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2013年11月21日 (木)

ブッシュはJFK暗殺に関与していたのか?

以下は、http://www.veteranstoday.com/2011/11/16/was-george-h-w-bush-involved-in-the-assassination-of-jfk/の日本語訳です。



George H.W. Bush はJFK暗殺に関与していたのか?

 

   
by Jim Fetzer and John Hankey


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George H.W. Bush (第41代大統領)のJFK暗殺への関与を示すおそらく最も説得力の強い事例が、John Hankeyによって提示されている。彼はこの犯罪に関する独立研究家で、この事件を明らかにする複数のドキュメンタリーを制作しており、その最新作は“The Dark Legacy”である。Johnは、特にSeamus Cooganが書いた厳しい批評を発表している“CTKA”と呼ばれる組織が彼に対して開始攻撃によって、大きな論争の的となっている

私はHankey が全面的に正しいと信じるものではない。特に、テキサス教科書倉庫ビルの前面に立っている姿が見える男の身元についての彼の懐疑は正当であるとは考えられない。また、「三人の浮浪者」の写真中に存在しているのがアメリカ空軍将軍 Edward LansdaleであるというFletcher Proutyによる身元確認についての彼の疑念も同様である。これは、元海兵隊司令官Victor Krulak将軍ほどの大物によって確認されたことで、この同じ男がGeorge H.W. Bushに歩み寄っている姿を写した他の写真もある。これらは皮肉にも、Hankeyの主張に対する想定可能な最も力強い確認となっている。-彼は正しい方向にあるのだ。

Lansdale は、暗殺を準備する彼の手腕のためCIAでは名が知られていた。私達の多くは、彼がDealey Plazaで起きた実際の処刑を組織したと信じている。

しかしながらCTKAの批評、“
The Dark Legacy of John Hankey”における暗殺についての議論の際、Seamus Coogan は多くの間違いをしており、JFK暗殺検証の動向になじみのない人は、それを偽情報工作の作品と疑うかも知れない程である。

CTKA のホームページはJim DiEugenioが管理しているため、私は彼自身のJFKについての検証からは一様に好印象を受けているものではないと述べねばならない。彼は Jim Garrisonに関する評価の高い著書
Destiny Betrayed (1992)を発表し、Lisa Peaseと共に Assassinations (2003) を共同編集した。後者は、元々はCTKAの刊行物、PROBEに発表されていた優れた多くの論考を再収録したものである。

しかし他の件についての彼の研究にはかなりむらがあることが私には分かっているのである。そのうちの一つは、特に、Shane O’Sullivanが明らかにした事象についてのJefferson Morleyと David Talbotの検証に対する彼の擁護である 。これは、Bobbyが撃たれた夜にAmbassador Hotelにいた三人の人物の身元特定に関することで、この件について私は“
RFK: Outing the CIA at the Ambassador”にて詳細に論じたことがある。私の過去における彼の研究のむらについての複雑な経験を基にしても、Hankeyの研究を批評する際の間違いに私は驚かされるのである。以下で三点について説明する。

(1)Coogan はHankey が傷を6箇所あるいは7箇所と述べていることを非難している。

 

Coogan が主張していることを間違いないものとするため、具体的な一節を一字一句引用する:

18:43 でHankey はKennedy とConnallyには総計6箇所の傷があったという考えを納得させようとしている。しかし読者は14:23 でHankey が、Garrison (Kevin Costner) が Alven Oser (Gary Grubbs) と Numa Bertel (Wayne Knight) を活用し、Kennedy とConnallyの両人にあった7箇所の傷の弾丸の軌道を具体的に示した「JFK」からの象徴的な裁判所の映像を既に利用していたことを思い出すであろう。Hankey はどういうわけか大抵の場合、侵入痕は侵出痕を残すという事実を見逃しているのである。

しかしJFKには喉に一つの侵入痕 (#1)が、背中の襟下5.5インチの脊柱のすぐ右の箇所に一つの侵入痕 (#2)が、後頭部の外後頭隆起付近に一つの侵入痕 (#3)が、右のこめかみ付近にもう一つの侵入痕 (#4)があり、一方John Connally知事には少なくとも背中に一箇所 (#5)、そしておそらくさらに二箇所もの、一箇所は右の手首 (#6)に、そして左の太腿 (#7)に傷があったのである。(#7)の傷が (#6)の傷により生じたのではないかということに関しては議論の余地があるが、6発か7発が当たっており-加えて他に3発がそれたということが私達には分かっているのだ!このことを示す証拠は
Assassination Science (1998)、Murder in Dealey Plaza (2000)、 The Great Zapruder Film Hoax (2003)において見出すことが出来るものである。しかしより容易には、例えば、簡単にネット上で閲覧可能な“Dealey Plaza Revisited: What happened to JFK?”において見出すことが出来る。

Hankey が間違っているとのCooganのほのめかしは、かなり重大な過ちという印象を私は受けたのである。こうした弾丸は前方から、側方から、後方から発射されていたのであった。

 

 

02lansdaletramps320x285_2(2)Coogan は Zapruderフィルムが正真正銘であるとの前提に立っている

別の一説で、Coogan は Zapruder フィルムが情報源として正真正銘であるということを当然視している:

読者は尋ねるであろう:「もし Connallyが間違った言い方をしていたのであれば、どうやってHankeyはKennedyが倒れこんだことを最終的に認めることになったのか」と。これは実際のところ、かなりな争点である。なぜならHankeyが倒れこんだという言い方をしたため、Connallyに Kennedyが「弾丸のせいで呼吸困難になっており、頭部を撃たれている」ことが分かったということについての議論が始まったからである。しかしZapruder フィルムにはこのことを示す証拠は存在していない。Zapruderフィルムから判断する限り、世界中の誰もが- Hankeyを除いて-Connallyはわずかに一瞬Kennedyを見たに過ぎないことがはっきりと確定可能なのである。彼は致命的な頭部の被弾の際には明らかに視線を戻していたのである。

しかしこのフィルムが再編集されており、リムジンの停止が削除され、JFKの後頭部が吹き飛んだことが隠されていたことを示す証拠は豊富にあり、説得力に満ちている。私は 1996年のダラスでのランサー会議においてZapruderフィルムの改ざんに関する第一回目のシンポジウムを組織し、この件について一冊の本と多くの記事を発表してきた。発表した記事には、Veterans Todayの
“JFK: Who’s telling the truth: Clint Hill or the Zapruder film?”“US Government Official:  JFK Cover-Up, Film Fabrication”が含まれている。Zapruder フィルムのカメラはセルロイドの16ミリストリップを使用し、「A」面を撮影し、次に反転して「B」面を撮影するものであった。

