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2013年11月25日 (月)

付随的被害 4/5

以下は、http://www.wanttoknow.info/911/Collateral-Damage-911-black_eagle_fund_trust.pdf#search='colateral+damage+911+ep+heidner'の日本語訳です。(p28からp39)

 

付随的被害 第四部

 

 

911でのBlack Eagle Trustと Project Hammerに対する隠蔽工作

 

債券は市場に出され、まるで時限爆弾のように、おとなしく10年間待った。ある時点で、2001年9月11日にそれらは清算、つまり換金される必要があった。それらを扱っていた可能性が最も高いアメリカの企業はCantor Fitzgerald とEurobrokersである。‐彼らは全米最大の2つの証券会社である。こうした取引についての捜査に主に従事していた連邦政府機関が米海軍情報部であった。

 

あの日、こうした3つの組織:アメリカの政府発行有価証券を扱う2つの最大ブローカーと米海軍情報部がほとんど直接的な攻撃を受けた。実際に、ジェット旅客機が標的とされたオフィスの真下を直撃し、炎が上の階を飲み込むことになった。こうした標的選びの戦術がノースタワーの23階に対しても用いられたが、そこには発生したと言われる不法な金取引に関する情報を保持していたFBIの証拠保管所があった。

 

この攻撃には相互に関係したアジェンダがあった。 1989年に開始された秘密理の冷戦作戦が金融不正に対する一連の海外、またアメリカでの申し立てを引き起こし、その結果少なくとも9つの連邦政府による捜査がこれらの取引に関連した銀行口座に対して実施されていた。こうした捜査は全て、1997年から1998年の期間に開始された。これはOsama Bin Laden が‐20年間にわたりアメリカの秘密戦争のためのイスラム戦士の採用活動を行った後に‐アメリカに対して fatwa(死刑宣言)を宣告したのと同じ年であった。(ここでの理解の鍵は、連邦政府機関による捜査は、公式の捜査が一般に宣言される前に、「静かな」捜査の期間として既に行われているということである。)

 

1)Marcosの金に関する公聴会は1997年8月にLos Angelesで開始された。この公聴会で関与が示された銀行は以下のスイスの銀行であった:UBS、 Bank Julius Baer。

 

2)  Eizenstatz ReportとSimon Wiesenthal Centerによって仕掛けられた一般向けの3つのスイスの銀行に対する訴訟へのキャンペーンが開始された。

 

3) Reginald Howeによる訴訟‐ここではアメリカのブリオンバンクがアメリカ財務省の金をマーケットへ不法に投売りした容疑で訴えられた。Reginald Howe & GATAによる訴訟は2000年1月8日に提訴され、被告としてDeutschebank(別名 Deutschebank Alex Brown)、アメリカ財務省、Alan Greenspan、 Federal Reserve、Citibank、Chaseの名前が挙げられた。またこの企ての非公開の知識を持っていたとして名前が挙げられたのは、Gerald Corriganと Barrick Goldであった。(2000年の提訴は捜査がそのかなり前に始まっていたことを示唆する。)

 

4)The Bank of New Yorkのマネーロンダリングスキャンダル:司法省は、こうした取引から利益を得た以下の人物の口座を捜査するよう圧力を受けていた:Loutchansky、Marc Rich、Berezovsky (Berezovskii。) FBIの捜査は1998年の秋に開始された。投資家による訴訟は1999年9月に始まった。これらの捜査は、Credit Suisse、Union Bank of Switzerland (UBS)、Dresdner Bank、Westdeutsche Landesbank and Banque Internacionale of Luxembourgの口座を対象としていた。これらの銀行の口座は全て、Bank of New Yorkのマネーロンダリングスキャンダルにおいて役割を果たしていたとしてある時点で言及されることになる。Bank of New Yorkは、Bank of New Yorkのマネーロンダリングが、George Bush大統領と非常に関係の深い連邦検察官、Mary Jo Whiteによって3年間にわたって葬られた後に、最終的に2002年に再開することになる。

 

5) Avismaによる訴訟は1999年8月19日に提訴され、被告としてBank Menatep、 Harvard Institute for International Development、the Bank of New Yorkの名前が挙げられた;

 

6) Konanykhineの所有する European Union Bankに対する連邦政府の捜査:Konanykhineに対する捜査は1999年2月にINS(米国移民帰化局)によって開始された。この捜査に含まれていた他の銀行は、European Union Bank、Bank Menatepであった。

