となるよう取り計らった。例を言えば、10年後Vladimir Putin がKhordokovskyをマネーロンダリングと脱税の容疑で刑務所に送る際、Khordokovskyは刑務所に行く前に、彼はJacob Rothschild を出資だけして活動には口をはさまない自分の主要なパートナーとして名指しし、巨大石油企業Yukosの自分の株をロスチャイルドに「署名して譲渡」することになる。155 ロスチャイルドの利害関係者は、ロシアとフィリピンの金財宝をロンダリングするために利用された可能性のあったBarrick Goldの取締役会にも見られ、また後には傭兵業務を受け持つDiligenceの重役会にも見られることになる。Farwest Ltdとして知られるロシアの傭兵業務はこのDiligenceのロシア部門である。156 FarwestはBobkov と Kondaurovがスポンサーを務めていたもう一人の前KGB/CIA エージェント Anton Surikovによって支配されていた。

 

Rappaportはまた「Bob Klein」という名のアメリカ人紳士をロシア側とBank of New Yorkの彼のパートナーに紹介するのであった。Kleinは数年間この活動に携わったが、1990年代後半にFedがBank of New Yorkのマネーロンダリングについて調査を開始した際には、誰も彼が存在していたことを実証出来なかった。彼は全く姿を消し去ったのである。157 この「幽霊」の存在がこうしたことがそもそもの初めから情報工作活動であったことを示唆するものであったとは誰も想像しなかった。

 

この秘密戦争の第4段階において、Enterpriseは複数の領域で主要なエネルギー産業の乗っ取りに取り掛かった。この戦争のカスピ海前線では、James Giffenがカザフスタンに送り出され、世界最大の未開発の石油埋蔵量であると推定されていたカスピ海のKazak の石油の支配のための様々な合法的、非合法的な取り組みにおいてNazarbayev大統領と共に活動した。それとは反対の多くの証言にもかかわらず、アメリカ政府はGiffenがこうした利益のために活動していたことを否定するのであった。158 Giffen は後に、マネーロンダリングと買収のためアメリカで裁判に掛けられることになる。

 

p.22
Giffenは有罪であったが見たところ判決は言い渡されなかったようである。これは有罪である関係者の沈黙が求められる際にアメリカ司法省によって用いられるよくある技法である。様々な石油会社からの非合法的なマネーの流れは数多くの銀行に行き着くことになる。こうした同じ石油利害関係者がMarch Rich、そしてモサドの主要な工作員の一人であったShaul Eisenbergが所有していたイスラエルの Eisenberg Groupに関与し、石油を動かすことになった。(Eisenberg Groupはある時点ではZim Shippingの株式のほとんど50%を所有していた。このZim Shippingは不思議なことにどうしたわけか911の攻撃の数週間前に世界貿易センターから立ち退いていた。)

 

 

一方、カスピ海の向こう側では、Bushが広範囲に及ぶかつてのIran-Contra工作員を、1)ロシアへの石油の流れを中断する、2)カスピ海から黒海までのパイプラインを構築する機会を創出する、3)カスピ海西棚での石油構想の権利を乗っ取る、との目的の任務を果たすために、アゼルバイジャンに配属していた。初めに、彼はモサドの彼らのかつての僚友David Kimcheと共に活動したことのあった秘密工作員Richard Armitageと Richard Secord、そして彼らの武器密輸のかつての僚友Adnan KashoggiとFarhad Azima を送り込んだ。Al Qaedaの数千人の傭兵を雇い、輸送し、トレーニングし、アゼリー人自由戦士のために戦わせるためであった!159 Osama Bin LadenはArmitageと Secordによって仕込まれた傭兵軍の一部であったと報じられた。160 Osama Bin Laden は1979年からアフガニスタンの傭兵を採用するためにCIAによって保持されていた。161 傭兵採用の役割は後にBin LadenからAllied Media Corp.と呼ばれる会社に移されることになる。162 偶然にも、Allied Media Corp.は、モロッコの米国商工会議所を通じて、伝えられる所によれば911攻撃に責任があったというエージェント、Mohammed AttaのFloridaのビジネスパートナーであったHassan Erroudaniへと結び付くのであった。アゼリ工作の第二波において、Bushはアメリカのアゼルバイジャン‐アメリカ商工会議所の創設を支援し、その懇談会にはDick Cheney、 Richard Armitage、Richard Perle、Riggs BankのKarl Mattisonが含まれることになる。163

 

これらがソビエト経済を崩壊させ、その主要な資産を乗っ取るために開始された主な工作活動であった。こうした作戦は広範囲に及ぶBushの戦略の同盟者とソビエト連邦への反逆者によって支援された。ソビエト連邦が崩壊する際、彼らは自分達の懐と彼らへの西側資金提供主の懐を潤すのであった。

 

こうした活動のソビエト‐ロシア側では、初期の新興財閥には以下の2人のKGB将校がスポンサーとなり、保護していたことを記録が示している。

 

 

· Generals Aleksey (別名 Alexei) Kondaurov;
· Fillipp (別名 Phillip) Bobkov.