8ミリ投影機で投影するためには、分割し、結合する必要があった。しかしダラスで現像された8ミリの分割されたフィルムは、11月23日土曜日にワシントン.D.C.のNPICに持ち込まれており、ロチェスターで現像された16ミリの分割されていないフィルムは同所に次の日に持ち込まれたのであった。オリジナル版と現存する版の間には5箇所の物理的な相違点が存在している。

これでもまだ十分ではないかのように、Clint Hill はその日の自身の行動を47年間にわたり同じように説明している。その行動には、前方に走り寄り、リムジンに駆け登り、Jackieを押し戻し、彼らの上に覆いかぶさりながら、JFKの後頭部の大きな、こぶし大の穴を覗き込み、三線高架下道路に車両が到着する前に、同僚の方に振り返って、彼らの「否」のサインをしたということが含まれている。-しかしこうした行動は一つも現存するフィルムには映っていない。コマ313以降のコマと後頭部の吹き飛びが見えるコマ374を比較すると、誰でも自分自身で前のコマではそれが消されていることを確認可能である。

 

それからConnally もまた自身の証言において、彼は右肩越しに何が起きているのか見ようとして、その後より視野を広げようと左側に向き直った時に胸に側方からの弾丸による強烈な痛みを感じたと述べていた。これは Connally自身の証言がZapruderフィルムの捏造のもう一つの証拠を提供していることを意味している。こうした事象を理解することなく書く者は、無能であるのか、あるいは知らない振りをしているのかであると考えられる。

(3)Coogan は遺体が秘密裏に航空機から運び出されていたことを否定している

 

遺体に改ざんがされていたことは、David S. Liftonの詳細な検証、 Best Evidence(1980)により確定している。ARRB(暗殺記録再検証委員会)の軍記録主席分析者として務めたDouglas Horneが彼の五巻の研究書、Inside the ARRB (2009)において具体的に示しているように、これはARRB(暗殺記録再検証委員会)によって-間違いなく-裏付けられていることである。しかしながらそれでもCoogan は、JFKの遺体が大統領専用機エアフォースワンから秘密裏に運び出されており、全国的にニュースメディアが大きく見守る中で、公式の、葬儀用のブロンズ製棺は空であった可能性をめぐってHankey に課題を強いることをやめないのである。彼はさらには以下のような意見まで述べている:

 

 
03lansdalebush私は、Kennedyの棺の到着をどれほど多くの人々が見守ったのかと疑問に思わざるを得ない。何かが進展することなど実質的に不可能である。航空機が飛来する際滑走路が突然真っ暗になったが、停電の知らせがあり、航空機が飛行している間に光は復旧し、相当な重さの棺を運ぶことは全く困難になったのである。大多数の専門家が今日信じているのは、X線写真、それからおそらくは写真にも検死後に捏造がなされていたということである。そして明らかに、一部の写真は行方不明となっているという。(例として Murder In Dealey Plaza、175-218ページのGary Aguilarによる優れた論説を参照されたい。)

しかしパークランド病院でのパークランド記者会見の際Malcolm Perry医師によって三回にわたり小さな、円形の侵入痕として説明されていた喉の傷の説明は、(この説明を私は
Assassination Science (1998) 中の付属資料Cとして公表している)、Warren 委員会には提供されおらず、私がThe Great Zapruder Film Hoax (2003)の14ページで(また私の公共の場でのプレゼンテーションにおいても)説明しているように、ベセスダ海軍病院での検死の際に写真撮影された大きな、不規則な傷とは全く異なるものである。

しかしながら、Cooganの無能さを示すおそらく最も驚くべき点は、
Murder in Dealey Plaza (2000)中のGary Aguilar が書いた章からのお気に入りの部分の引用であろう。Aguilarの研究は、パークランド病院で観察された後頭部の大きな吹き飛びとベセスダ病院から報告された傷の説明の間の一貫性を具体的に示すことに専念したものである。Horneの研究から私達には、検死を担当したアメリカ海軍医療部隊の指揮官James Humesが、実際には傷を拡張するために頭部に頭蓋用のこを使用しており、 Aguilarはそれらの一貫性を誇張していたことが分かっている。

しかしながらさらに重要なことは、Aguilarが正しければ、フィルムは改ざんされていたことになることである。なぜなら彼が文書で示した後頭部の吹き飛びはフィルムの大部分では見えないからである。フィルムが改ざんされていたことを否定しつつ、Aguilarの研究を支持したいと望んでいた他の人々に対して私が説明してきたように、両者を一貫して支持することは不可能なのである。もしAguilarが正しければ、フィルムは捏造である;またもしフィルムが正真正銘のものであれば、Aguilarは間違っているのである。

 

Cooganの批評には、ニューヨークに着いた時に、自分は暗殺について初めて知ったというRichard Nixonの主張を額面通りに受け取っていることを含めて、他にも間違いが存在している。この点についてはいくつかの説明があり、その一つは「女性の叫び声を聞き、タクシーを止めさせ、窓を開けたとNixonは述べた」というものである。しかし窓が閉まっていたのであれば、どうしてNixonに女性の叫び声を聞くことが出来たのであろうか?また叫び声を上げることは言うまでもなくニューヨークではそれほど珍しいことではないのに、この極めて自己中心的でひねくれた男の注意を引いたというのである。Bush やLBJと同様に、NiksonもまたJFK暗殺に共謀していたのであった。 

 

私はSeamus Coogan が全面的に間違っていると、あるいはJohn Hankey が全面的に正しいと言っているのではない。しかし私は、JFK暗殺におけるGeorge Herbert Walker Bushの役割はこれまで注目されてきた以上に、さらに大きく注目するに値する主題であると確実に信じるものである。これは、全くJim DiEugenio や Seamus Cooganが注目しそうにない事象であると、私が推論せざるを得ないことでもある。そして振り返ると、CTKAが形成されていた際の私の参加しないとの決心は、その時点で分かっていた以上に賢明であったと考えることにもなる。