 

7) Richard Giffen/Mobil Oilのスキャンダル‐FBIの捜査は1999年に始まり、Credit Suisse、 Bank of New York、 Cayman Islands、the Deutsche Bank (別名 Deutschebank Alex Brown)を対象とすることになった。

 

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8)YeltsinのUSBの口座は賄賂の疑いで捜査されていた。

 

9)Kevin Ingramは自身がBob Grahamに前もって世界貿易センターが攻撃されることになっていると伝えたと証言した。このDeutsche Bankの重役はパキスタンのエージェントを通じたイスラム教テロリスト向けの兵器購入のためのマネーロンダリングで有罪判決を受けた;Ingramへの捜査は1999年7月という早い段階で開始されており、Deutschebank (別名 Deutschebank Alex Brown)を対象としていた。

 

こうした捜査記録の一部が第6ビル、第7ビル、ノースタワーの23階のFBIオフィスにはあった。アメリカの情報機関によって整えられたこうした会計構造は、9つの異なる方向からの捜査を受けていた。これらはいずれも、この資金の提供源を明るみに出し、Black Eagle Fundという起源にたどり着いてしまう可能性があった。このような捜査は回避される必要があった。

世界貿易センタービルに何が起きたのか見極めることは困難ではあるが、不可能ではない。政府は、911委員会を調べることで集積される証言を封印し、政府職員にこの件に関して話さないよう、さもなければ厳しい刑罰を受けることになると指示しているが、あの日それらのビルに何が起きたのかについては数多くの個人的証言がインターネット上には投稿されている。こうした証言を注意深く再構築すると、ビルを攻撃の標的として狙うことによるだけでなく、炎や爆発を意図することで証拠を計画的に破壊したことが示される。ハイジャックが失敗したり、ビルが破壊されない場合には、証拠は炎によって破壊されることになっていた。捜査証拠が破壊されたことに加えて、連邦政府官報はブローカーが地下金庫に保持していた物理的な証券そのものが破壊されたと伝えた。

 

さらに意味深いことは、連邦準備銀行と証券取引委員会のその日と直後の余波の中での行動である。9月11日に同時発生したことの一つであるが、連邦準備銀行は中心街の本部からではなく、遠隔のバックアップサイトから情報システムを稼動していたのであった。証券取引委員会と連邦準備制度は911の攻撃によってもビクともしなかった。それらのシステムは全て稼動を続けたのであった。前述の主要な2つの証券取引会社は取引データを遠隔システム上にバックアップしていた。にもかかわらず、証券取引委員会は初めて証券取引法12項(k)の下での緊急事態権限を行使し、一時的に特定の規定制約を緩める命令を発布した。

 

規則を一時保留する連邦準備銀行

 

危機の最初の日に、証券取引委員会は“規則第15条c3-3項 - 顧客保護積立金と証券保管”を解除した。これは以下のプロセスとして取引規則を定めている:

 

[売り手]が他の証券とこの協定の制約を受ける証券を置換することは許されないこととする。そのため、この協定において[買い手]が[売り手]に他の証券を置換する権利を認めない限り、[売り手]は[買い手]の証券を常に分別して保管しておかねばならない。

 

所要の預け入れが不履行である場合の通知。

 

証券の物理的所有または管理。

 

所要の情報公開。
証券の管理/証券を所有または管理する上での要件。

 

簡単に言えば、GSCC(政府証券決済公社)は攻撃の際に破壊された物理的な証券そのものを他の証券で代用することが許されることになったのである。

 

「…担保の代用は直ちに満期を迎える担保に関して実施可能であり、また実施すべきである。」191

 

こうした決定の後に、GSCCはブラインドブローカーによる解決を拡張する別の覚書を発布した。「ブラインドブローカー」とは取引の両サイドの関係者の匿名性を維持するディーラー間での取引のための仕組みである。このブローカーが取引者本人の代理人としての役割を果たす。

 

「ブラインドブローカーによって締結されたレポ取引だけが、精算と調停の取り組みを直接的に促進する際になされるべきものであらねばならない。新たなブラインドブローカーによる取引は実施されるべきではない。」192

 

