« 付随的被害 5/5 | トップページ | 元連邦準備銀行分析官William Bergmanへのインタヴュー »

2013年11月27日 (水)

元連邦準備銀行の分析官が911に先立つM1通貨部門の急増に関して疑問を提起

以下は、http://www.visibility911.org/former-fed-analyst-questions-m1-currency-component-spike-prior-to-911/の日本語訳です。

 

 

元連邦準備銀行の分析官が911に先立つM1通貨部門の急増に関して疑問を提起
2007年7月31日、Michael著

 

元連邦準備銀行の分析官が911に先立つM1通貨部門の急増に関して疑問を提起
Ed Haas著

MUCKRAKER REPORT

 

2007年5月22日– William Bergmanは1990年7月から2004年初頭までシカゴ連邦準備銀行で働いていた。彼は8年間エコノミストとして務めた後、金融市場と決済システムの危機管理方針に関する事項を検証する新しい部署での上級分析官の役職へと異動した。2003年の暮れに、彼はマネーロンダリングの分野での職務を受託するか考えるように求められた。Bergmanはその職務を受託し、業績調査を受け、内密の銀行業務情報にアクセスすることの出来る信任許可を受け取り、その分野で働き始めた。彼は自分は「テロリズムに対する戦いの一部」であると告げられ、「いい質問をしている」と告げられた。

Backofusseal
このマネーロンダリングの分野での職務の一つは、受理された場合には、連邦準備制度の参考情報としての役割を果たすことになる論文をBergmanが作成することであった。

Bergman は自分の新しい職務を、自分自身やマネーロンダリングになじみのない人をマネーロンダリングという話題に通じるようするために、40のQ&Aを作成することから始めた。彼はこのQ&Aが、マネーロンダリングの歴史、この分野での法的進展、金融当局の役割を含む基本原理を扱った、入門教材の役割を果たすことが出来ると考えたのである。

自分の草稿を上司に提出した後、Bergmanは自分の仕事の了承を得、それは参考資料としてみなされうると告げられた。しかしながらBergmanは、彼のQ&Aの中の、一つの疑問には答えがないままにしていた。つまりBergmanは40の疑問に対して39の答えしか提示していなかったのである。その草稿を受け取った上司はBergmanに草稿では答えられていない唯一の疑問に答えて、彼の仕事を続けねばならないと告げた。
何がBergmanが草稿に取り入れた疑問を答えられないものにしていたのであろうか。Bergmanは連邦準備制度理事会が2001年9月11日から数週間後に、12の準備銀行に対して指令書簡を発布し、テロリズムの活動や資金提供の追跡に関する疑わしき活動の報告の精査を促していたことに気が付いていた。しかしながら、Bergmanはまた、理事会が明白にはテロリズムには言及していないものながら、同様な書簡を2001年8月2日に発布していたことにも気が付いた。[1] Bergmanによれば、テロリズムやテロリストへの資金提供は「疑わしき活動」の一部として知られており、2001年8月2日の指令書簡は疑わしき活動の報告の精査をはっきりと求めており、テロリズムの活動や資金提供を追跡することを示唆し、求めたものであったいう。Bergmanの40のQ&Aの中で答えの見つからなかった疑問とは、なぜ理事会は2001年8月2日に書簡を発布したのかという‐極めてまっとうな、論理的で、重要な、そしてまた今日まで答えられていない疑問である。
上司が彼に許可を与え、2001年8月2日の指令書簡に関する答えを見つけるよう指示したという事実を踏まえて、Bergmanは答えを見つける最善の方法は連邦準備制度理事会のメンバーに直接接触することだとの結論に達した。2003年12月に彼は理事会に電話をし、2001年8月2日の書簡の背景にある意味や動機について尋ねた。2週間もしないうちに彼の職務は突然打ち切られ、彼の信任許可は取り消された。
Bergman は説明する:

