« 暗殺に関する16の疑問 | トップページ | JFK 暗殺に関するプレゼンテーション 1/5 »

2013年10月 3日 (木)

暗殺に関する推論

以下は、http://www.assassinationscience.com/ReasoningAboutAssassinations.pdfの日本語訳です。

 

 

暗殺に関する推論       

 

政治的文脈における批判的思考  
James Fetzer、Minnesota大学Duluth、アメリカ合衆国

 

概要:医師、科学者、写真分析家、哲学者間の共同研究を伴った、論理、批判的思考、科学的推論の原理の適用が、我々のJFKの死に関する知識を変貌させる。1992年以来、私が組織した研究集団は、X線写真が改ざんされていたことを、別人の脳が代用されていたことを、暗殺を映した私製映像は再編集されていたことを、言われている暗殺者Lee Oswaldはでっち上げられた証拠を用いてわなに嵌められたのであったことを発見している。この研究手法は、"assassination science"(暗殺科学)と呼んでよいものであるが、政治的動機によってもたらされた可能性のある重要な、議論の余地のある死に対し、"最適な説明を求める推論"として知られる推論のパターンを適用することで成果を挙げている。正真正銘の証拠と正真正銘ではない証拠を識別すべく特別に配慮して — 検死時のX線写真、検死時の報告書及び写真、(言われている暗殺に使用した兵器を含む)物理的証拠、他の決定的な証拠という — 「最適な証拠」に焦点を絞ることで、我々は最も基本的な証拠からのこの事件の徹底的な復元に着手した。これが成し遂げられると、適切な推論を導くことは比較的容易になる。なぜなら、例えば、マフィアには、Bethesda海軍病院にその影響力を及ぼし、シークレットサービス、アメリカ海軍の軍医、大統領の担当の医師が管理していたX線写真を改ざんすることは出来なかったに違いないからである;親Castro派であれ、反Castro派であれ、キューバ人には別人の脳をJFKの脳として代用することは出来なかったからである;KGBはCIAと同様なフィルム再編集能力を持っていたであろうが、フィルムを入手することは出来なかったからである;これらの事項はいずれも、投獄されていたかあるいは既に死亡していたLee Oswaldには成すことが出来なかった。assassination science(暗殺科学)は、「応用哲学研究」として見なされうる新しい応用領域として、この新しい装いをした人文科学に歴史上の重要な謎の解明に際して付随的貢献以上のことが出来ることを確証している。

 

キーワード:論理、批判的思考、科学的推論、科学哲学、応用哲学研究、JFKの死、歴史上の謎の解明、歴史研究、「暗殺科学」

 

歴史的背景
1992年、Oliver Stoneの映画、「JFK」の公開によって端を発した議論に対応する形で、私は医師、物理学者、写真分析家、法律家からなる、John F. Kennedy大統領の暗殺を調査する研究集団を組織した (Fetzer 1998)。一部の者は、Jack Whiteのように、この事件の長年にわたる研究者であった。他の者は、David W. Mantik医学博士、博士のように、また私自身と同じく、比較的新しい研究者であった。我々の目的は、伝聞、推測、政治をこの事件から排除し、客観的、科学的根拠にこの研究の基礎を置くことであった。最終的に、それはこの事件の基盤からの徹底的な再構築をもたらし、そして特に、医学的証拠が、JFKの死の真の原因を隠すために意図された細部にわたる隠蔽工作を解明する鍵を持つことが判明した。これには複数の異なる種類の証拠の捏造、改ざんが含まれる。この隠蔽工作を明らかにすることで、アメリカ政府の構成者がこの犯罪には関与していたことが判明する。

 