遺体の改ざん、大規規模に修正されていたZapruderフィルムを含めた、医学証拠について私達が知っていることを封印するという同組織が果たしている役割に私はますます困惑を覚えるものである。CTKAを運営している人々に、暗殺に関する私達の重要な科学的結論の最も基本的事項さえも正しく捉えることが出来ないのであれば、JFKに関する真実を追究する上で彼らよりも明らかに優れている人々を彼らが非難しようとしていることは何ら驚くべきことではない。

 

終わらざる話‐ブッシュがダラスにいたというさらなる驚くべき証拠
by John Hankey

歴史を科学として見るように私達が奨励されているとは、私は考えない。実際の所、全く正反対である。そしてもちろん、全く政治的なものである。勝者が歴史を書き、真実は非難されるものとなる。私達が進化論、タバコとがんの関係、地球温暖化という事例で知っているように、科学であっても政治的事項が関連した場合には、科学として振舞ことが困難になることがある。しかし私は、歴史は物理科学と多くの共通点を持っていると考えている。

 

例えば私は、アフリカとアメリカがかつては一体となっていたという「大陸移動」という考えが「単なる仮説」と見なされていた時のことを思い出すことが出来る;この考えは、一部の人々からは愚弄され、多くの人々からは娯楽と見なされており、ごく少数の人々によって可能性が高いものとして広められたのである。しかし時が過ぎるにつれ、証拠は蓄積されている;そして古い証拠の持っていた意味が定着し始めている;そしてかつてはトンデモないと見なされた考えは、徐々に使いこまれ、当たり前の常識と見なされ始めている。この過程の一部となるのが、新しい証拠の継続的な蓄積である。新しい断片がパズルに加えられ、全体像がさらに明らかになるのだ。そして時には、長年にわたり存在していた古い証拠の隠された意味が、突然認識に飛び込んでくることもある。アフリカ東岸とブラジル西岸で発見された化石と鉱物という証拠は、誰かがそれらが一致するものであるのか検証しようと決め、そして実際に一致するものであったことが分かる前から;そして西アフリカとブラジルはかつてくっ付いていたことが間違いなく実証される前から、長年にわたり存在していたものであろう。

George HW Bush とJohn Kennedy殺害に関しては、Joseph McBride が1988年にこの覚書メモを発見した:

 

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                         "中央情報局のGeorge Bush"についてのメモ
                                                    (訳者注:このメモの日本語訳が
こちらにあります。)

 

FBI 長官J. Edgar Hoover がこのメモを暗殺の5日後に書いており、George BushをCIAの幹部として名指ししているのである。最後の、最も決定的な段落は、かなり読みにくくなっている。以下が写しである:

「上述の情報の要旨が中央情報局(CIA)の Mr. George Bush と国防情報局(DIA)のCaptain William Edwardsに対して、1963年11月23日に同局のMr. V.T. Forsythにより、口頭で提供された。」

最初にこの情報が1978年に公表された時、George Bush は目立たない役人で、実際には無名であった。つまり1978年にはこの惑星上で最高の研究者がこのメモを見ても、彼らは注意を払わなかったのである。2年後にBushが副大統領になった時も、誰も当時有名になったブッシュの名前とこのあいまいなメモを結びつけることが出来なかった。しかしJoseph McBride が1988年にこの厄介な件に首を突っ込んでいた時、Bushは大統領に立候補していた;そしてMcBrideのメモを見て、飛び上がり、叫んだのだ。「何てことだ。このメモはBushについてのものだ!このメモは彼が以前、1963年にCIAにいたと書いている!」

それからとても長い間、焦点は単独の事実に当てられていた:Hoover が Bush が1963年にCIAにいたと述べたという事実にである。Bushは自分はその当時CIAにはいなかったのだから、このメモは他の「George Bush」に言及するメモに違いないと述べた。しかし歳月が過ぎるにつれて、人々はBushの私生活から、当時の彼のCIAや、CIAの反カストロ派キューバ人(このメモにおいて、Hoover は彼らを「誤り導かれた反カストロ派キューバ人」と呼んでいる)への深い関与を示す事実を集めることが出来るようになった。そして歳月と共に、以下の事実は否定できないものとなっている;Hoover は、自身が書いたメモにおいて、ほかならぬ、George Herbert Walker Bushについて言及していたという事実である。しばらくは、これだけのことであった。話は終わったのである。

 

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しかしHoover のメモの件名は、「John Fitzgerald Kennedy大統領の暗殺」である。これは重要ではないのだろうか?読者もそう思うであろう。しかし長い間、誰もその重要性を理解していなかったのだ。加えて、Hoover はこのメモにおいて暗殺についてはほとんど言及しておらず、一連の「誤り導かれた反カストロ派のキューバ人」に焦点を当てているのである。このメモの本文は、一目見た所では、このメモの件名である「John Fitzgerald Kennedy大統領の暗殺」と何か関係があるとは思えないのである。しかしその後、Mark Laneが著書
Rush to Judgmentにおいて、CIAの「誤り導かれた反カストロ派キューバ人」プログラムのmajor lieutenant E. Howard Huntがダラスにおり、暗殺に関与していたことを具体的に示し、そしてこのことを実際に陪審員団を納得させるという驚くべき仕事をしてくれた。こうした背景によって‐こうした研究者を導く枠組みによって‐こうしてBushとHuntを結び付ける証拠を集めることが可能となったのである。

Bushが以前Nixon政権での国連への大使時代に、ホワイトハウス内にオフィスを与えるよう異例の要請をしたことに気が付いた人もいるかも知れない。彼らはHuntがホワイトハウス内の誰からも給与は支払われておらず、私達がホワイトハウス内にいたことを知っている誰に対しても説明責任を持っていなかったにもかかわらず、彼もまたホワイトハウスにオフィスを持っていたことに気が付いたかも知れない。しかし、BushをCIAの「誤りみちびかれった反カストロ派キューバ人」作戦の監督者として確定するこのHooverのメモが手元にあることによって、BushとHuntをピッグス湾作戦において結びつけることが可能となるのである。

 

このメモが手元にあることによって、BushとHuntをホワイトハウス内にオフィスを持っていた二人のCIA工作員として結び付けることが可能となるのである。このメモが手元にあることで、Huntがホワイトハウス内の誰に対して説明責任を持っていたのか;またそもそも第一にどのようにして彼がそのオフィスを得たのか、答えることが可能となるのである。そして以上のことから、BushをHuntに、ダラスにいたHuntに結び付け、そのためBushをダラスにも結び付け、John Kennedyを暗殺した「誤り導かれた反カストロ派のキューバ人」に結び付けることが可能となるのである。これが彼がこのメモの件名を書いた時に、Hooverが私達のためにしてくれたことである。すこしづつ、断片が正しい場所に収まり始めている。そして単独では何も意味しなかった断片が、全体像の主要な部分となっていく。

