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2013年11月 1日 (金)

ケネディを殺した男達 決定的証拠 1/5

以下は、http://www.youtube.com/watch?v=9Dn5h0AGNZwの日本語訳です。

 

パート1

 

それはアメリカの歴史上最も悲痛な事件の一つであった。

 

John F. Kennedy、アメリカ合衆国第35代大統領の殺害は、1963年11月22日にダラスの路上で起きた。

 

James Fetzer
JFK暗殺に関する専門的研究者

「もし大統領の任期が、市民が投じる票によってではなく、ライフルから放たれた弾丸によって決められるのであれば、私達は全く新しい形態の政府によって支配されていることになります。」

 

圧倒的大多数のアメリカ人が、単独の暗殺者が彼らの大統領を殺害したとするこの事件の公式説明を受け入れることを拒んでいる。

 

David Mantik
光学的濃度測定の専門家

「真実を求め、本当の所何が起きたのか知ろうと求めている私達は、一連の疑問を発し続けています。

なぜならこれが、私達自身、私達の価値観、そして最終的には私達の国の向かう方向について、多くを告げるからです。」

 

Kennedy殺害に関する新しい情報は出現し続けており、真実がアメリカ人に明かされていないことを裏付けている。

 

Gary Aguilar 医師
医学専門家

「私達はとても幸運なのです。

というのも少なくとも私達の側の人々は、一人ひとりが今や圧倒的大多数の人々に対して、主流メディアとは反対に、Warren 委員会が間違っていたことを確信させているからです。」

 

Kennedyを殺した男達

 

決定的証拠

 

自身の故郷、ミネソタ州ダルースからこの事件の公式説明に対して疑問を投げかける一人の批評家が、James Fetzer 教授である。

 

James Fetzer 教授
JFK暗殺に関する専門的研究者

「JFKの死に対する関心の再燃は、1992年に議会がJFK暗殺記録法を可決した際の影響として発生しました。

その際5人の民間人の委員に機密解除された文書を再調査する責任が委ねられました。

 

それらの文書はCIA、シークレットサービス、アメリカ海軍情報部やその他の組織が保有していたものでした。

 

私達にはその委員会自身が作成した報告書から、いくつか重大な失策があったことが分かります。

例えば、シークレットサービスは、故意に車両パレードの記録を破棄していたのです。

その記録はダラスでの車両パレードが、少なくとも16の様々な点において、大統領を擁護するためのシークレットサービスの方針を曲解、あるいは違反していたことを明るみに出すものでした。

彼ら自身の、こうした行動から、この事件全体における彼らの共謀について、最も深刻で憂慮すべき疑問が生起するのです。」

 

大統領がダラスに到着した瞬間から、大統領の擁護は疑わしいものであったと、シークレットサービス研究の専門家、Vince Palamaraはいう。

 

Vince Palamara
シークレットサービスに関する専門的研究者

「最後の最後になってシークレットサービスはKennedy大統領の警護に変更を行ったのです。

具体的にはシークレットサービス職員に、大統領のリムジンの後輪の上に乗らないように、それから後輪近くを走らないように、指示が与えられたのです。

こうした命令はホワイトハウス特別任務を担当していたアシスタントスペシャルエージェントで、テキサスへの遊説の計画者でもあったFloyd Boringから、追尾車両を担当していたEmory Robertsという名の彼のアシスタントシフトリーダーに対して発せられていました。

シークレットサービス職員、 Henry Rybka が通常の職務として、大統領のリムジンの脇を走っていると追尾車両のEmory Robertsが立ち上がり、彼を呼び戻すのが見えます。

それからRybka が大いに困惑し、何度も腕を振り上げ、落胆を示しているのが見えます。

最後になってからシークレットサービスが行った変更がLove Fieldでもう一つありました。

ダラス警察署の白バイ警察官が大統領のリムジンのそばを走らないように指示されたのです。

リムジンが46番通りに行くと、さらに追い討ちをかけるようにリムジン両側のそれぞれわずか二人の白バイ警察官が車両パレードに戻されたのです。

こうして職員がリムジンのそばに居なかったことによって、こうして白バイ警察官が持ち場に居なかったことによって、Kennedy大統領は、前方から、さらにまた前方からそして後方からの狙撃にさらされることになったのです。」

 

ダラスへの遊説前の数ヶ月間には、大統領の生命を危険にさらす多くの脅威が存在していた。

 