この事件には豊富な証拠が存在しており、その大部分には一貫性がなく、矛盾していることを発見したことは私には驚きであった(Fetzer 2000, 2003)。正真正銘の証拠と正真正銘ではない証拠を識別する必要があったために、この作業は容易ではなかった。1977から78年に招集されたHouse Select Committee on Assassinations (HSCA)による調査のようなこの事件に対する公式の「再調査」は、適切に行われてはいなかった。実の所、狙撃が起きたDealey Plazaでの;大統領が最初に措置を受けたParkland病院での;大統領の検死が行われたBethesda海軍病院での—40人以上の目撃者による後頭部の大規模な破裂の証言と政府の公式説明との間の不一致に直面し、HSCA は検死時のX線写真に従ったが、そこにはそのような破裂は映っていなかった。しかしながら、このX線写真自体が後頭部の破裂を隠すために改ざんされていたことが明らかになった(Fetzer 1998)。

 

元海兵隊将校でもあった私の科学哲学者としての経歴が、私をこのような類の事件を追求するにふさわしい立場に置いたと言えるだろう。私は自分の研究によって導かれ、科学的方法の中で最も擁護出来る着想として、最適な説明へと至る推論の原理を綿密に記述するに至った。これは、利用な可能な根拠eによって仮説hiが代替説hjよりも「よりふさわしい説明」を提供可能になる場合、根拠eを前提とすると、仮説hiが代替説hjよりも好ましいということである。妥当性という基準が説明力を評価するために用いられる。これは、根拠eを前提としたある仮説hの妥当性は、hが真である場合にeが存在する蓋然性と等しいということである (Fetzer 1981, 1990, 2002a)。根拠と一致しない仮説は、利用可能な根拠の変更によりその後再検討されることもあり得ることを理解した上で、暫定的に排除される。根拠が不変化、あるいは「確定」すると、好ましい説明は受容可能となる。医学的証拠に関する我々の発見は、この研究方法の適用の具体例を示し、結論を利用可能な全ての根拠に基づかせることの重要性を具体的に実証している。

 

公式説明
FBIとシークレットサービスによれば、JFKは単独の、正気を失った武装犯Lee Harvey Oswaldにより上方背後から発射された三発の弾丸により命を奪われたという。一発がJFKの背中に当たり、もう一発が知事John Connallyの背中に当たり、三発目がJFKの頭部に当たり、大統領の命を奪ったという。このシナリオが、離れた所にいた見物人James Tagueにそれた弾丸の破片が当たっていたことが判明するまで、政府の公式見解であった。Tagueの傷という証拠は議論の余地がないため、通例「The Warren 委員会」と呼ばれる、Lyndon Johnson大統領が招集した調査会は、JFKとConnallyの傷をわずか二発の弾丸に基づいて説明しなければならなかった。この問題に対する解決策は委員の一人、Arlen Specterによって考案され、これが「魔法の弾丸」説として知られることになる。

 

JFKには喉に傷が一つ、背中に別の傷、頭部に少なくとも一つの傷があった。Connallyは背中に侵入痕が一つあり、肋骨を損傷しており、胸部に侵出痕が一つ、右の手首に傷が一つあり、弾丸の破片が左の大腿部に入り込んでいた。「公式説明」となる説明によれば、これらの傷の大部分は一発の弾丸によってもたらされたという。その弾丸は、大統領の首の付け根の後ろから入り、他の骨組織には当たらずに首を貫通し、首のネクタイの結び目の部分から出て行き、John Connallyの背中に入り、肋骨を一本砕き、胸部から出て行き、右の手首を傷つけ、そうして左の大腿部に入り、このような離れ業を成し遂げながらも実質的に無傷な状態で発見されたという。命中したもう一発の弾丸はJFKの頭部に当たり、大統領を命を奪ったと言われた。

 

通常 Warren 報告書 (1964)と称される、公式説明が現れた時、多くの読者はいかにあり得なさそうに思えても、「魔法の弾丸」仮説が政府の主張の中心であることを発見して興味をかきたてられた。そしてこのことは、その後の1976年- 78年のHouse Select Committee on Assassinationsによる暗殺の再調査やGerald PosnerのCase Closed (1993)のようなより最近の書籍を経ても、真実であり続けている。つまりもし「魔法の弾丸」仮説が偽りであるならば、他の弾丸や他の狙撃者が存在していたことになり、Warren 報告書 (1964)、HSCA 最終報告書 (1979)、Case Closed (1993) は真実ではあり得なくなるということである。我々の作業の一つは、「魔法の弾丸」仮説を支持する証拠並びに反する証拠を評価することであった。このうちの一部は調査の極めて初期の段階から判明していたが、その論理的な影響力はさらなる分析や検討に値するものであった。

