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2013年10月12日 (土)

JFK 暗殺に関するプレゼンテーション 5/5

以下は、http://donaldfox.wordpress.com/2013/06/03/jim-fetzers-conspiracy-conference-powerpoint/にてダウンロード可能なプレゼンテーションファイルの日本語訳です。(コマ122から150まで)

 

実際のプレゼンテーションの模様は、http://www.youtube.com/watch?v=zLL8diz-7bwにて視聴可能です。

 

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どのようにしてなされたのか

 

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JFK は4回撃たれていたと考えられる;喉を1度(前方から);背中を1度(背後から);頭部を2度(背後から1度、前方から1度)。喉と右のこめかみへの銃弾は、車道とTriple Underpass(三線高架下道路)の北側と南側の末端部の間の地上の高さにあった下水開口部から発射されていたと考えられる。

 

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Richard Sprague, Computers and Automation (May 1970), Expanded
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最も可能性の高い一連の順序は以下である;Country Records Buildingから発射された一発が大統領の背中に命中し、直後にTriple Underpass(三線高架下道路)の南側末端部から一発が発射され喉へ命中した。その後Dal-Tex から発射された一発はそれ、Tagueを負傷させた。教科書倉庫から発射された一発がJohn Connallyに当たった。運転手がリムジンを左に寄せ、停止させた。Dal-Texから発射された二発目がJFKの後頭部に命中した。大統領は前方に倒れこみ、Jackieが抱きかかえた。彼女が大統領の顔を見ているとTriple Underpass(三線高架下道路)の北側末端部から発射された炸裂性弾丸が右のこめかみに命中した。Dal-Texから発射された三発目はそれ、クロム製の縁に当たった。その他の弾丸がおそらくJohn Connallyに当たったり、それてクロム製の縁に当たったりして、芝生で発見された。一発も「暗殺者の巣」からは発射されなかった。

 

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Country Records buildingから発射された弾丸はDallas保安官代理、Harry Weatherfordが発射したと考えられる。彼は「多くの人々」を撃ったと自慢していた。Penn Jones Jr. は彼が狙撃の「数週間」前に特注のサイレンサーを入手していたことを突き止めた。

 

スライドの字幕

 

研究者Penn Jones Jr.によれば、Weatherfordは「射撃の名手」で、暗殺時にDallas 郡刑務所ビルの屋上にいたという。ある研究者がかつて彼に彼がJFKを撃ったのか尋ねた所、Weatherfordは「馬鹿な。俺は多くの人間を撃つんだ。」 Jonesはまた暗殺の「数週間」前に特注のライフル用サイレンサーがWeatherfordの元へ届けられていたことも記していた。

 

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喉への弾丸は、フロントガラスを貫通しており、標的を捉える途中で爆竹のような音をさせていた。この一発は、「Jack Lawrence」という名の空軍ベテランが発射していたと考えられる。彼は大統領の車両パレードのために様々な型や色の車両を提供した自動車販売特約店に勤めており、このためおそらく共謀者は誰がどこにいたか、知ることが出来たのであろう。彼は狙撃の後に泥まみれで吐きそうになりながら特約店に現れたが、これは狙撃の後に下水道を通って逃げてきたことによるものであったと私は信じる。

 

スライドの字幕

 

Jack Lawrenceは、DallasのDowntown Lincoln-Mercury車販売特約店で働いていた。LawrenceはLee Harvey Oswaldが11月初旬に車の試乗を求めてきたと主張した。その後Lawrenceはこの出来事を連邦捜査局に伝えた。

 

1963年11月21日、Lawrenceは自分の会社の車を借りた。次の日彼は仕事に現れなかった。Jim Marrs(Crossfire)によれば;「暗殺のおよそ30分後、彼は会社のショールームに走りながら現れた。青ざめ、汗をかいており、衣服には泥がついていた。彼は男性トイレに駆け込み、吐いた。彼は同僚にその朝具合が悪かったと告げ、借りていた車を会社に返さなければならなかったが、渋滞のため車は駐車しなければならなかったと告げた。後に従業員が、その車がDeaey Plazaを見下ろすGrassy Knoll(芝生の丘)の頂上の木製の囲い棒の後ろに駐車されていたのを見つけた。」という。