この時点において、連邦準備銀行とその傘下のGSCCは管理と報告を免れた清算状況を生み出したのであった‐この状況においては満期の来た、不法な債券を有効な、新しい政府証券で代用することが可能となり、不法な債券がどこから来たのか、どこに新しい債券が行ったのかを記録する必要がなくなったのである‐これは全て、アメリカ政府証券を扱う主要なブローカーの書類が消し去られたからである。

 

p.30
しかしながらこうした行動のみでは、問題を解決するには不十分であった。なぜなら連邦準備制度には新しい10年物の中期債の充分な「引き受け手」がいなかったからである。単に売り注文と買い注文を一致させるのではなく、これは「未決済」問題を解決するには不可欠であったが、Fedは売り買いを一致させ、均衡を保つ以上のことを行っていたようである‐Fedは特別オークションで新しい中期債券をマーケットに出していたのだった。受益者の一部は売却を望んでいたようである!

 

直近発行の10年中期債券に関する深刻な決済の問題により、 アメリカ財務省は10月4日に新たな10年債券の発行を再開し、新たな10年債券の例外的な「スナップ」 オークションを開催することになった。」193

 

準備制度が2,400億ドルの秘密債券の清算を隠蔽しなければならなかったとしても、彼らは通貨危機の時期にあって資本量をそれほどの規模で収縮させることは出来なかったのである。彼らは過剰流動資金をマーケットに出し、段階的にソフトランディングさせねばならなかった。これが実際に起きたことであったと考えられる。約2ヶ月の間に、マネーサプライは911以前に水準に戻った。どのようにして連邦準備制度がこの偉業を果たしたのかは、次のセクションで説明される。

 

連邦準備制度とスリーカード・モンテ

 

現代アメリカの路上で最もよくある詐欺の一つはスリーカード・モンテ(訳者注:イカサマで金を巻き上げる賭博)の仕掛けである。 この詐欺の細部は多数あるが、本質的にはカモをだますディーラーの手口が三枚のカードの急速な回転(目くらまし)によって隠されているということである。911の余波の中での証券決済の不履行という急速な回転(目くらまし)が、Bank of New YorkとFederal Reserve が証券の借り換えに携わることを許し、元々は一大ルーブル詐欺に用いられた2,400億ドルに対してアメリカ人納税者に資金補充させる結果となったと考えられる。

 

911の後の連邦準備制度の行動についての説明を再検討すると、分析と推理から驚くほど複雑なクモの巣が明らかになる。連邦準備制度が発表した報告書は、マネーサプライを3,000億ドルを超えるほど増大した連邦準備制度の行動は金融部門の業務上の問題を克服するために正当化されると主張している。この報告書は印象的ではあるが、何気なく読む者が気付くのは、連邦準備制度の分析は全て、「だったであろう」、「らしい」、「おそらく」、「であったはずである」との表現を用いたもので、推測的で暗示的であることである。連邦準備制度の対応の根本的理由とその妥当性についての明確な表現は‐たとえあったとしても‐わずかしかない。

 

この業界の全般的な見方は以下のようなコメントとして表現されている:

 

「攻撃の破壊力それ自体によりアメリカの銀行システムに、特に銀行の支払い送信能力に、厳しい混乱が生じた。攻撃による物理的混乱には、マンハッタン南端部の金融地区の電話交換装置の機能停止、個々の銀行の記録処理プロセスや通信システムの機能停止、大手銀行の支払い業務のための場所であったビルからの避難、航空便による小切手の受渡しの中断、が含まれていた。」194

 

「9月11日の後の、公開市場操作は深刻に混乱した政府証券ディーラー集団の金融上の必要を満たす狙いがあり、目標レートでの需要を満たすために柔軟に差引残高を提供する業務を割引窓口に任せた。9月11日後の巨額の資金追加はそのため、翌日物のフェデラルファンドレートを目標として設定された操作手順の副産物であった。」[3]”195

 

「未決済が当初、取引記録と通信施設の破壊のせいで、増大した。未決済を避ける、あるいは未決済を改善するために通常採られる手法‐SCレポを通じた証券の借り換え‐が証券の受渡しの不履行と同程度に高くつくことが分かったため、それらは高いままであった。」196

 

このような表現を読むと、システムに大規模な、広範囲の混乱があったことが示唆されていることが分かる。これらが、「政策立案者が以前の債務管理慣行から大きく逸脱しなければならなかった」事情であった。197