 

しかしそうであっても、これは強固なつながりではない:Huntは直接JFK暗殺に関与していた。そしてBushがHuntを監督していた。しかしBushはおそらく多くのCIAの人間を監督していたのであり、その全員が暗殺に直接関与していたのではないだろう。高位にある幹部は、彼が彼らの指揮官であるという理由により、彼の部隊全員の全ての行動とつながっていると言える。しかしこれは直接的なつながりではない。これは幹部が部隊の全行動について知っていた、承認した、あるいは関与したということを確証するものではない。

 

Enter FBI memo # 2:

06bushwarning1531x640                          "Zapata 海洋採掘社の社長"についてのメモ
                                                         (訳者注:このメモの日本語訳が
こちらにあります。)                                                         

このことはすぐに再び出てくることであるため、冒頭の文章を注意して読んでいただきたい。BushはFBIに対して自身の身元をヒューストンの自営オイルマンであると名乗っているのだ。

このメモは暗殺のその日のダラスでのBushとHuntの間の一種の直接的なつながりを確定するものである。このメモは、暗殺から精確に1時間15分後になされたBushのFBIへの通話を記録している。私がこのメモに最初に出遭った時、そして私がこれを最初に私の映画、JFKⅡで表現した時、私はこれを単に「奇妙である」と見なした。私はこれをBushと暗殺の間の奇妙な、単独のつながりとして、分離して見ていた。背景の文脈の中でこれを理解するには数年かかった。数年かかってこの通話は、George Bushがその日任務についていたことを、明白に、具体的に示していることが分かったのである。.

 

彼の任務はダラスでのものであったため、彼はダラスシェラトンホテルに滞在していた。彼のFBIへの通話は成り行き任せになされたものではあり得ない。このJames Parrott はBushのために看板描きとして働いていた;彼は暗殺者ではなかった;この通話はそれが主張している目的のものではないのだ;Bushはこの電話をかけることで見えない秘密の役割を果たしていたのだ。つまりこの通話は彼のCIAの任務の一部として見られるべきなのである;この任務は明らかに暗殺と関係していたのである。このメモはこうして、Bushがダラス区域に、任務でいたことを確定するものである;それから彼の任務が暗殺に関係していたことを確定するものでもある。そしてもし彼の部下が、実際にそうであったように、ダラスで大統領を撃ったのであれば、彼は間違いなく彼らを監督する任務にあったことになる。もし彼が彼らを監督することになっていなかったのであれば、彼の上司は彼をテキサスのヒューストンの彼の所属オフィスか、カリブ海の彼の石油会社の石油採掘所に配属していたであろう。

 

しかし背景の文脈の中であっても、このメモとメモが言及している通話は依然として奇妙ではないだろうか?つまり、この有罪を示す非常識な電話をかけるほどBushは愚かであったのかということである。この通話を記録したFBIのメモがなければ、暗殺の当日にBushがどこにおり、何をしていたのかに関しては理解することも、糸口をつかむこともなかったのである。そうではないだろうか?Bushは最近まで、暗殺当日に自分が何をしていたのか記憶していないと、単に述べていた。しかしこのメモによって、Bushは自分がどこにいて、何をしていたのか私達に告げているのである‐彼は自分の頭を銀の皿にのせて私達に差し出しているのだ。 彼がFBIへ電話をかけるというこれほど愚かな過ちを犯す原因となったのは何であったのだろうか?これは正当な疑問である。これは最も重要な疑問ではない。私達は通話の理由という疑問に答えなくても、さらにこのメモを重視し、このメモから多くの重要な内容を引き出すことが出来る。しかし疑問は残るのである。

 

なぜ偽りの電話を?

そして私達はその疑問に答えることに挑戦出来るのである。Russ Baker は彼の優れた著書
Family of Secretsにおいて、Bushがアリバイを確立しようと企てていたことを示唆している。今では、この電話をかけることで、彼は実際には、彼がダラス区域にいたことを、そして彼は暗殺と関係する任務についていたことが確定しているのである。では彼が実際にどこにいて、何をしていたのかを隠蔽するためのアリバイを確立しようとしているのであれば、彼が隠蔽しようとしていることはこのアリバイで私達に示していることよりも何か悪いこと、何か有罪を示すことに違いないことになる。

では彼が私達に示しているよりも悪いこととは何であろうか?つまり明らかに、彼は実際にはダラスにいたに違いないのだ。事実、私は、この状況は彼が実際に Dealey Plazaにいたに違いないことを示していると考えている。私は真剣にそう考えているのだ。このことについて考えていただきたい。彼は真実が明るみに出ることを考えパニックになっていたため、自分の首をロープに通して、私達に差し出したということである。彼は Dealey Plazaにいたに違いないと、彼は狙撃者の同伴者であったに違いないと、彼はそのことを証明する証拠が存在すると感じていたに違いないと、私は考えざるを得ないのだ。

 

私達は現時点では、単に推測しているだけである。すぐに証拠は明らかになるが、状況を説明してみたい。罪人がパニックに陥った場合、彼らを犯罪に結び付ける証拠を隠そうとして、彼らはその時点で名案と思われる釈明、あるいはアリバイを発明するであろう;しかし実はそれが不利を招く罪の告白となるのである。では、この写真を良く見ながら、この件についてじっくり考えていただきたい:

07bushtsbd1213x320_2スーツ姿の、生え際の後退した、背の高い男が見える。多くの人々が、テキサス教科書倉庫ビルの前面に立っているこの人物はBushだと主張している。そうかも知れない、他の人間かも知れない。おそらく、彼がFBIに電話をかけ、自分自身に罪を負わせた時、Bushはこの写真よりも写り具合の良い、カメラの方を向いており、明確に彼だと認識可能な写真で姿を現してしまうかも知れないと懸念していたのだろう。

 

個人的には、私はこの写真がBushにそれほど似ているとは考えない;また実際、彼が殺害現場周辺をうろつくほど愚かであったとは私は考えない。彼は十分高位にあったため、現場の事項は下の者に任せて、立ち去っていたと私は考える。そうではないだろうか?少なくとも私の考えでは、あなたがBushのような幹部であれば、あなたはコーチであるということになる。あなたが計画し、あなたが自分の部下を訓練し、準備し、その後あなたは距離を置き、起きることを見守るのである。そのように私は考えた。