 

Photo
図1:JFKの傷を示すWarren委員会の図

 

「魔法の弾丸」仮説
Warren 報告書(1964) は大統領が被ったと言われる傷の図を発表した。それは首の付け根の後ろへの一発と後頭部への一発を示しており、後者が大統領の命を奪ったと言われる傷であった。「魔法の弾丸」説は、もし公式説明が主張する通りに弾丸が大統領の首の付け根の後ろから侵入していなければ、もし他の骨組織には当たらずに首を貫通していなければ、あるいはもし首のネクタイの結び目の部分から侵出していなければ、偽りとなる。Bethesda海軍病院において検死を実施した海軍軍医はこの弾丸が描いたと想定される弾道を確定するための首の解剖を実際には行っておらず、それを「推定」事項として確定した。このため、検死報告書の4ページは以下の主張を含んでいる(Assassination Science 1998, page 433):

 

侵入痕と推定される第二の傷は、前述の胸郭骨背面の右上の傷のことである. . . .筋膜や筋肉組織を貫通した飛翔物の軌道は容易には精査出来ない。侵出痕と推定される傷はMalcolm Perry博士によって記載された頸部前底部の傷のことであった。

 

侵入痕と侵出痕の位置は「推測」された事項であったことに、特に、注意しなければならない。それはアメリカ海軍医療部隊の指揮官 James Humesが、遺体が埋葬と公式の国葬の準備のために遺体安置所から運び出された後に導き出した「推論」に基づいて主張したものであった。遺体が運び出された後、土曜日になって初めて成立したと言われるParkland病院側との対話を基にして、ようやく彼(Humes)には 、背中の傷が喉の傷を侵出痕とする侵入痕に違いないことが分かったのであった!"胸郭骨背面の右上"との記述は、これは胸腔の背中側右上の部分のことであるが、もし「魔法の弾丸」説が真実であるのであれば存在するべき傷の位置と、全く位置が違うことにも注意しなければならない。PosnerのCase Closedの図(図2)も同様に図1と一致していない。

 

Photo_2
図2:Gerald Posnerによる「魔法の弾丸」説の描写

 

矛盾する証拠
JFKの背中に当たった弾丸は実際の所大統領の身体のどこに被害を与えたのかという疑問に関する広範囲に及ぶ証拠が、当時着用していたシャツと上着の被害を含めて、明らかになっている。Josiah ThompsonのSiX Seconds in Dallas (1967)やGary ShawとLarry HarrisのCover-Up (1976/1992)を含めた多くの書籍が、シャツと上着の穴が侵入点は実際には襟下約5インチ半の所であったことを示していることについて述べている。シャツと上着の写真は、例えば、Thompson の著書(1967)の48ページやShawとHarris の共著(1976/ 1992)の64ページにおいて、またStewart GalanorのCover-Up (1998)の資料6、7(図3)を含む他の情報源でも参照可能である。この不調和を弁明するために、シャツと上着に「ひだが寄っていた」かも知れないとの考えが提起されている。

 

大統領の衣服の襟下約5インチ半の箇所の穴が「ひだ」によって生じたのではなかったかという考えは、より多くの大統領の身体の傷に関する証拠が利用可能になるにつれて、ますます説得力を失っている。検死を実施したHumes自身も、彼を補助したアメリカ海軍軍医、 J. Thornton Boswell少佐も、それまで銃弾による犠牲者の検死を実施したことはなかった。しかしながらBoswellは、彼らが検死の間観察した多くの傷の図表を作成した。この図表が後に大統領の私的担当医師アメリカ海軍軍医Admiral George G. Burkleyによって認証された。Boswellが作成した図表のコピーは、Shaw とHarris の共著(1976/1992)の62ページ、Galanorの著書(1998)の資料5、Fetzer の著書(2000)の230ページ (図 4)にて参照可能である。