 

連邦準備制度の分析を示す報告書が提示した事実は事実であるとはいえ、示されるように彼らは攻撃の余波の中で何が本当に起きたのか歪曲する傾向がある。実際、分析は800以上の銀行での混乱を報告しているものの、報告書を詳細に見ると、ごく「わずか」のみが深刻に混乱していたことが示されている。

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銀行の混乱の規模は、一つの例外を除いて定量化されていなかった。前述の表現も、混乱は基本的に一つの銀行に集中していたことを示すデータを取り上げていない‐その銀行とはBank of New Yorkであった。(このBank of New Yorkは、犯罪的新興財閥によるロシアからの経済的略奪と関係するマネーロンダリング容疑で捜査されていた銀行であり、彼らは911の余波の中でロンダリングされていたと考えられる秘密債券によって資金提供を受けていたと思われる。)これが、Fed が一日当たり1,000億ドルを超える未払い勘定残高を報告する一方で(関係していた銀行名は特定していないが)、Wall Street Journalが以下のように報じた理由である:

 

「911後の一週間のある時点で、BoNYは1,000億ドルの支払いの遅滞を公に伝えた。」198

 

世界貿易センター内にあり、完全に破壊されたDeutschebankは、そのような勘定残高の増大を伝えておらず、またBank of New Yorkと同じ取引通信ハブを利用していた、二つだけのclearing banksのうちの一つであった、JP Morganもそのような勘定残高の増大を伝えていなかった。誰も公に以下のように尋ねるものはいなかった:建物への被害のなかった‐Bank of New Yorkが業務の遂行が出来なかったと思われるのに、なぜこれらの2つの銀行は深刻に混乱していなかったのかと。BoNYで何が起きたのか理解することは、債券決済に関する問題点を理解する上で重要な意味を持っている。

 

「GSCCと複数のディーラーは、BoNYにあった彼らの管理口座に何が入ってきて、何が出て行ったのか、確認出来なかった。彼らはBoNY に彼らが受け取ることを想定していた証券について知らせることが出来なかった。彼らはBoNYに証券の受渡しの指示を与えることが出来なかった。加えて、GSCCはBoNYにあった自分達の口座への、また自分達の口座からの資金の動きを確認することも出来なかった。(GSCC Important Notice GSCC068.01)」199

 

無数の偶然の中で、Bank of New York(中心街の所在地に8,000人を超える従業員がいた)はその日3人の従業員を失った。これらの3人の従業員の一人は、どのように攻撃がBoNYに影響を与えたのか説明する上で最適な立場にいた。彼の名前はMichael Diaz-Piedra IIIといい、陸軍士官学校の卒業生でキューバからの亡命者の息子であった。Michael はBank of New Yorkの災害復旧計画部の次長であった。911の余波の中で、彼はBank of Americaの従業員として、つまりBoNYとは別の職についていた人物として報じられた。

 

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最後に、Bank of New Yorkの業務と911において経験した混乱のレベルに関して、ある重要な要素に光を当てる必要がある。金融システムの混乱はManhattan商業地区の通信ハブの喪失に原因があったとされた。電話ネットワーク運営センター(NOC)つまりハブが、WTCがその上に崩壊した時に、破壊されたという。しかしながら、Fedとの通信が不可能であったと報じられたBoNYの資金振替業務は、New York州のUticaで行われており、通信能力は全く損なわれてはいなかった。さらに、4つのBoNYのバックアップデータセンターは全てマンハッタンから46マイル以内に位置しており、配信設備を通じてテープ上のデータを規定通りFedへ配信可能であり、実際に配信していた。

 

事実として見えるように仕向けられた連邦準備制度の分析による真実と推測の混合した報告の中の、911の金融上の影響に関する報告を再検討すると以下のことが示される:

 

· アメリカの金融システムの混乱は連邦準備制度の報告書が一般市民に信じ込ませようとした程には広範囲に及ぶものではなかったが、一般市民は国家的金融的緊急事態を宣言し、連邦準備制度法の主要な規定を一時的に停止し、「10年債券の特別レート」をほとんどゼロに下げるための広範囲の必要性を理解するべく仕向けられていた。

 