 

Fletcher Prouty は最高ランクの軍事工作員Ed Lansdaleが写った写真を見て、Lansdaleがgrassy knoll(芝生の丘)の後ろで拘束された「浮浪者」に「冷静に」全てはうまく行ったという合図を送っていることに間違いはないと確信している。Huntは高位にあったCIA幹部で、メキシコ地域本部の本部長であった;そして彼の息子がHuntは複数の写真中に姿が見えるgrassy knoll(芝生の丘)の後ろで拘束された「浮浪者」の一人であったと述べているのである。つまり、殺人作戦の最高位ランクの人員が明らかにそこに、最前線にいたのだ。不可避的に計画がうまく行かなくなった場合、こうした最高位ランクの幹部がどのような問題であれ修正することが出来るようにするためである。こうして、CIA幹部が居合わせたことを考慮すると、スーツ姿のこのやせた男の写真が、紛れもなく、Bushを写したものであると考えられることになる。その可能性があるのだ。

 

Dal-Texビルの狙撃者

 

では今度は、このDal-Tex ビルの写真を見ていただきたい。The Dal-Tex ビルは教科書倉庫ビルの通りの向こうにあるビルで、Jim Garrisonを含めた暗殺に対する多くの優れた研究者が、間違いなくこのビルに狙撃者の一団がいたと主張している:

 

08daltex1320x161_3                         Altgens写真と Dal-Texビルの窓の拡大写真

09daltexwindow320x248                         Dal-Texビルの窓のカラー版引き伸ばし

ご覧いただけるように、かなり想像的な人物が色を加え、この窓にいた三人の男を示している。極めて創造的で、想像的であり、確かにうまくは出来ている。それでも、Bushの顔を見出すには、かなりの想像と努力が必要とされる。しかしここで
Roger Craigについてのこのリンクを見ていただきたい。実は、この記事を読むのを止めて、そのリンク先の記事を読む必要はない。というのは、私が関連する箇所を引用するからである。これは、1960年の最優秀ダラス保安官代理賞の受賞者で、ダラスでその日勤務していた最も誠実な人物の一人であったRoger Craigの発言である。彼は素晴らしい、英雄的な人物で、その経歴と人格は常に注目するに値する。そしてこの下に引用した一節で、彼は自身がJim Garrisonと持った対話について述べ、以下のように発言している。

 

“Jim はまた私にその日Dealey Plaza で起きた拘束事案についても尋ねました。私は彼に、自分は12件の拘束事例のことを知っていたと告げました。一つは特に、ダラス警察署のR. E. Vaughn によってなされたものでした。Vaughn が拘束した人物はテキサス教科書倉庫ビルの通りの向こうのDal-Tex ビルから出てきたのです。その男に関してVaughn に分かった唯一のことは、その男はテキサス州、ヒューストンの自営石油操業者であったということだけでした。この拘束された男はVaughnの元からダラス警察の刑事によって連行されたため、Vaughnがこの被疑者のことを見たり、聞いたりしたのはその時が最後だったといいます。」(強調が加えられている)

 

Holy Moe Lee! Jim Garrisonと話しながら、Craig が「特に」と発言していることにご注意いただきたい。明らかに彼とVaughnはこれがその日になされた最も意味深い拘束であったと考えていたのである:grassy knoll(芝生の丘)の後ろの鉄道操業所で E.Howard Huntが拘束されたことを考えれば、全く驚くべきことである。この「他ならぬ」拘束者についてCraigに分かった唯一のことは、その男が、George Bushがその同じ日にFBIに連絡する際に使ったのと全く同一のCIAを隠す隠れ蓑、「テキサス、ヒューストンの自営石油操業者」を名乗っていたということである。こうして、誰がこの「自営石油操業者」であったのかについて考えられる解釈はごくわずかのみとなる。それらを見てみよう。

「自営石油操業者」とは誰であったのか?

 

CIAがダラス区域に狙撃者を監督する二人の人間を配置しており、その両人共が「ヒューストンの自営石油操業者」という指定された隠れ蓑を持っていたということは考えられることである。上に示した証拠がはっきりと示すように、Bushはその一人であった;そしておそらく別の一人がDal-Texビルに狙撃者と共におり、彼らを直接監督していたのであろう。しかしCIAの権力者がBushを罠にかけようとしていたのでない限り、権力者は関係者全員にBushのCIAの隠れ蓑を用いて、警察に自分達の身元として名乗らないように告げていたはずである。もしBushとは別の人間が犯罪に関与していても、そのため拘束され、その人間が警察官に自分は「ヒューストンの自営石油操業者」だと告げた場合には、Bushの方向へと容疑が向けられることになるのだ。BushのCIAのキューバ人とのつながりは既に広く知られていた。

 

Fletcher Prouty はそのことを知っており、書き記していた。キューバの対諜報部局長、Fabian Escalanteはそのことを知っており、書き記していた。かなりの信憑性を持ってダラスのマフィア狙撃者を運ぶドライバーであったと主張しているJames Filesはそのことをカメラを前にして語っている。またFBI長官、J. Edgar Hooverもそのことを知っており、自身が作成したメモでそのことについて書き記していた。つまりHooverの目から見るとBushは既に被疑者であったのだ。このため、「拘束された場合には、自分はヒューストンの自営石油操業者であると警察官に告げるように」とCIAの計画発案者が誰かに言うはずはないのだ。そうではないだろうか?なぜなら、そうすれば極めて疑わしい立場にあったことが既にはっきりと分かっていたBushに罪を負わせてしまうことになるからである。

 

もう一つのありそうにない可能性は、この「自営石油操業者」は全く無実の石油操業者で、何らかの形で疑念を招いてしまい、拘束されたというものである。Dealey Plazaのその角にたまたま偶然、別のヒューストンのオイルマンがいたという可能性があると読者は考えるだろうか?その可能性はあると考えてもよいだろう。ありそうになく思えても、その可能性があったと考えるのであれば、Bushが自分が拘束された際に、その拘束を目撃した別の石油操業者が群集の中にいたと考えるのも通りにかなっているであろう。

 

実は、Bushは暗殺の前夜にダラスでオイルマンの集団に対して講演していたのである(*2)。Dealey Plazaにそのオイルマンの数人がいた可能性があったのであれば、彼はその数人が彼の拘束を実際に目撃しており、Bushをその拘束の対象者として特定してしまう可能性を恐れる必要があったことになる。