 

Lawrenceの奇妙な振る舞いはDallas警察に通報された。彼はJohn F.Kennedyの暗殺を調べる警察官によってインタヴューを受けた。彼らはLawrenceがアメリカ空軍で射撃手であったことを発見した。

 

Bevery Oliverによれば、Lawrenceは(Jack Rubyが所有する )Carousel Clubの常連客であり、George Senator の親密な友人であったという。

 

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これはDal-Texのクローズアップである。三発が CIAが所有していたウラン採掘会社の掃除用具収納庫の窓から発射されたと考えられる。

 

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これらの弾丸は、Little Havana(フロリダ州)に彫像が建てられている反Castro派のキューバ人、Nestor 'Tony' Izquierdoによって発射されたと考えられる。一発はそれ、離れた所にいた見物人、James Tagueを負傷させた。もう一発もそれ、フロントガラスの上のクロム製の縁に当たった。三発目がリムジンが停止している間にJFKの後頭部に命中した。これらの弾丸のみが、隣接する教科書倉庫の6階から三発が発射されたという印象を生み出すために、サイレンサーのついていない武器--Mannlicher-Carcano--によって発射された弾丸であったと考えられる。

 

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Freedom Parkには、二つの彫像のみが存在する。一つは、キューバをスペインの支配から解放したJose Martiのものである。もし誰かになぜ“Tony” Izquierdoの彫像があるのか尋ねると、「彼がビジネスを担当したからだ」と教えられるであろう。

 

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Roscoe White はCIAとつながりのあったDallas警察の警察官であった。彼の息子Rickyは、日記を発見した。それは、政府機関に必要に応じて工作員が代役を果たすことが出来るようにどこにいるのかを知らせることが出来るものであった。それは裁判所では証拠として認められるものであったが、彼がそれをFBIに渡すと、消失した。

 

スライドの字幕

Roscoe White はアメリカ軍海兵隊に入隊し、1957年に8月に日本に向かった。彼は厚木に配属されU2プロジェクトで働いた。

 

Whiteは1963年9月に  警察に入隊した。その後すぐ、彼の妻Geneva White は夫とJack RubyがJohn F.Kennedyの暗殺を計画していたのを小耳に挟んだと主張した。

 

Whiteは警察を除隊し、M&M機器と呼ばれる会社に雇われた。1971年9月23日、Whiteと同僚Richard Adair は両人とも産業火災でひどくやけどした。Adair は回復したが、Whiteは次の日死亡した。

 

1990年9月4日、Roscoeの息子Ricky White がテキサス大学での会合で父が大統領の殺害に関与していたことを明らかにした;「日記には父が大統領を撃った後、自分の7.65ミリMauserを横に立っていた男に手渡し、フェンスを飛び越え、軍人からフィルムを受け取り、フェンスを振り返り、駐車場を通り抜けて行ったと書いてあった。」という。

 

White はLee Harvey Oswaldも関与はしていたが、一発も発射していなかったことを付け加えていた。White はそしてJ.D.Tippit の殺害へと進んだ。Ricky White はこの情報を父の日記から得たと主張した。これはどうやら連邦捜査局によって持ち去られてしまったようである。

 

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Frank SturgisがJFKの命を奪った右のこめかみへの一発を発射したと考えられる。HSCAでの証言が出来なくなるようにMarita Lorenzを暗殺するために彼がNew Yorkに来た際逮捕された時、彼らはJFKについて話した。その間彼は、私の知る刑事、Jim Rothsteinに自分がそこにいて、大統領を消したと告げた。なぜなら大統領がピッグス湾で大艦隊を裏切り、外国政府のエージェントと浮気することで国家安全保障を危険にさらしたからであったという。私はここに飛行機で来る前に、この件についてはJimに確認してきた。

 

 