 

Photo_3
図3:大統領のシャツと上着の写真

 

Bethesda海軍病院での検死を監督したFBI職員James W. Sibertによって作成された異なる図表が、Noel TwymanのBloody Treason (1997)の100ページにおいて参照可能である。これが「魔法の弾丸」説が最も基礎的な前提に関してさえも直面している問題点を明白に具体的に示している。なぜなら公式説明が主張するように、もし弾丸が上方背後から発射されたのであれば、背中の傷は喉から侵出した傷の侵入痕としては低すぎるからである(図5)。

 

Photo_4
図4:Burkleyにより認証された、Boswellが作成した検死図表

 

 

Photo_5
図5:FBI職員Sibertが作成した傷の位置を示す図表

 

証拠の評価

 

最適な説明へと至る推論の適用によって、代替仮説に関する利用可能な証拠の意義が明確に解明されるに至る。公式説明、h1によれば、「魔法の弾丸」説が求めるように、弾丸は大統領の首の付け根の後ろに当たったという。もしh1が真実であれば、その場合シャツと上着の襟下約5インチ半の箇所に穴が存在する蓋然性は低くなるが、もし、例えば、それらに「ひだが寄っていた」のであれば、不可能ではない。しかしシャツと上着に「ひだが寄っていた」蓋然性は、身体の傷の図表もまた襟下5インチ半の箇所の傷を示しているため、極めて低い。興味深いことに、公式の図表(図1)を作成した絵描きは、遺体を実際に見る許可すらされていなかった。そしてParkland病院で回収されたシャツと上着は、Bethesda海軍病院に運ばれておらず、検死解剖担当医師の検証はなされなかった。

 

もし仮説2、JFKは襟下5インチ半の箇所を撃たれたというh2、が真実であれば、BoswellとSibertの図表に記載された傷の位置に対応する穴がシャツと上着に存在したであろう蓋然性は、極めて高くなる。ひだが寄っていたという推測は、このような2つの図表により反証されるのである。実際、より多くの証拠を検討すればするほど、h1に対する裏付けは減少し、h2に対する裏付けが増大する。大統領の私的担当医師Admiral Burkleyが死亡証明書には署名しており、これはShawとHarris の共著(1976/1992)の65ページ、Galanor の著書(1998)の資料8、Fetzer の著書(1998)の439ページにおいて参照可能である。 Burkleyによれば、大統領は頭部への一発により命を奪われており、「第二の傷は背面の第三胸椎の高さに生じていた」という。ShawとHarris の共著(1976/1992)の65ページにおいて(図6)説明されているように、第三胸椎は上方背後から発射され、大統領の喉のネクタイの結び目の高さから侵出したであろう弾丸の侵入痕であったにしては低すぎることが分かる。

 

Photo_6
図6:第三胸椎の位置

 

さらに、Sibertは二人目のFBI職員Francis X.O'Neilと共に、検死に立ち会っており、後に1963年12月9日の時点で彼らの検死監督に関する報告書を提出したが、そこには以下のように記載されている部分がある:「大統領の身体の医療検査によれば、弾丸の一発は下方に向けて45度から60度の角度で肩の真下から脊柱の右に入り、侵出箇所はなく、弾丸は身体内にもなかったことが、明らかになった。」この一節を含む、彼らの報告書の抜粋が、Mark LaneのRush to Judgment (1966)の付属資料IVにおいて参照可能である。これはまたRobert GrodenのThe Killing of a President (1993)の78-79ページにおいても論じられている。 SibertとO'Neillがその傷が下方に向かう角度であったこと、侵出箇所がなかったこと、弾丸が身体内になかったことを具体的にしているのだ。これは「魔法の弾丸」説、h1の妥当性を減少させ、h2の妥当性を増大させることである。

 

受容と拒絶

 