そうすると、Bushが取り乱し、FBIへのこの有罪を示す愚かな電話をかけたのも、不思議ではない。たとえそれが彼がヒューストンにも、カリブ海にもおらず、ダラスにいたことを示すものであっても、少なくともそれは彼がDealey Plazaでの大統領殺害の容疑で警察に留置されていたのではないことを示すものであったのだから。

 

しかしここで立ち止まり、しばらく考えていただきたい:警察官の注意を引くような何を一体彼はしていたのであろうか?彼は一体何をしていて、警察官にBushを拘束せねばならないと考えさせてしまったのだろうか?おそらくビルから注意を引くことなく歩いて出てくることは、思う以上に困難なのである;Dal-Tex ビルの外にいた群集は銃声を聞き、大統領が負傷したことを聞いていたため、誰であれそのビルから出て来る人間を注意深く見つめていたと想定することは理性にかなっている。

 

しかしこの話は、Bushが殺害に手を染め、犯罪現場から立ち去ろうとする際に何も起きてはいなかったように振る舞って見せることが出来る程、冷静沈着な殺人者の類ではなかったことをはっきりと示すものである。そしてBushはこの、隠しておく必要のある感情を隠すことを隠すことが出来ないという性格的特徴に、老人になっても苦しみ続けていることが判明している。このリンクでご覧いただけるように、Gerry Fordの葬儀の席上、Kennedy暗殺について話しながら、Bushは突然口を大きく開いて笑い出すのである。これはモナリザの微笑ではない。これは歓喜に顔面がゆがみ、痙攣しているのである。

 

しばらく私達は、なぜBushがJohn Kennedyの脳が吹き飛んだのを見たことを回想して笑みを浮かべたのかという疑問を取り扱うことにする;私達にとって重要な点は、Dal-Tex ビルから出ようとする際にも、外見上彼は同様に不適切な、人目を引き付ける顔つきをしていたであろうということである;彼は自分の目で殺害者を、見逃すことの出来ない程はっきりと見ていたのである;この葬儀の席での笑みを見逃すことの出来ないのと同じように。そして犯罪はBushの顔全面に漂い、人々の注意を引いたのだ。そしてこの警察官、Vaughnが彼を拘束したのである。

 

Roger Craigが、その日に拘束された後、顔写真も、取調べも、指紋も、名前も残さずに消えた被疑者について話したニューオリンズの地方検事、Jim Garrisonとの対話と関連してこの話をしていることを、ここで思い出していただきたい。Garrison はRoger Craigとだけ話したのではなく、彼は間違いなく、その拘束をしたVaughnとも話したのだった。そしてGarrison は以下のように付け加えている:

 

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「少なくとも拘束された一人の男は狙撃の直後にDal-Tex ビルから走り出てきたのであり、自分がそこにいた説明をしなかった。見物人の大声のため、地元当局は彼を拘束せざるを得なかった。その男は保安官オフィスに連行され、取調べのため拘留された。しかしながら、保安官オフィスは、この被疑者への取調べの記録を、取調べがなされたのであっても、残さなかった;またその男の名前の記録も残さなかった。その後、二人の制服警察官がその男に付き添い、ビルから出てきて、待ちうける群集の野次に直面した。彼らはその男を警察車両に乗せ、車は走り去った。どうやらこれがその男のダラスとの別れであり、その男は永遠に全く姿を消し去ったのである。」 (On the Trail of the Assassins, p. 238)

この拘束され、警察署に連行され、おそらく記録をとられ(そうした記録は破棄されたのであろうが)、間違いなく恐れを感じ、パニックに陥ったBushの姿を想像することで、多くの、そのように考えなければ不可解なBushの行動を説明する背景が提供されることになる。間違いなくBushは取り乱し、パニックに襲われていたのだ!憤慨した群集が彼の拘束を強く求め、彼の釈放にやじを飛ばしたのであった。

 

こうした闇の案件においては初心者であるため、Bushは、水を逆流させ、時間を後戻りさせ、証人を沈黙させ、記録を破棄し、全てを解決する、CIAの年老いた悪魔の能力に信頼を置けなかったのだ。そのため彼はパニックになったのである;彼は愚かにも、自分自身で行動したのである;彼はFBIに電話をかけ、Dal-Tex ビル前面でその日拘束されたのは自分ではなかったという証拠を「巧妙に」提供していることのだと考えたのである。彼のパニックに陥った精神状態では、これは名案のようであった。彼は自分が実際には、彼自身の関与を示す永遠に残る全く確実な記録を作り出していたとは理解出来なかったのだ。

 

私達は今ではあの笑いもまた説明出来るのである。彼はGerry Fordの葬儀の席で、John Kennedy殺害について触れ、愚弄するかのように笑うのである。それは彼がKenneyの頭部の内容物がJackie Kennedyの全身に飛び掛るのがおかしいと考えるような残忍な鬼のような人物であるからではない;そうではなく、暗殺について言及することが彼に、彼自身のばかげたパニック、拘束、さらなるパニック、等々を生じさせた失策の喜劇を思い出させることであるからである。

 

Garrison はBushの拘束についての一節を1988年に書き記した。Craig保安官代理の記事は1971年に書かれ、1992年にインターネットに投稿された。しかし一連の文章の意味は、先週発見されたのだった。Craigの記事が投稿された1992年にはインターネットはほとんど普及していなかった。そして19年間、この語句、「ヒューストンの自営オイルマン」がBushを表す独特の説明であることに誰も気付かなかったのである。先月、JFKMurderSolved の仲介者の一人が私にそのことを示すまで、誰も気付かなかった。そして私はそのことについて数人の友人に書き、そのうちの一人が私はJim Garrison が言わねばならなかったことを読み取ったのだと示唆してくれたのである。

 

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こうして断片が正しい場所に収まり続けている。少しずつ、全体像が埋まっていき、疑問に答えが与えられている。そして推定がより議論の余地のないものとなっている。これはまさに、進化論やビッグバン理論;また大陸移動説において起きたような類のことである。そしてやがて彼らは歴史を、大学で、証拠に基づいた科学として教え始めるのである。本当のことである!そうしたことが起きる可能性があるのだ!そうして、BushのJFK殺害への関与は、入手可能な信頼できる証拠による唯一の説得力ある説明として、進化と同様、教えられることになるのだ。