スライドの字幕

SturgisはFidel Castro と肉体関係を持っていたMarita Lorenzと関わり合うようになった。1960年1月、SturgisとLorenzはCastro を毒殺する企てを試みたが、未遂に終わった。SturgisはまたCIAのピッグス湾侵攻計画の支援に関与していたとも信じられている。
SturgisはまたOperation40のメンバーでもあった。

 

1972年にFBI長官Patrick GrayがH.R.Haldemanに送ったメモには以下のように書かれていた;「Miami の情報筋によれば彼(Sturgis)は現在組織犯罪活動に関与している。」Bernard Fensterwaldは自身の著書、Assassination of JFK(1977)において、Sturgisはマフィア、
特にSantos Trafficante やFloridaのMeyer Lanskyと深く関係していたと主張している。

 

2004年1月、E.Howard Hunt は息子Saint Huntとの録音インタヴューを行い、彼はLyndon Baines Johnson がJohn F.Kennedyの暗殺の推進者であり、この暗殺はSturgis、Cord Meyer、David Atlee Phillips、David Sanchez Moralesによって準備されたと主張した。

 

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私はこの写真をJesse Curryの JFK ASSASSINATION FILE で見つけたが、教科書倉庫の前に George H.W. Bush に酷似する人物を見つけて驚いた。

 

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George H.W. Bushが教科書倉庫の前で写真に収められていた。彼はピッグス湾事件に関与していたと考えられ、そこでは艦船の一隻が「Houston」と別の一隻が「Barbara」と再命名されていた。この軍事作戦は「Zapata」とのコードネームで呼ばれたが、これなブッシュ家の石油掘削会社の名前であった。もし侵攻が成功しておれば、彼らがカリブ海全流域の掘削権を手にしていたのではないかと私は疑う。

 

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Tramp Photo #1
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武器、弾丸、爆発物を搭載した有蓋貨車内で逮捕された後にDealey Plazaを通って連行される「三人の浮浪者」の姿が写真に収められていた。彼らはおそらく、Leeがうまく行かなかった場合の「予備の」カモであったのであろう。私はこの三人の三人目の最も年長者は、多くの人が信じているようなE. Howard Huntではなく、Chauncey Marvin Holtであったことを知るに至った。彼は事件現場や付近で使用するために偽造された15組のシークレットサービスの証明書を作成していた。

 

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Tramp Photo #2
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またここではLansdaleがGeorge H.W. Bushと話すのを待っている姿を示す写真もある。George H.W. Bushは暗殺が起きたとき自分がどこにいたのか記憶していないと主張していた。私に本人であることが分るもう一人の人物は、Richard Nixonである。彼はJFKが飛行機で来る2時間前にLove Fieldを飛行機で出発していた。

 

 

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これらの写真の一枚は、彼らを通り過ぎる一人の男の姿を含んでいる。この人物は、L. Fletcher Proutyや元海兵隊 Commandant であったVictor Krulakほどの当局筋者によって、CIAと共に活動し世界中での暗殺を担当していた空軍大将、Edward Lansdaleであったことが特定されている。

 

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Richard HookeはBushと Dal-Texについて徹底的な検証を行っている。Dal-Texでは自分のことを「Houstonのオイルマン」と名乗るある人物がビルを出て来た際に逮捕され、警察本部に連行されていた。浮浪者と同様、この男も調書を取られることなく、釈放され、plazaに戻り、他の者と会った。その一人がLansdaleであった。Richard は、Bushは掃除用具格納庫におり、そこから発射された狙撃を監督していたと信じている--その通りかも知れない。

 

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Malcolm “Mac” Wallace は Lyndonの私的殺し屋であり、彼のために彼自身の姉妹を含む少なくとも6人の人間を殺していた。彼が教科書倉庫の「暗殺者のねぐら」の反対側の西側から狙撃したと考えられる。「暗殺者のねぐら」の狙撃犯の姿を隠すために配置されていた印象を形成するために配置されていた箱の一つから、彼の指紋が発見された。Billy Sol Estes は彼とLBJ秘書であったCliff Carterを個人的に知っており、フランス人調査ジャーナリストWilliam Reymondに直接、Lyndon がCliff Carterを「暗殺のための手はずがうまく整わせるために」Dallas に送っていたと述べた。