 

p.23
ロシア乗っ取りの主要プレイヤー
23

 

1991年のソビエトクーデター 真の目的
232

 

p.24

 

これらの将校が、次には、Yeltsin一族の新興財閥のスポンサーとなり、Yeltsin一族の政治的未来を強めるイスラム教徒テロリストの活動を調整したとして間接的に非難されることになる。164 私的軍隊活動を調整するために彼らがスポンサーとなった人物はAnton Surikovであった。彼はFarwest Ltd. という名のロシアの私的軍事集団の創設者となる。Farwestは元はKGB/ロシアの軍事作戦であり、この作戦はYeltsin一族のロシア経済への支配力を強める目的で偽の「イスラム教徒テロリスト」を雇うためにYeltsin一族によって利用されたと伝えられるのであった。Far WestのメンバーはCIAが資金提供したアフガニスタンとパキスタンのキャンプで訓練を受けたShamil Basayevと取引を行っていたと、フランスとアメリカの政府機関によって伝えられることになる。165 さらに彼のアフガニスタンとのつながりに加えて、Basayevは Al Qaedaの工作員Abu Hafsの知人でもあった。166 地方の報道によれば、Abu Hafs はアメリカ軍によって逃げることが許されたという。また一つの報道では、彼は実際にGeorgiaのアメリカ軍によって捕らえられ、解放されたという。167

 

Basayev はロシア市民に対するイスラム教徒の攻撃を仕掛けるためにFar Westから支払いを受けたと伝えられることになる。168 Adnan Khashoggi は地中海の彼の別荘で会合を開いており、こうした調整の仲介者であると伝えられた。FarwestはSurikovが勤めていたInstitute of Globalization Studies (IPROG) を通じて金融面で Alexei KondaurovとKhordokovskyとつながりがある。Far West はCIAから特別許可を受け、Halliburton やDiligenceのために活動していた。169

 

Diligence とその関連会社 New Bridge がYeltsin一族と連動していた西側の政治的、金融的影響力を具体的に実証することになる。その主要なメンバーには以下が含まれる。

 

· Chairman Richard Burt、Deutschebank Alex BrownのDirector、従ってCarter Beese、Mayo Shattuck、Buzz Krongardへと結び付く;

 

· Neil Bush、George HW Bush大統領の息子;

 

· Ed Rogers、ロビイスト、Shiek Kamal AdhamとAdnan Khashoggi、並びにロシアのAlpha Groupのアメリカでの代弁者。Alpha Groupの代弁者として、この高レベルのロビイストはロシアの犯罪組織の一つの代表を務めた;

 

· Lord Powell、かつてBarrickの懇談会として報じられたことがあったが、広くはRothschild一族の出資金の代弁者として報じられている;

 

· William Webster、元CIA長官、元FBI長官。

 

こうした人物が、Halliburtonと共に、Far Westの雇用主となるのであった。そうして、彼らは政治的テロリストを雇い、保持する自分達の積極性を示すことになる。最終的にBushの組織とFarwestとの提携関係は以下のことを具体的に実証している:

 

· Adnan Khashoggiが、911の目的と計画の多くの局面での主要参画者であり、政治的テロと大量殺戮をもたらす工作活動を明らかに、ためらうことなく手助けしたこと、そしてそのことを示す文書化された記録があること!

 

· Dick Cheneyを含むBush一族の金融装置が、 Al Qaedaと同じ背景を持つイスラムテロリストを用いた政治的テロの契約を準備しており、また主要な麻薬ルートでもある、ある組織(Farwest)とのビジネスを継続していること!

 

· 1991年以来、Bushの贈り物として数十億ドルを受け取っているロシア/イスラエルのマフィア一族(特にYeltsin一族)が、Bushが率いた情報工作活動でも利用された同じプロの政治的テロリストを利用していること!

 

· Bushの 戦争装置がArmitageやSecord の他にも Al Qaedaが訓練した傭兵を雇うチャンネルを持っていたこと!

 

« 付随的被害 1/5 | トップページ | 付随的被害 3/5 »

E.P. Heidner」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1244825/53116088

この記事へのトラックバック一覧です: 付随的被害 2/5:

« 付随的被害 1/5 | トップページ | 付随的被害 3/5 »

フォト
無料ブログはココログ