最後の注記:最近まで、Bushは暗殺当日の自身の所在について、どこに自分がいたのか記憶していないと言う以上のことは発言していなかった。これ自体、異常なことであり、自己に不利に働くことである。その当時生きていた人は誰でも、911の日に、またKennedyが殺害された日に自分がどこにいたのかを記憶している。しかし、自分は記憶していないと言うことは、どれほどあり得なさそうではあっても、少なくとも何も言及のないBushの自叙伝とは一致している。

オイルマンという隠れ蓑の話

しかしながらその後、少なくとも一部分は私の研究に対応する形で、Bushと仲間達は、彼がテキサスのタイラーでロータリークラブに対して講演していたという話を作り上げた。このロータリークラブの副会長、Aubrey IrbyはBushが講演していた時、ホテルのベルボーイが来て、Aubrey IrbyにKennedyが死亡したと告げたと述べている(*1)。Irby 氏はその情報をWendell Cherry氏に手渡し、Cherry氏がそれをBushに手渡し;そしてBushは講演を止めたという。Irby 氏は、Bushがこの状況の元では政治に関する講演は不適切であると考えると説明し;彼は着席したと言うのだ。Bushの無実を証明しようとのアリバイとしては、この話には少なくとも三点の大きな問題がある。

問題点1:第一の問題点は、Bushがそうした出来事を記憶していなかったとは想像出来ないということである;またこの出来事は、彼が何と立派な礼儀正しい人物であるのかを示すものであるのに、彼が自分の自叙伝からその出来事を省いていることである。彼が以前このことを記憶しておらず、自分の自叙伝に記載してもいなかったのは、こうしたことが起きなかったからであることは明白である。

問題点2:この話の持つ第二の大きな問題点は、そのようなことが起きた可能性がないことである;そのようなことは、見ていくように、Bushの元々のアリバイ、彼のFBIへの電話によって、不可能となるのである:

この話を告げる証人、Aubrey IrbyはBushが釈明して、着席したと述べている。Bushは大急ぎで部屋を出て、電話を懸命になって探したとは述べていないのである。問題点は、Kennedyが死亡したという世界への
Walter Cronkiteからの発表は1時38分にあったことである。間違いなく、Bushが講演していた同じ部屋で、Walter Cronkiteの発表を聞いていたものは誰もいない。そのため、Kennedyが死亡したことをIrby に告げたこのベルボーイが別の部屋にいたことは確実である。このベルボーイはこのニュースを十分聞いたとして、ニュースを聞くのを止める判断をしなければならなかったのである。これは些細な点ではない。テキサス州知事 Connallyは重傷を負っていた。Lyndon Johnsonも負傷したと報じられていた。他にも多くの確認するべきニュースはあったのである。

そうしてある時点で、ベルボーイはニュースを聞くことを止め、知らせに行くとの判断をしたのである。ベルボーイがIrby のことを最初に知らせるべき人物であると考える理由は存在しない。しかしある時点で彼はBushが講演していた部屋に行き、大統領が死亡したことをIrby氏に伝えたのである。言うまでもなく、歩いてIrbyを見つけるには時間がかかった。Irby氏はその情報を受け取らねばならず、そしてキワニスクラブの会長、Wendell Cherry氏に知らせる判断をしなければならなかった。Cherry氏は、Bushの講演を遮るべきか判断をしなければならなかった;そうしてCherry氏はBushに歩み寄り、彼にそのニュースを告げねばならなかった。

 

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Bushは何を言うべきかの判断をしなければならず;言うべきことを言わねばならなかった。そして唯一の証人Irby氏によれば、Bushは「それから着席した」という。Bushは着席し終えると、どうにかしてIrby氏の注意を引くことなく、電話を探して、見つけねばならなかった。

 

電話はホテルの電話であったであろうため、Bushはホテルの電話交換台にたどり着き、外線につなげねばならなかったのだ。大統領の死の発表の後には電話交換台は混雑していたと読者は考えるであろう。それは見事な推測である。ワシントン.D.C.ではあまりに多くの人々が電話をかけようと殺到したため、電話システムが機能しなくなっていたのだ。

 

いずれにせよ、いったんホテルの電話交換手につながり、外線につながった後、Bushはインフォメーションセンターに電話をかけ、FBIの電話番号を入手しなければならなかった。インフォメーションセンターにつながり、FBIの電話番号を入手した後、そうして彼はFBIに電話しなければならなかったのである;そして間違いなく、極めて混雑していた、FBI側の交換台につながらねばならなかったのである;そしてダラス支局の歴史で最も混雑していたに違いない日に、彼は職員を見つけねばならなかったのである。読者はこうした行動には何分がかかったと考えるであろうか?

 

その時点では全ての公共の警察業務が進展していたことを考えると、民間人がつながったこと自体信じがたく思えるが、20分が偏りのない推測と思われる。ダラスのFBIは殺害現場一帯に配置されており、カメラのフィルムを没収し、目撃者を脅していたことを私達は知っている;つまり、どうしてBushが狙撃の一時間後に、FBI職員に連絡出来たのか想像することは困難なのである。BushがそうしていたとIrby氏が述べた「着席していた」ことを考えると、こうした出来事が45分かかったとしてもうまく出来た仕事なのである。しかしBushはこの全てを、FBIのメモが記載しているように、Kennedyの死亡の発表が最初に出されてから7分後の1時45分までに、なさねばならなかったのである;これは明白に不可能である。

 

問題点3:第三の問題点は、なぜBushがそのような話を作り上げる必要があったと感じたのかという疑問である。なぜ彼は私達にこのような嘘を告げねばならないのであろうか?なぜ彼は自分のために、Irbyのような他の者に、嘘をつかせなばならないのであろうか?彼が嘘をつくことで、自分自身を無実としようと懸命に試みれば試みる程、彼の有罪を示す証拠を彼が私達に提供することになるのは、皮肉である。

 

(*1) Kitty Kelley著、 The Family: the Real Story of the Bush Dynasty、 p.213; Russ Baker著、 Family of Secrets、p. 54にて引用されている

 

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20-セクション1 ダラスモーニングニュース1963年11月20日水曜日

課外活動‐アメリカ油田採掘業者、午後6時30分、木曜日、シェラトンダラスホテル:George H.W. Bush、Zapata 海洋採掘社、社長

11月21日木曜日‐JFK暗殺の前夜のアメリカ油田採掘業者協会の会合での講演者としてGeorge H.W. Bush を告知する1963年11月20日のダラスモーニングニュース紙