· 連邦準備制度の主要な未判明の人物達がBank of New Yorkの主要な未判明の人物達と「共謀」し、ソビエト連邦を打倒する公式の秘密作戦の一部として1991年に作られた2,400億ドルの簿外の証券を、公にはその存在を認められることなく、清算することの出来る状況を生み出した可能性がある。

 

· 当初Cantor Fitzgeraldによって運用されていたこれらの証券は、911の余波の中でBoNYを通じて決済され、清算された。BoNYが経験したとしてWall Street Journal が報じた1,000億ドルの勘定残高のバブルは、これらの証券が簿外からバランスシートに移動された3日間の作戦行動の一部であった。(こうした簿外の処理プロセスは、アメリカ大統領の銀行取引アドバイザーであり、宣誓証書のもとで、これらの不法な証券の源である疑いのある –Project Hammer fundsを運用していたことを認めているEarl Cockeによって説明されている。)

 

· 「10年債券の特別レート」をほとんどゼロに引き下げることで、Fedは構造的に借り換え(レポ)決済の不履行の件数を増加させた。こうした人工的に生み出された統計上の未決済の上昇を隠れ蓑にして、2,400億ドルのロンダリングに起因する高水準の未決済は気付かれずに処理されることが可能となった。

 

· このバブルに対する言い訳はBoNY年次報告書と四半期報告書の脚注に見られる。それはBoNYが2001年の6月から10月の間にU.S. Trustから3300億ドルの商業証券のビジネス取引を、2000年のU.S. Trustの管理下にあった資産は2つの情報源によれば800億ドルか860億ドルであったと伝えられているにもかかわらず、引き継いだと報告している。200

 

連邦準備制度の911の余波への対応

 

2つの主要な混乱が金融マーケットでは報告されていた:

 

少数の銀行の余剰勘定残高が、報じられるところによれば、連邦準備制度を安定化させるためにクレジットの大規模な流入を必要としていた幅広い銀行の勘定残高の増加の原因であったという。こうした増加は9月12日に現れ始め、18日まで続いた。それらは3,000億ドルをアメリカのマネタリーサプライに加える結果となり、これがサブプライムマーケットの発端となった。

 

2)報告された証券決済における過剰な数の未決済により、決済の規制を解除することが必要となった。これらの未決済の2つの理由は以下のように報じられた:

 

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· コミュニケーションとデータが失われたことにより取り引きデータが行方不明となったこと。

 

· 10年中期債券の特別レートがほとんどゼロに下がったために、借り換え(レポ)決済が未決済を回避する金融上のインセンティブを失ったこと。

 

未決済の第一波の原因はBoNYの状況にあったとされている。

 

「9月11日のBoNYの口座への受渡しと、そこからの受渡しに関する完全な情報が欠如している中で、ブラインドブローカーによるレポの開始段階における決済不履行を引き受ける形で、GSCCは(9月11日の取引終了後)決済不履行となったとみられる取引は2,660億ドルになると記録した…継続していた接続に関する問題により、GSCCは9月11日の取引終了の後、BoNYに受渡しの指示を与えることが妨げられ、また9月12日のBoNYの口座での動きに関する情報を入手することも妨げられた。その結果、CGCCは9月12日の取引終了の時点で4,400億ドルの決済不履行を記録した。」201

 

マネーサプライを増大させた余剰差引き残高

 

Fedの911の余波に対する対応を検討すると、最も重要なことは連邦準備制度における勘定残高の集中であった。

 

「連邦準備制度における勘定残高の集中が‐テロリストの攻撃の後数日間は通常の14倍以上にレベルに上昇しており‐最も異常な出来事であったことは明白である…銀行システムの差引き残高の大部分が一つの銀行の口座に集中した場合、他の銀行は、全て等しく、支払いコストが高くなるか、あるいは、借り入れに対する流動性制約に直面することになる。 こうして彼らのさらなる支払いの実施の妨げとなった可能性がある。」202

 

些細な記述に見えるも知れないが、以下の修飾表現に注意していただきたい:「全て等しく」。代替となる説明は、簿外の負債をバランスシートに移動し、相殺する債権は世界貿易センターの瓦礫の中にあると主張するものと考えられる。

 

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[Liquidity Effects of the Events of September 11, 2001, James J. McAndrews and Simon M. Potter,Federal Reserve Bank of New York Economic Policy Review, November 2002, p.64.]から抜粋した表