 

スライドの字幕

農民の息子Malcolm (Mac)Wallaceは、1921年にTexas 州のMount Pleasantで生まれた。4年後に家族はDallasに引っ越した。

 

1939年にWallaceはアメリカ海軍に入隊した。基礎トレーニングを終了した後、WallaceはHawaiiに送られ、そこで空母 uss Lexingtonで働くことになった。翌年Wallaceははしごから落ち、背中をひどく負傷した。1940年9月25日、彼は医学的理由により除隊し、Dallasに戻った。

 

1941年WallaceはAustin のTexas 大学の学生になった。彼は政治に興味を持ち始め、学生自治会の委員長に選ばれた。1944年10月、Texas 大学の学長であり、アメリカ社会党の公然たる支持者であったHomer P.Rainey が、解任された。Wallaceは8000人の学生抗議デモを指揮したが、Raineyを復職させる運動は実らなかった。Wallaceは1947年6月に卒業した。翌月彼はメソジスト牧師の娘、Mary DuBose Barton と結婚した。

 

Columbia大学で博士号のために研究する一方、Long Island大学、Texas大学、North Carolina大学で教えた。Edward ClarkがWallaceをLyndon B.Johnson に紹介したのはこの頃であり、1950年10月にTexasの合衆国農業省で働き始めた。

 

 

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“Mac”は標的がRalph Yarboroughであったという誤った考えにより、John Connally に向けて発砲したと考えられる。暗殺の朝LyndonはJFK と激しい議論をし、Connallyを席から外し、Yarborough を座らせようとしていたが、アメリカ合衆国の最高責任者とは州の最高責任者が乗車するべきであるとの理由で、大統領が彼をねじ伏せた。暗殺者に連絡する時間はなかった。驚くことに、Richard が Yale大学のSkull & BonesでのGeorge H.W. BushとMalcolm “Mac” Wallaceの写真を発見した。

 

スライドの字幕

 

George W. BushとMalcolm Wallaceの写った1947年のYale 大学の Skull & Bonesの写真は、私達に与えられている、1947年にニューヨークのColumbia大学で学んでいたことになっているMalcolm Wallaceに関する定型的な歴史は、おそらく全面的には正しくはないことを示している。

 

 

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Dealey Plaza で写真に収められたもう一人の人物が George W. Bushであった。彼は幾分途方に暮れているようである。--おそらく彼の父親が逮捕され、どこにいるのか分からなかったからであろう。

スライドの字幕

私の見解はこの人物は彼(George H.W. Bush )であるというものである。
父親が保安官の事務所に連行されたため、彼は途方に暮れていた;彼は父親を探していたのだ...
身長、体重、体格、鼻、耳、年齢、顎、歩き方;
数分前に父親が逮捕されたビルに向かって歩きながら...
白い靴下とお坊ちゃん風ローファー...
これが事実である確率はどれくらいか...かなり高いと私は思う...

 

JFK研究者Richard M.Hooke  2013年3月28日

 

 

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他に「敬意」を払うべきは、6人かそれ以上のCIA高官を含めた、Main通りと Houston通りの交差点で写真に収められた人物である。

 

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もう一人がLucien Conein (右)、CIA の最も悪名高い暗殺者の一人であった。Dealey Plaza での彼の現存(中央)が、こうしてCIAの中心的役割に対する重要性を高めることになる。彼の画像が発見された時、それは実際はRobert Adamsという名の人物(左)であったと主張する企てがなされた。

 

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しかしながら、Jack White がこの比較で説明しているように、彼らの特徴は全く異なっている。Adamsは長い顔、長い顎、上端が内側を向いた左の耳をしていたが、他方Coneinは、この写真の男のように、四角い顔、短い顎、上端が外側を向いた耳をしていた。

 

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ごまかしは、Lucien Coneinの画像から注意をそらそうとの取り組みであった、1963年11月23日火曜日に車両パレードを見ていたと彼が言っていたというばかげた(見え透いた捏造であった)新聞記事によって暴露された。

 