Vince Palamara
シークレットサービスに関する専門的研究者

「1963年11月の陰謀めいた活動の増大や明らかな緊急非常事態にもかかわらず、こうした活動に対して対応するべきはずのシークレットサービスは、正反対のやり方で動いたのです。

彼らは実際の所、警備を削減し、大統領の生命に対して脅威は何も発生していないかのように振る舞ったのです。

何故でしょうか。」

 

ダラスではその日に限って、通常は大統領専用車両の前部に座るカメラマン撮影班、記者団、Kennedyの軍部側近、さらには大統領の担当医師までもが、シークレットサービスによって車両パレードの後方へと追いやられていた。

 

James Fetzer
JFK暗殺に関する専門的研究者

「従来の車両パレードでは、大統領は警備担当者や記者団に囲まれて、何らかの形で中央部に位置していたのですが、この事例においては、大統領専用車両が他のリムジンの先頭を走るべく配置されていました。

これが言うまでもなく、シークレットサービスが暗殺記録再調査委員会から記録を見せるよう求められた際に、自分達自身の車両パレードに関する記録を破棄してしまった理由でした。」

 

最も疑わしい行動は、デイリープラザでの狙撃の間にシフトリーダーであったEmory Robertsがとった行動であった。

 

Vince Palamara
シークレットサービスに関する専門的研究者

「悲痛な話ですが、彼は狙撃の間シークレットサービス職員に動くなと命じたのです。シークレットサービス職員、Sam Kinney が私にそのように認めました。

彼は文字通りこう述べたのです。

『全くその通り。』

こうした一連の不手際はシークレットサービスから始まり、シークレットサービスに終わるものでした。

彼らが動議提出者であり、彼らが警備に関する会合でワシントンからダラス中心部までを含む警備の配置を指揮したからです。

彼らが任務を割り当て、警備の配置を認めたり、認めなかったりしたからです。

つまり責任は彼らにあったのです。」

 

大統領の死後パークランド病院では、メディアが致命的な弾丸は大統領専用車両の前方から発射されたと報じていた。

 

James Fetzer
JFK暗殺に関する専門的研究者

「1時00分に大統領の死亡が宣言された後、1時30分に記者会見が臨時報道官、Malcolm Kilduffによって行われました。

Malcolm Kilduffは、自分の右のこめかみを指差しながら、弾丸が頭部を貫通していたと説明し、この結論は大統領担当医であった、George Burkleyによるものであるとしました。

この右のこめかみの傷、そして別の喉への傷は三回にわたって、弾丸が侵入した際の傷として説明され、その日の午後テレビとラジオで広く放送されましたが、直ちに封印されました。

なぜなら言うまでもなく、その説明は弾丸がすべて上方背後から発射されたものであったとする公式説明と矛盾していたからです。」

 

1963年11月22日にConnie Kritzbergはダラスタイムズヘラルドの記者であった。

暗殺の数時間後に、彼女はKennedyに立ち会った二人の主要な医師に電話インタヴューを行った。

 

Connie Kritzberg
ジャーナリスト

「私はパークランド病院の上級外科医であったKenny医師、そしてMalcom Perry医師と話をしました。

そこで私は大統領には傷がいくつあったのか尋ねたのです。

私はKenny医師から後頭部に大きく開いた穴があったと教えてもらいました。

それからPerry医師は自分が措置していた傷は喉の弾丸が侵入した傷であったと言いました。

私は彼にその傷はどこにあったのか、それは喉仏の下だったのか尋ねました。

彼はそうだと言いました。

それは喉の前面の中線、喉仏の下にあったと言いました。

彼はそれは前方から弾丸が侵入した傷だったと三回言いました。

そこで私は長さを測ると約12インチの長さのとても簡潔な記事を書き、提出したのです。」

 

次の日の朝Connie は彼女が提出した記事が変更していることに気がついた。

 

Connie Kritzberg
ジャーナリスト

「私は記事の第三段落の付近にとてもプロが書いたとは思えない文章が挿入されていたことに気づきました。

それは『一人の医師がもしかすると傷は一つの可能性があると認めた。』と書かれていました。

私はとても驚きました。

私はデスクに電話し、私がとても尊敬していた編集スタッフアシスタントと話しました。

そして私は誰が私の記事を変更したのか、誰がこの文章を挿入したのか尋ねました。

すると彼は直ちに私が何の話をしているのか分かって、言いました。

『FBIです。』

二発以上が発射され、一発は前方から発射されていたという記事は印刷することが出来なかったのです。

それはどれほどぎこちなくても改ざんされねばならなかったのです。

一箇所から、一人の人間によって三発が発射されたのであり、一人の人間だけが殺害に関与したという公式説明に従わせるためにです。」

 