利用可能な根拠を前提にし、h2はh1よりも好ましいということはh2が同時に受容可能でもあるということを意味するものではない。h2が受容可能であるか否かは、利用可能な根拠がそのことを裏付けるのに充分であるか否かということによって決まるため、利用可能な根拠が「確定」していることが必要とされる。Warren委員会のメンバーによって実施された再現の際に撮影された復元写真を含む他の証拠が、利用可能な根拠は確定しているという推論の裏付けとなる。再現写真は、例えば、Galanor の著書(1998)のDocument 4として参照可能であるが、後頭部の基部に頭部の被弾箇所を明らかにする丸い小さな当て布と、襟下約5インチ半の箇所に背中の被弾を明らかにするより大きな丸い白い当て布を示している。同様な写真がThe New York Times ペーパーバック版 (1964)の前面カバーページ内に見られるが、これは公式説明と矛盾するものである(図7)。

 

Photo_7
図7:New York Timesの再現写真

 

この事件に関してなじみのない読者は、このような全ての証拠を前提にして、いったいどのようにしてWarren 報告書(1964)はJFKが首の付け根の後ろを撃たれたとの結論を下すことが可能であったのか疑問に思うであろう。CIA、FBI、シークレットサービス、その他の機関により保持されていた記録や資料を機密解除する権限を与えられた5人の一般市民からなる委員会、Assassination Records Review Board (ARRB)の優れた業績のおかげで、我々はこの疑問に対する答えを知ることになる。委員会のメンバーGerald Fordは、傷に関する記述を既に誇張であった「背中の最も上」から「首のうしろ」に変更していたのだ。これはARRBのごく初期の重要な発表の一つであり、ほどなくして私はThe New York Times (1997年7月3日)の8Aページ、Fetzer の著書(1998)の177ページにこの件に関する記事を発表することになった。

 

このような状況の下で、弾丸が大統領の首の言われているような箇所から侵入し、頚椎に当たらずに、言われているような箇所から侵出したということは不可能であったことをDavid W. Mantik医師、博士が先頃実証していると述べることはほとんど「蛇足」であろう。これはGalanorの著書 (1998)の資料45やFetzerの著書 (2000)の3-4ページにおいて説明されている(図8)。また大統領の命を救おうとの試みとして気管開口術を実施したMalcolm Perry医師 がその日ラジオとテレビを通じて広く放送された報告である、Parkland病院での午後3時16分に開始された記者会見の際3度にわたり、喉の傷を侵出痕としてではなく侵入痕として述べていたことを付け加えることもまた不必要なことかも知れない。見つけるのが困難との理由によりWarren委員会に対してこの発表の書き起こしは提供されなかったが、この記者会見での発表の書き起こしの完全なコピーが現在Fetzerの著書 (1998) の付属資料Cとして見られる。

 

Photo_8
図8:Mantik がCATスキャン上に描画した弾道

 

論理的に派生する結論

 

「大統領の背中に当たった弾丸はどこから侵入したのか」という一見すると単純な疑問がJFKの暗殺の隠蔽工作を明らかにする鍵を持っているとは、驚きであろう。なぜならもしそれが「魔法の弾丸」説が要求するような首の付け根の後ろではなかったのであれば、Warren 報告書(1964)、HSCA 最終報告書(1979)、Case Closed (1993)、その他全てのそのことを当然視している検証は全く真実ではないことになるからである。我々がここで再検討している—シャツと上着の穴、BoswellとSibertが作成した図表に記載された傷、Burkley、 Sibert、O'Neillの傷に関する記述、再現写真を含めた—証拠が存在する蓋然性は、首の付け根の後ろを撃たれたという公式説明に関して言えば、ほとんどゼロの値である。そしてまぎれもなく、Mantikは公式説明が解剖学的に全く不可能であることを証明しているのだ。一方こうした同じ証拠の存在する蓋然性は、JFKが襟下約5インチ半の箇所を撃たれたと仮定すると、公式説明に関する場合と比較して、極めて、かなり高くなる。根拠は「確定」したと言える。