 

重要な考慮すべき事項は911以前のこうした差引残高の毎日の平均である:「商業銀行にとっては、こうした差引残高は義務付けられた支払い準備金残高と超過準備金残高つまり業務に関連した残高で構成されている。3 こうした差し引き残高と業務に関連した残高34 の2001年8月の平均は一日当たり146億5千万ドルであった。203 

 

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こうして攻撃に起因する実際の急騰は、その週の残りの間の勘定残高での3,520億ドルという純影響を示すことになる。

 

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事実と考えられることは、余波の中で3日連続で報告されていた連邦準備制度の不均衡は大部分がBank of New Yorkに集中していたということである。Bank of New Yorkは不均衡の90%以上を示していたと伝えられており、この銀行が大規模な資金振替の受け手であり、 振替の送信を実施出来なかったことが示されている。

 

「911の攻撃の後の一週間のある時点で、BoNYは1,000億ドル以上の支払いが遅滞していると公表した。204

 

これは大きなコミュニケーションとシステムの機能不全に起因していたと想定されている。

 

「重要な国債の処理過程には、例えば、第二コンピューターがメインコンピューターに伝達する全てのデータを受信し、処理するシステムがあり、即座にデータを取り出せるようにしていた…しかし、この高価なバックアップシステムが国債取引を円滑に稼動させることが出来なかったことが判明した。これは主に、顧客からの取引に関する情報を受信し、彼らに取引状況を伝える通信回線の維持に関する問題がその理由である。「多くの場面において、私達のバックアップサイトは私達の顧客のバックアップサイトと取引していました。」Mr. Renyi は述べた。銀行が前もってこうした様々なバックアップセンターとの接続を確立していたとしても、それらはしばしば容量が足りないことがあり、概して完全にテストされたものでも、不具合を修正されたものでもなかった。攻撃の一週間後であっても、Bank of New Yorkは、国債マーケットの中心部分である、Government Securities Clearing Corporation(政府証券決済公社)への接続のような重要な通信回線の一部に問題があった。その週の数日間、Bank of New Yorkは取引に関するコンピューターテープをG.S.C.C.のオフィスまで車で輸送しなければならなかった。」205

 

「私達の資金振替ビジネス部門はNew York州のUticaにありますので、9月11日にも、マンハッタン南端部の通信回線がその日の遅くに機能停止するまでは、私達は処理を続けることが可能でした。その後、私達には証券や現金の取引を通常のやり方で処理することが出来なくなったため、過剰な流動資金が急速に蓄積されました。しかしながら、私達が金曜日までに通常の取引処理に戻り、週末にかけて未処理分を処理すると、バランスシート上の増大は急激に解消しました。」206

 

実際のところ、BoNYのシステムは全く機能不全にも、不稼動にも陥っていなかったのである。

 

「銀行の重役は、マンハッタン南端部のコンピューターセンターの中心的バックアップはマンハッタン南端部とは別の場所にあったのだから、一部の批判は、特に銀行が混乱の中にあったという考えは、都市伝説の色相を帯びていると主張している。マンハッタンの複数のコンピューターセンターは緊急時を想定して街の外のセンターに常にデータを送信するようになっており、9月11日にも実際にそうしたとBoNYは言うのである。」207

 

さらに核心をついているのは、BoNYの資金振替業務は New York州のUticaで行われており、そこの通信システムは手付かずであったことである。

 

矛盾する報告の興味をそそられる部分は、BoNYのTodd Gibbonsが9月11日の証券の取引量の「増加」を伝えている部分である。

 

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「非常事態の現場でも、通常のビジネス取引量に順応出来るだけでなく、私達が株式市場において最初の日に見たような、ビジネス取引の際立った急上昇にも順応出来ることは間違いありません。私達の非常事態計画には大量の過剰な取引を処理することの出来る能力が含まれていました;だから私達は取引量の増大に対処することが出来たのです…」208

 

しかしながら、その日の全体的な量は通常よりも25%少なく、全体量の3分の1、つまり4,000億ドルは通常のビジネス取引の後に極めてわずかな取引の中で取引されたのであった。下の表において見られるように、その日の全体的な取引は見たところ出来高よりもかなり顕著に減っているが、取引終了後になされた取引は極端に大きく、平均すると一まとめで350億ドルかそれ以上の大きさになる。これは2,400億ドルの証券が人目を忍んでマネーサプライの中に流し込まれたとの仮説と一致することである。加えて、BoNY と Fedの矛盾する情報は、BoNY の行動が一般市民に伝えられていたものとは異なっていたことを示している。