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大統領専用機内での宣誓就任式の間、LBJ が「仕事がうまく行った」ことに対して、下院議員Albert Thomas から「ウインクと承認」を得ている。彼はこの就任式を司法長官Bobby Kennedyによって推奨されたと主張した。これは事実ではなく、憲法上不必要であったが、こうして棺に付き添いのない状態を生み出した。

http://www.youtube.com/watch?v=4f8JX_e5Cs8

 

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下院議員時代のNixonのために働いたことのあったJack RubyがOswaldを撃った。--そしてOswald を相手取った事件は封印された。彼は後にもし誰か別の人物が副大統領であったなら、こうしたことは起きなかっただろうと言った。彼は自分は急速に成長するがんを注射されたのだと信じていた。この急速に成長するがんについて、Judyth Vary BakerはNew OrleansでDavid Ferrie、 Lee Oswald、 Mary Sherman博士と共に開発に関与していたと伝えている。

 

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Noel Twyman, Bloody Treason (1997)
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陰謀に反対する最強の証拠は誰も話していないことであるとの主張がしばしばなされている。これはもちろん、間違っている。Noel Twymanが Bloody Treason (1997)で述べているように、少なくとも8人の著名人が事件の前後にそのことについて述べていた。他にもChauncey Holt、 Charles Harrelson、 Jim Hicks、 Jack Rubyが述べていた。これはLyndonの愛人、Madeleine Duncan BrownのTexas in the Morning (1997)、Barr McClellandのBlood, Money & Power (2003)、 Billy Sole Estesの A Texas Legend (2005)、E. Howard Hunt の Rolling Stone での自身の“Confession” (2007)における結論をさらに強めるものである。彼らは全員、Lyndon Johnson をJFK暗殺における重要な関与者として示している。

 

スライドの字幕

SAM GIANCANA

何度も尋ねられた疑問は以下のようなものである;「もしKennedyの殺害が多くの人間が関与した陰謀であったのであれば、どうして今まで秘密であり続けるなど可能であったのか。誰も話す者はいなかったのか。」この疑問に対する答えは単純である。多くの人間が既に話しているのである。告白は暗殺の前に始まり、今日まで続いている。多くの実例がある;Carlos MarcelloはEd Beckerの前でKennedyは殺されるだろうと豪語し、どのようにしてなされるのか述べた;Santo TrafficanteはKennedyは殺されるだろうと豪語した;狂信右派Joseph MilteerはKennedyは殺されるだろうと豪語し、どのようにしてなされるのか述べた;Sam Giancanaの右腕Johnny Rosselliは(数年後に)Jack AndersonにRuby は「彼らの部下で、Oswadの口を封じるよう命じられていた」と述べた;謎めいたMaurice 司祭で複数のOswad の捏造犯であると疑われていたDavid Atlee Phillips  は死去する前に、アメリカ情報界の周辺分子がこの陰謀に関与していたであろうと述べた。前述のように、Lyndon Johnsonの愛人、Madeleine BrownはLyndon JohnsonがKennedyが殺される前に、それが起きることをほのめかしたと述べている。CIAの契約エージェント、Marita Lorenzは法廷での裁判の宣誓供述書において、Frank Sturgisが彼女に彼と反カストロ派のキューバ人集団がケネデイの暗殺に関与していたと告げたと言明した。そして最後に、Sam Giancanaの兄弟、Chuck Giancanaは最近の書、Double Crossの中で自身の兄弟Sam Giancanaがメキシコ市に引っ越す直前の、1966年に(シカゴ郊外のChuck Giancanaの家での一時間程の対話において)この犯罪全体を告白したと明らかにした。

Noel Twyman, Bloody Treason (1997)

 

 

 

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Newsweek  (22 November 1993)
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隠蔽工作を打ち砕くことは陰謀に関する多くのセオリーに反証することになる。マフィアはBethesda病院にまでその影響力を伸ばし、具体的にはアメリカ海軍の軍医、シークレットサービス職員、大統領の担当医の管理下にあったX線写真を改ざんすることは不可能であった。Castroに賛成するキューバ人であれ、反対するキューバ人であれ、本人の脳を別人の脳を置き換えることは不可能であった。またたとえKGBが CIA に匹敵するフィルムを再編集する能力を持っていたとしても、Zapruderフィルムにアクセスすることは不可能であった。こうしたことはまたいずれも、投獄されていたか、既に死亡していたOswaldにも不可能であった。