その頃私は通貨流量のことも調べ、疑問に思っていました。私はこれらの疑問は追及するに値すると考え、私が前述の理事会への電話をした時、問題提起する予定でした。M1通貨部門(銀行以外を流通している連邦準備券)は特に2001年7月、8月に急速に上昇していました。事実、2001年8月までの中で、その月(2001年8月)は、季節ごとに調整された基準では、2001年7月のかなり平均を上回った成長のすぐ後であったのですが、1947年以降のM1通貨部門の最速成長月の三つのうちの一つでした。7月‐8月の急上昇(平均を50億ドル超えていた)は100ドル札単位だったと思われるのです。他にも解釈はありますが、差し迫ったテロリストの攻撃を知り、1979年のイラン人質危機や1998年の大使館爆発の後に発生したような資産没収の可能性について懸念していた人間が、2001年7月と8月に自分達の銀行口座を清算していた可能性があるのです。このマネーを追跡すると、攻撃に責任があったとまでは言いませんが、攻撃を知っていた人間についての重要な鍵を提供することが可能でしょう。この件に関する内部データを調べてみました。このデータは連邦準備制度の内部コンピューターネットワーク内の誰でも参照可能であったのです;1週間か2週間後に再びこうした重要なデータを調べてみると、自由に参照可能ではなくなっており、パスワードで保護されていました。

彼のマネーロンダリングに関する仕事が、理事会のメンバーへの接触による所定手順の言語道断な侵害と当時説明された理由のため打ち切られてからおよそ1ヶ月後に、Bergmanの部署は他の部署に吸収され、彼の14年間の連邦準備制度での職は終わった。彼は、連邦準備制度における彼の役職からの排除は彼個人とは直接関係はなく‐組織上の事情であったと告げられた。彼は退職手当の申し出を受け、それを受け入れ、2004年3月にシカゴ連邦準備銀行を去った。

911に先がけて異常に多く発生したアメリカン航空やユナイテッド航空のような航空会社のプットオプションや、Axa、 Allianzのような世界貿易センター複合ビルの保険会社のプットオプション、あるいは他の利害のあった保険会社のプットオプション(こうした会社の株式価値が911の後に急落した結果、これらのプットオプションで内通者は数十億ドルを手にした可能性が高い)について調べようとも調べなくても、もしくは100ドル紙幣で50億ドルを示していたと見られる2001年7月/8月のM1通貨部門の異常な急上昇について調べようとも調べなくても‐読者に残されているのは、911の予備知識が合衆国内に広く存在しており、その事件は防ぐことが可能であったにも関わらず、その事件は可能とされ、利用されたことを示すさらなる証拠である。

 

そして2001年8月2日の指令書簡とは何であったのだろうか?何がその書簡を書かせた背景にあったのであろうか?悲しいことに、アメリカ人はここでも再び途方に暮れ、自分自身でそれを究明するしかないのである‐なぜなら感情や偏見から離れて法の支配を支持するべく委ねられている人が誰一人、誰が何を、いつ知っていたのかを調べる‐徹底的な断固とした犯罪調査を開始しようとはしないからである。

 

911の予備知識がありながらそれが起きることを防ぐ行動と/あるいは取り組みをしなかったことは、控えめに述べても‐犯罪的に怠慢な殺人行為‐重罪である。アメリカ政府内部や海外情報筋の、また銀行カルテル内部の多くの人間に対して、また広範囲にわたる未起訴の共謀者に対して、正義が待たれており、必ず成し遂げられねばならない。

 

[1] 連邦準備制度理事会, SR 01-18
(SUP), 疑わしき活動に関する報告データベース, August 2, 2001,

http://www.federalreserve.gov/boarddocs/srletters/2001/sr0118.htm,
[Accessed March 21, 2007]

オリジナル記事は
こちら

« 付随的被害 5/5 | トップページ | 元連邦準備銀行分析官William Bergmanへのインタヴュー »

William Bergman」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1244825/54071127

この記事へのトラックバック一覧です: 元連邦準備銀行の分析官が911に先立つM1通貨部門の急増に関して疑問を提起:

« 付随的被害 5/5 | トップページ | 元連邦準備銀行分析官William Bergmanへのインタヴュー »

フォト
無料ブログはココログ