 

「2001年8月に、Fedは約1,500億ドルを口座に保持していたが、連邦電信決済通信網で振替送金された資金の額は一日当たり平均で1兆6,000億ドルを超えていた。9月11日に振替送金された資金の額は1兆2,000億ドル、基準期間の平均の約4分の3であった。しかしながら、量とは異なり、振替送金された資金の額は12日には通常の水準に戻り、そしてその後の7営業日の間に高い水準となった。」209

 

37   

 

[Liquidity Effects of the Events of September 11, 2001, James J. McAndrews and Simon M. Potter, Federal Reserve Bank of New York Economic Policy Review, November 2002, p65. ]

 

連邦準備制度は、自分達の主張を立証するために必要な具体的詳細を提供することなく、一般市民に広範囲にわたって資金流動性に関して問題があったと信じさせようとしたのである。実際、こうした事項は、単独ではなかったとしても主に、長年にわたり進展中の大きなマネーロンダリングの捜査を受けていたBoNYに特に集中していた。これらの勘定残高に関する事項はマネタリーマネーサプライの事実上の拡張という結果を招いた。この詳細は連邦準備制度によって報告されていない。こうしたマーケットの機能不全として報じられている原因は見たところ疑わしい。ちなみに、世界貿易センター内にあったDeutschebankはそのような勘定残高の増加を伝えておらず、同じ取引通信ハブを利用していた2つの clearing banksの片方であったJP Morganも、勘定残高の増加を伝えていなかった。加えて、こうした問題はBoNY とGCSSの間では文書化されていたが、他の金融機関にはそのような問題はなかったのである。

 

p.36
「…11日並びにその後の数日間にも主要な民間セクターの決済システム(the Depository Trust & Clearing Corporation and the Clearing House Inter-bank Payments System [CHIPS])で多額の決済がされていたことは注目に値する。」210

 

911の余波の中でのBoNYの行動が疑うに値するものであると信じるあらゆる理由が存在するのである。

 

未決済

 

911の余波の中で、Fedの分析は証券の決済の不履行は以下の2つが原因であるとした:

 

· 当初の機能不全により取引と対応するデータを一致させることが出来なかったこと。そして

 

· 証券の特別レートが低かったため、借り換えにより未決済を回避するインセンティブのない余波の中でブローカーによって「戦略的」に未決済が活用されたこと。

 

この特別レートの縮小は、上のセクションにおいて論じられた過剰な差引残高に関する事項に対応した、資金の流動性を増大するオペレーションに原因があったとされた。

 

その結果一人の主要な連邦準備制度の調査員はこれを以下のようにまとめた:

 

「未決済が当初、取引記録と通信施設の破壊のせいで、増加した。未決済を回避する、あるいは未決済を改善するために用いられる手立て‐SCレポを通じた証券の借り換え‐が証券の受渡しの不履行と同程度に高くつくことが分かったため、それらは高いままであった。アメリカ財務省は直近発行の10年債券を追加発行することで未決済問題に対処した。増大した供給が債券の借り換えを未決済よりもより魅力あるものにした。」211

 

未決済に対する標準的改善措置‐SCレポを通じた証券の借り換え‐は、Fedが特別レートをほとんどゼロに引き下げた時に、効力を失った。結果として、第二の、継続する「未決済」の「波」が、通常の取引者に未決済を回避させるインセンティブを取り除くことで発生した。秘密の資金調達中期債券の喪失に起因する基底にあった未決済の波を隠したのは、この構造的に生み出された第二の波である。

 

「『デスク』は十分な規模のレポを手配するために、提案の圧倒的大部分を‐新しい目標水準の3%よりもかなり低いレートで提示されたものまでも‐認めなければならなかった.」
(Markets Group of the Federal Reserve Bank of New York 2002, p. 24)
水曜日に、デスクは提議された提案を全て認めたが、そのうちの最低のものは0.75%であった:表2を参照。(Markets Group of the Federal Reserve Bank of New York 2002, p. 24)
実質的なFFレートは木曜日には1.25%にまで下がり、水曜日よりも低くなった。」212