 

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Noel Twyman は完璧な計画はCIA /軍とシークレットサービス、マフィア、 LBJ、J. Edgar Hooverを組み合わせることであったと説明した。証拠の証明力により、それは一貫してLyndonの計画であったことが示唆される。Kennedy家を嫌悪していた--Edgaとの彼の密接な関係によって、その他の部分は比較的難なくうまくおさまったのであった。JFK はCIAと敵対し、CIAを粉砕する恐れまであったのだから。JFK は、満場一致での提言を押し切ってキューバ侵攻を拒むことで、満場一致での反対を押し切ってソビエト連邦との地上での核実験禁止条約にサインすることで、ベトナムから「顧問団」を撤回させることで、統合参謀本部とも敵対していた。彼らは国際的な神を否定する共産主義の拡張に反対する姿勢をとらねばならないと信じていたのだった。Bobby は歴史上初めて組織犯罪を取り締まっており、JFKは石油の減耗控除の削減の計画しており、オイルマンを激怒させ、彼らが暗殺のため金を用意することになった。つまりNoel は「正しく理解していた」と思われる。

 

スライドの字幕

 

このため私には、最も成功の可能性の高い最も完全な組み合わせは、以下であったことが分った;

 

CIA/軍―シークレットサービス―マフィア―LBJ―Hoover

 

陰謀集団にLBJがいなければ、マフィアはHooverに譲歩していたため、Hooverが足並みを揃える上で頼りになったであろう。おそらくこのリスクは、いったん彼らがLBJを自分達の仲間に入れると、共謀者には受容可能となったように思われる。LBJはこの集団の中で最も価値あるメンバーであったであろう。なぜなら彼は大統領となり、そのため、シークレットサービス、軍、CIA、FBIを含む、全行政機関に対して直接的権限を持つことになっていたからである。これは、アメリカ政府の捜査、訴追の全般的能力が、議会による調査委員会から除外される可能性を持つことを示している。(LBJは直ちに当初の議会による捜査委員会の設置を却下し、全委員を彼自身とHooverによって任命したウレン委員会を設置した。同委員会に利用可能であった情報は全てFBIによって与えられた。)LBJは民主制議会の最高の操作者であった。
こうして、私の第一の検証として、控えめに述べても、共謀者は以下であったと推定するものである;

 

CIA/軍―シークレットサービス―マフィア―LBJ

 

●マフィアがすべきことは、CIAが関与するように仕向け、CIAにシークレットサービスとLBJをリクルートさせるだけであった。こうしてこれは完全な陰謀であったことになる。

 

●LBJがすべきことは、(必要に応じてマフィアを利用出来た)CIAとシークレットサービスをリクルートするだけであった。こうして彼は完全な陰謀をなすのであった。

 

●Hooverは、犯行後にLBJとマフィアから彼らが彼に関して入手していたゆすりの材料を突きつけられ、足並みを揃えることになった。

 

●このシナリオにおいて極右活動家は、もし関与していたのであれば、金を提供したのであろう。

 

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保守派はまたKennedy王朝を恐れてもいた。Jack が二期を務め、Bobbyがさらに二期、その後Teddyが続くことになっていた。そうした方がアメリカにとっては良かっただろうが、腐敗にとっては決して良くなかった。彼らは、自分達の特別の利益を大きくするために国家を犠牲にして、自分達がなすべきことをなした。こうして私達は、JFKの死がなければ大統領の座につくことのなかった--Johnson、 Nixon、 Ford、 George Sr、George Jrという--大統領を連続して持つことになった。その後の国家の路線が、1963年11月22日の事件は単に大統領の死を意味するものではなく、アメリカに対する暗殺も意味していたという推論の正しさを証明している。

 

 

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