 

Gerald Fordが—疑いなく「魔法の弾丸」説をより説得力のあるものにするために— Warren 報告書 (1964)において傷の記述を書き直していたというARRBによる発見、またMantikが弾丸がそのような弾道を描くことは不可能であったことを突き止めているという事実を前提とすると、公式説明の中心は単に偽りであるのみならず、偽りであることが証明可能であり解剖学的に不可能であることまでも判明する!続いてJFKの喉の傷とJohn Connallyの傷は別個の銃弾、別個の狙撃者によってもたらされたに違いないことに、上方背後から発射した単独の暗殺者によって負わされたものではあり得ないことになる。真実は、Bethesda海軍病院にシャツと上着を送らず医師に検証させないという形での、Parkland病院での記者会見の書き起こしをWarren委員会に提供しないという形での、また同様な手法を用いての証拠の隠蔽がなければ明白であったであろう。実際に、あらかじめ定められた結論の裏付けとなる証拠を選別し、それ以外を排除する—選別と排除というプロセスは—プロパガンダを実践し、真実を追究する一般市民を惑わせることを専門とする全ての人間によく知られていることである。

 

Photo_9
図9:頭蓋側部の検死時のX線写真のMantikによる検証

 

我々の調査研究は「魔法の弾丸」仮説を反証し、その結果、政府の公式説明の根幹におけるごまかしを明らかにしているのみならず、JFKの死における補完的な欺瞞を発見するにも至っている。最も重要なものは検死時のX線写真が(a)40人以上の目撃者が報告した後頭部の大規模な破裂を隠蔽するために、また(b)時代遅れの第二次大戦時のイタリア製銃Mannlicher- Carcanoを使用された兵器として加担させる明白な取り組みとして6.5ミリメートルの金属片を追加するために、捏造されていることである。人間の脳の世界的権威である、Robert B. Livingston 医師はNational Archivesに保管されていた図表や写真に示されている脳がJFKのものである可能性はないとの結論を下している。これらの発見は既に1993年までになされていた(Fetzer 1998)。これらの研究成果に対して("ABC Nightly News" や"Nightline"を通じて)アメリカ人や司法省の注意を引こうとの我々の度重なる取り組みにもかかわらず、我々はほとんど成功しなかった。

 

今日の我々の立脚点

 

我々の広範囲にわたる調査研究に基づいて、JFKは少なくとも4回撃たれていたことを我々は突き止めている:一回は前方から喉を;一回は後方から背中を;二回頭部を、一回は後方から、一回は前方から;そしてConnallyは一回から三回撃たれ、少なくとも3発がそれたと考えられる。総計8発、9発、ないし10発が、異なる6箇所から発射されていたと考えられる (Fetzer 2000、 2003)。政府の公式調査が重要な証拠をどれほど隠蔽し、見過ごしてきたのかを示す一つの驚くべき事例であるが、Bethesda海軍病院での検死の後に遺体に埋葬の準備を施した葬儀屋Thomas Evan Robinsonが民間人調査者Joe Westに語ったことがある。彼はJFKには後頭部に大きく割れた穴、右のこめかみに比較的小さい傷(後頭部の破裂の侵入痕)、背中の肩の下約5インチから6インチの背骨の右の箇所に傷があったと語った。彼はこの情報を1992年5月26日にWestに提供したが、これはもし彼らが望んでおれば、明らかにWarren委員会にも入手可能であったことである(図10)。

 

 