 

(*2) 一部には、この点を指摘して、このような主張までする人々も存在する。「そうか!このためにBushはダラスにいたんだ!大統領を殺すためではなく、他のオイルマンに講演するために!」しかしHoover が作成したメモが示しているように、オイルマンというのは、単にCIAの訓練された殺人者を監督する監督者というBushの本当の任務を隠す隠れ蓑であった。彼にはダラスにいる口実が必要であったのだ。この講演の仕事は彼に言い訳を提供していたのである。

 

                                    監督から

「George Bush が Kennedyを殺した。あるいはそれはマフィアであった?もしかするとカストロがやった。誰が構うというのだろう?40年前の話である。どんな違いがあるというのだ?」

 

重要視すべき問題である。

彼が死亡した日に、私達は計り知れない富を失ったのだ。このビデオは、冷戦の沈静化に努め、そしてアメリカの人々に彼らのロシアの敵を、下劣な非人間的怪物としてではなく、私達と同様な人間として見るよう働きかけた、平和の人を私達は失ったということを示すものである。

 

1963年11月22日、あなた方はあなた方の命を1962年10月17日に救った人を失ったのである。ミサイル危機の真っ只中において、Kennedyの軍司令官と顧問団はキューバに対する先制ミサイル攻撃を開始するよう迫っていた。彼らはKennedy にキューバのロシア製ミサイルは核弾頭ではなく、発射準備もされていないと確約した;しかしともかく大統領と自分達は万が一のために、爆弾攻撃避難所という安全な場所に静かに立ち去らねばならないとも言うのだった;それから私達全員を死ぬ危険にさらしながら、攻撃を開始するのだと。Kennedyはこのことについて考えた。そして彼は彼らに誰もどこにも行くことはないと告げたのだった。

 

もし誰かが死亡するとすれば、ロシア製ミサイルの主要標的であったホワイトハウスの座にいた彼らこそ最初に死亡していたはずである。団結して彼らはより安全な計画を考え出したのだった。当時の国防総省長官、Robert McNamaraは最近になってロシア側から、そのミサイルは核弾頭を積んでおり、発射準備が出来ており、攻撃された場合には司令官にはそれらを使用する権限が与えられていたことを知った。もしあなた方が北半球に住んでいるのであれば、あなた方の両親の命、そしてあなた方の未来はその日間違いなくJohn Kennedy によって救われたのである。彼を殺害した者を明らかにすることは重要視すべき問題である。

 

退任演説の中で、Eisenhower大統領はKennedyに、また私達全員に、Eisenhowerが呼ぶところの「軍産複合体」が民主主義に突きつけている脅威について警告した。また一方Kennedy は周知のごとくCIAを追求し、ベトナムへ軍を派兵することを拒んだ。私は、なぜKennedy はもっと公然とこうした軍産複合体を攻撃しなかったのか、常に不思議に思っていた。そしてその後私は、Kennedyが国連で行ったスピーチに巡り合った。このビデオで見るようにKennedyは、「全ての軍と全ての兵器を廃絶する」ために、こうした軍産複合体と戦う上で彼を支援してくれるよう、ロシア人に、国連に、呼びかけていたのである。

 

しかし彼は消し去られたのだった。その後の年月において、数百万人が必要のない戦争で死亡し、数兆ドルが「防衛」に無駄につぎ込まれ、数百万人以上の人々が不必要な形で貧困の中で生活し、死亡している。私達が彼を失ったことは重要視すべき問題である。

14brucewillis320x2392007年に、Bruce Willis は雑誌Vanity Fair にこう語った。「彼らは今も Kennedyを殺した人間を捕らえていない。こう言うと殺されるだろうが、何らかの形でそうした連中が今も力を持っていることは、間違いないと思う。合衆国政府は完全に乗っ取られたのだ。」

 

彼は天才ではないと私が示唆しても、現在ではおそらく Willisも気にしないだろう。せいぜい、彼の観察は常識に過ぎないのだから。アメリカ人の80パーセントが彼に同意している。Kennedy が世界で最も力を持った人間達によって倒されたことを示しているこのビデオは、実は、秘密文書に基付いたものではない。単に封印されてきた情報によるものである。Oswald がKennedy を後方から撃ったと言われている。しかし彼が死亡した日に、ニューヨークタイムズは、Kennedy には喉に弾丸が侵入した傷、右のこめかみにもう一つの傷、後頭部に大きな穴の開いた弾丸が侵出した傷があったことをダラスの医師が語ったという記事を掲載したのだった。

 

救急治療室の医師と話した後、Kennedyの報道担当官は集まった報道陣に、右前方からの右のこめかみへの一発は「頭部を貫通」していたと説明した。右前方の、grassy knoll(芝生の丘)付近にいた目撃者は全員、その方角から銃声が聞こえたと説明しており、多数の目撃者が射撃者を求めてその丘を駆け上った。これらの目撃者は報道機関に話していた。しかしこうした情報は全て50年間にわたり封印されてきたのである。誰によって?誰にそのようなことが出来たのか?

 

このビデオではまた、理性的反論の余地なく、Kennedyの遺体がエアーフォースワンから盗み出されていたこと、それから検死の前に、喉の傷が切開されていたことを示す最高の証人による圧倒的な最高の証拠も目にすることになる。Jackie Kennedy はダラスからベセスダ海軍病院までの航空機の中で空の棺を見守っていたのだった。その後Jackieと空の棺が到着する20分前に、遺体は静かにベセスダに検死のために運び込まれたのである。誰がこうしたことを手配する力を持っていたのであろうか?

 

証拠を全て封印し、単独殺し屋についてのばかげた嘘で私達を情報攻撃し続ける力を、今日、誰が持っているのであろうか?短いリストになるのではないだろうか?そのリストにはマフィアやロシアやカストロは含まれないものである。そのリストにはBush一族が含まれており‐それ以上に大手石油会社の所有者;銀行業界のエリート;軍産複合体の中枢が含まれているだろう。こうした人間達が、そして彼らの後継者達が、911の攻撃を仕掛けたのだ。重要視すべき問題である。

Jim Fetzerは元海兵隊将校で、ダルースのミネソタ大学のマックナイト名誉教授である。

John Hankey は30年近くロスアンジェルス市の学校で、「歴史として」通用している事象の見直しを提起する代替的研究方法を含めて、歴史と英語を教えている。

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