 

「未決済を回避する、あるいは未決済を改善するために証券を借りる売り手のインセンティブは、証券の特別レートと共に落ち込んだ。特別レートがゼロに近くなると、必要な証券を借りるためにマネーを(ほとんどゼロ金利で)貸す売り手には得るものがほとんどない。13 これは証券の特別レートがほとんどゼロの時には、マーケットの参加者には、一連の相場操縦や仲間内での取引を切り抜けるインセンティブがほとんどないことを示している。マーケットのこのような局面は911の後の未決済の問題を理解する上で重要である…FF金利、よってGCレートが低い場合には、証券の特別レートは、より頻繁に最低限度にまで落ち込むことになる。こうしたことが起こるのは、いかなる特別レートにおいても証券の貸し手が得る報酬の総計は、GCレートと特別レートの差にあるからである。」213

 

次の表に示されているように、特別レートが2%から3%の幅で下がり、短期のレポにより未決済を解消する上での阻害要因を生み、統計上の相次ぐ未決済を生み出したのであった。

 

p.37
35      
[When the Back Office Moved to the Front Burner: Settlement Fails in the Treasury Market after 9/11, Michael J. Fleming and Kenneth D. Garbade, FRBNY Economic Policy Review / November 2002, p 41.]

 

この時点で新しく発行した債券をマーケットに出したFedの対応が、思いがけない形で(これは反論されるべき仮定である)、10年もの中期債券の引き続く低い「特別レート」の原因となり、未決済問題をその年の終わりまで続かせ、悪化させたようである。高水準の決済不履行が拡大した状況においては、直後には決済されなかったであろう残された2,400億ドルの決済を「統計上隠す」ことにはほとんど努力を必要とはしなかった。10月の3週間の未決済の小康状態はおそらく、債務の30日の短期借り換えを示していたのであろう。長期的な借り換えを求めて債務がマーケットに戻ってくるにつれて、投資者の不足によりさらなる未決済の結果を招くことになった。

 

p.38
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[When the Back Office Moved to the Front Burner: Settlement Fails in the Treasury Market after 9/11, Michael J. Fleming and Kenneth D. Garbade, FRBNY Economic Policy Review / November 2002, p]

 

ここで重要な観点は、2,400億ドルの秘密中期債券の原本を世界貿易センターの瓦礫の中に消失させながら、金融界の注意を引くことなく数日間でそれらに資金を補充するということは考えられないということである。中期債券は想定上、レポ市場で30日間の借り換えが可能であったと考えられるが、最終的な借り換えは数週間、あるいは数ヶ月間に拡張したのであろう。

 

911の攻撃の中心として、1991年に発行されたソビエト連邦の崩壊に資金提供するために用いられた2,400億ドルの秘密債券の隠蔽を誰かが計画していたという主張が存在している。911の金融上の影響を取り巻く事実は、こうしたことが可能であったことを示すだけでなく、その影響を説明する報告が意図的に誤解を招くものになっていたこともまた示している。

 

· アメリカドルのマネーサプライは911の余波の中で顕著に増大していた;

 

· 元ソビエトの犯罪者による不法なマネーロンダリングの中核にあった銀行が増大したマネーサプライの源であった(BoNY);

 

· BoNYの業務上の問題の根本原因として一般的に広まっている事象は、他の銀行には同様な作用、あるいは規模で影響を及ぼしていなかったようであり、また余波の中でのBoNYの業務に関する報告と整合性がない;

 

· これらの事項について洞察を提供する可能性のある重要な証人は統計上の異常な死者である;

 

· BoNYの資産の3,300億ドルの増加の原因は「民間銀行業」という特権の元で隠されている;

 

· 金融システムに起こったと言われている唯一の「深刻な」混乱は連邦準備制度の勘定残高と証券取引の未決済であった‐両システムとも2,400億ドルの秘密証券のロンダリングを隠すために必要であった。

 

p.39
これは2,400億ドルがロンダリングされたことを示す「証拠」ではないが、それが間違いなく起きたというDurhamの主張に真剣な注意を払うもっともな理由を提供するものである。秘密工作活動と秘密の資金提供という謎めいた暗い影‐Durhamの夫の世界‐を深く見つめると、1991年から2001年の出来事についての彼女の主張が信憑性を帯び始めることになる。

 

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