John P. Costella 博士を含む他の専門家達と共同研究するなかで、暗殺を映した「Zapruder フィルム」として知られる私製映像が光学的焼付けや特殊効果といった高性能の技術を用いて再編集されていたこともまた我々は発見した。連続するコマを連結する「ゴーストイメージ」のせいで、ごまかしが容易には露呈しないようにフィルムを再撮影することが必要であったのである (Fetzer 2003)。我々はまたJFKの暗殺を準備したシークレットサービスの共謀を示す15以上の兆候も発見した。それには、マンホールのふたを溶接しなかったこと、開いた窓を覆わなかったこと、群集が街路にあふれ出ることを許したこと、不適切なパレードのルートを採用したこと、オートバイ警官をリムジンの後方に置き不当な順番に車両を並べたこと、弾丸が発射された後にリムジンを停車させたこと、Parkland病院でリムジンから血液と脳を洗い流したこと、検死写真とX線写真を医師の仕事が完結する前に彼らから取り上げたこと、リムジンを解体させ完全に廃車にしたこと、が含まれる。このような事項が「偶然」生じた蓋然性は無限に小さい(Fetzer 2000, 2002a)。

 

正真正銘の証拠から導くことが可能な結論はかなり意味深い。マフィアには、暗殺の狙撃者を準備することは出来たであろうが、Bethesda海軍病院にまでその影響力を伸ばし、アメリカ海軍軍医、シークレットサービスの職員、大統領の私的担当医師の管理のもとにあったX線写真を改ざんすることは不可能であった。親Castro派であれ、反Castro派であれ、キューバ人には補足検死の間に別人の脳をJFKの脳として代用することは不可能であった;またもしKGBが、CIAのように、フィルムの再編集能力を持っていたとしても、Zapruder フィルムのコピーを入手し改ざんすることは不可能であった。これらの事項はいずれも、投獄されていたかあるいは既に死亡していたLee Oswaldには不可能であった。最適な説明へと至る推論の適用に基づいた同様な論法により、JFKに対する暗殺計画並びに大統領の死の真の原因を隠蔽するための証拠の改ざんに、あろうことか、アメリカ政府の最高レベルの構成員が関与していたに違いないことに関して、合理的疑いの余地はないのである。

 

Photo_10
図10:Thomas Evan Robinsonへのインタヴューの要約

 

著者について

 

Dr. James Fetzer
James H. FetzerはMinnesota大学のDistinguished McKnight哲学教授で、Duluthキャンパスにて教えており、科学哲学分野、コンピューター科学の理論的基礎、人工知能、認知科学に関する20冊以上の著書を出版している。同教授は歴史と科学哲学の博士号をIndiana大学から1970年に授かった。教授の新しい研究、"The Evolution of Intelligence: Are Humans the Only Animals with Minds?" (近刊予定)は、人間と動物の精神構造に関する自身の最近の研究を用いて、ものを考えることとデジタルマシーンとの間の違いに関する自身の初期の研究をまとめたものである。教授はJFKの死に関する"JFK, Assassination Science" (1998)、 "Murder in Dealey Plaza" (2000)、 "The Great Zapruder Film Hoax" (2003)という3冊の著書を編集し、Paul Wellstone上院議員の死に関する4冊目 — "American Assassination" (2004) — を共同編集している。教授は自身が"assassination science"(暗殺科学)と名付けている新しい研究分野の先駆的存在である。これは、科学的推論の原理の適用、特に「最適な説明へと至る推論」を伴い、著名な政治家の死を調査するものである。これは、彼らが彼ら自身の政府により暗殺されたと疑われる理由がある場合、必須の要件である。Assassination science(暗殺科学)はこのように、公式報告を評価し、それが犯罪を隠蔽する目的を果たしているのではないことを保証する上で、決定的な役割を持っている。教授の研究は、入手可能な関連する全ての証拠に対し、論理、批判的思考、科学的推論という適切な原理を厳格に適用することで、それぞれの事案は判断されねばならないということを最重要視している。そして教授の研究は哲学的な詳細にわたる説明の実践的な意義を具体的に実証している。

« 暗殺に関する16の疑問 | トップページ | JFK 暗殺に関するプレゼンテーション 1/5 »

James Fetzer」カテゴリの記事

JFK」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1244825/53207323

この記事へのトラックバック一覧です: 暗殺に関する推論:

« 暗殺に関する16の疑問 | トップページ | JFK 暗殺に関するプレゼンテーション 1/5 »

フォト
無料ブログはココログ