Connie がPerry医師に聞いたことの裏づけが、彼の同僚の一人で、同様にパークランド病院で致命傷を受けた大統領に立ち会っていた故Charles Crenshaw 医師からもたらされる。

 

Charles Crenshaw 医師
外科医

「器官切開術がPerry医師によって施される前に、私は首の下部に小さな丸い、はっきりと弾丸が侵入したと分かる傷があることに気づきました。

これはPerry医師によって原形をとどめないようにされました。

彼はこの侵入傷を切開して、器官切開術を施したのです。

元々弾丸によって生じていた侵入傷の穴を切開し、器官切開術が施されたために様々な細胞組織が表に現れることになりました。」

 

その日の午後のダラスのラジオ放送は、大統領の喉の前面の弾丸が侵入した小さな丸い傷について言及していた。

これを国立精神健康研究所の当時の科学部責任者であった、故Robert Livingston が聞いていた。

 

Robert Livingston 医師 
医学専門家

「その放送は、大統領が後方から、テキサス教科書倉庫ビルの六階から撃たれたというものでした。

パークランド病院の医師による小さなきれいな傷があったという証拠は、前方からの発砲があったことになるという意味で矛盾する、あるいは少なくとも補足的なものとなるものでした。

もし大統領が後方から撃たれていたとしても、同時に前方からも撃たれていたことになるのですから。

そこで私は検死を実施しようとしている人に、この件について告げようと思いました。

そして私がベセスダ病院の私が知っていた役人に電話すると、彼はすぐに私を検死チームを率いることになっていた、James Humes医師につないでくれました。

彼はとても誠実で、私達は短い間でしたが充実した対話を持ちました。

彼は首の傷のことは聞いたことがありませんでした。

私は彼に、それは弾丸が侵入した傷であるために重要なことであると告げました。

私は彼にその弾道を徹底的に調べるべきであると、残っている弾丸か弾丸の破片が見つかるかも知れないと言いました。

細胞組織が引き裂かれていないため、それは前方から撃たれた傷に違いないと特に強調しました。

彼はほんのしばらく電話を離れてから戻ってくると、『Livingston 博士、申し訳ありませんが私はこの対話を続けることが出来なくなりました。FBIがそうさせないのです。』と言うのでした。」

 

Humesは後に、その弾丸による傷については検死の後にダラスの医師の一人から聞いて、初めて知ったと主張するのであった。

彼はそれを調べなかったのである。

 

Robert Livingston 医師
医学専門家

「その電話について絶対に確信しているのは、Humes医師が私との対話から、首の傷は弾丸が侵入したことを示していたことに関して明白な印象を得ていたに違いないということです。」

 

Kennedyのリムジンの前方から発砲された弾丸についてのさらなる裏付けが、彼女の唯一残された録画インタヴューにおいて故Evalea Glanges からもたらされた。

彼女は銃に関して分からない人ではなかった。

 

Evalea Glanges 医師
目撃者

「子供の頃から私は銃を与えられていました。

フェンスの上で銃を構えることも出来ました。

撃つためです。

1963年11月22日の朝、私はテキサス州ダラスのサウスウェスト医科大学の2年生でした。

私達が病院ビルの緊急出口まで走って行くと、そこには大統領のリムジンがありました。

しばらくそこに立ったまま、緊急措置室のうしろで見ていると、フロントガラスに弾丸で開いた穴があるのに気付きました。

私は隣にいた友人に話しかけ、『見て。フロントガラスに弾丸で開いた穴があるわ。』と言って、彼らにそれを指差しました。

その時点で私はこの狙撃について詳細は何も知りませんでした。

私は弾丸で開いた穴を見つけたことに大変衝撃を受けました。

しかし弾丸で開いた貫通した穴があったことはとてもはっきりしていました。

車のフロントガラスを前から後ろに貫通していたのです。

高速の弾丸がガラスの前方から後方に貫通していたように見え、穴の回りにはひびもありました。

すると警備担当者が出てきて、私はリムジンにもたれかかっていたのですが、リムジンに乗り込み、どこかへと走り去りました。

最後に私がリムジンを見たのはこの時です。」

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