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2013年10月12日 (土)

JFK 暗殺に関するプレゼンテーション 1/5

以下は、http://donaldfox.wordpress.com/2013/06/03/jim-fetzers-conspiracy-conference-powerpoint/にてダウンロード可能なプレゼンテーションファイルの日本語訳です。(コマ1からコマ30まで)

 

James Fetzerミネソタ大学名誉教授が第35代アメリカ大統領、John Fitzgerald Kennedyの暗殺に関しても、専門家の分析に基付いた徹底的な検証を行っています。

 

実際のプレゼンテーションの模様は、http://www.youtube.com/watch?v=zLL8diz-7bwにて視聴可能です。

 

 

 

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Lyndonは、JFKが東ドイツのスパイであったことが判明した美女と恋愛関係にあったことがあり、アディソン病を患っており、長く健康的に生きるとは想定出来ないことを明らかにするぞと脅して、また‐もし彼が候補者にならない場合‐いかなる立法上の提案であれ、ホワイトハウスによって「否決されることが既に分かっている」と脅して、1960年に自分自身をLos Angelesの公認候補にするべきだと強要した。彼は後に記者団に、自分でアメリカの歴史を検証し、4人に1人の大統領は任期中に命を落としていることが分かったと‐自分は「ギャンブラー」であると述べた。しかしLBJは「確実なこと」に掛けたに過ぎない。

 

 

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Stewart Galenor, Cover-Up (1968), Expanded
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弾丸は以下の箇所から発射されていたと考えられる:County Records Building, Dal-Tex, 教科書倉庫ビル (しかし言われている「暗殺者の巣」からではない),  grassy knoll (芝生の丘)(#3),Triple Underpass (三線高架下道路)の北側と南側末端部の地上にある下水道開口部 (#4 と #5)。 Zapruder は#2 から撮影していたと想定されており、一人の見物人が#6でそれた弾丸で負傷した。公式には、JFKは#1において命中した弾丸によって命を奪われたという。

 

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Leeは逮捕された際、特徴のあるシャツを着ていた。その外見に、長袖で、底部がよれよれになった状態に注意していただきたい。彼はこの下にTシャツを着ていたが、それは彼が首の部分を引っ張りがちであったせいか、伸びていた。

 

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暗殺を仕掛ける

 

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JFKに暗殺を仕掛けたシークレットサービスの共謀を示す15以上の点が存在する。二人のシークレットサービス職員は、大統領防衛の細部を担当していたEmory RobertsによってLove Field に置き去りにされた。彼らは驚いた。

 

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Richard Sprague, Computers and Automation (May 1970)
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最も多くを語るのは、車両が不適切な順番に配置されていたことである。大統領専用車両が先頭に配置されていた。市長や副大統領といった大統領より低い地位にある公人が、大統領より前に配置されるべきであった。記者団は後方へと、大統領の担当医師は最終車両へと移動させられていた。

 

 

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マンホールの蓋は溶接されておらず、空いていた窓は締められず、群衆は街路に溢れることが許されていた。

 

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Richard Trask, Pictures of the Pain (1994)
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オートバイの伴走は4台に削減され、大統領専用車両の後輪よりも前を走らないように指示されていた。白バイ警察官の一人は、彼がそれまで見た中で最悪の編成であったと述べた。

 

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正常な精神を持つ者で、これがアメリカ合衆国の大統領に対する適切な警備であると考える人がいるのであろうか?

 

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Connally 州知事が、事件の4日前の、1963年11月18日の車両パレードルートの変更には関与していた。通常は、車両パレードルートは一旦定められると、決して変更されることはない。こうして大統領がテキサス教科書倉庫ビルを通り過ぎることになった。

 

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暗殺の後、狙撃が起きた地域を封じ込めるための措置は取られなかった。車両は自由にplazaを通る抜けることが許された。

 

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Richard Trask, Pictures of the Pain (1994)
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瀕死の大統領が搬送されたParkland 病院では、シークレットサービスの職員がバケツとスポンジを取り出し、大統領専用リムジンから血と脳を除去し始めた。観衆がフロントガラスの貫通した穴に気付くと、車両は移動させられた。

 

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1963年11月25日月曜日、公式の国葬の日には、大統領専用リムジンはFord 自動車に送り出され、中央右に弾丸が貫通した穴が空いていた車両のフロントガラスの交換を含めて、
完全に作り変えられた。

 

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Stewart Galanor, Cover-Up (1968), Expanded
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WARREN 委員会報告書(1964)によれば、単独の狙撃犯がテキサス教科書倉庫ビルの6階から3発の弾丸を発射した、2発が命中し1発がそれ、#6の箇所から観察していた、離れた所にいた見物人James Tagueを負傷させたという。

 

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「魔法の」弾丸

 

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Robert Groden, The Killing of a President (1994)
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委員会に当初の3発の弾丸/3回の命中というシナリオの破棄を余儀なくさせたのはTagueの負傷であった。もう一発がgrassy knoll(芝生の丘)の反対側の芝生上のマンホールの蓋の近くに当たっていた。合計で8発、9発、あるいは10発が発射されていたと考えられる。Kenny O’Donnell が後にTip O’Neillに述べたように、弾丸が至るところで風を切っていたのだ。

 

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一発はリムジンのフロントガラス上部のクロム製の縁に当たっていた。

 

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Gerald Posner, Case Closed (1993)
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このそれた弾丸が意味するのは、わずか2発の弾丸に基づいて全ての傷を説明することが必要になったということである。こうして「魔法の弾丸」という想像力に富む捏造がなされた。これは、Gerald Posnerによってここで示されているように描かれている。

 

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JFKが着ていた上着には襟下約5インチ半の箇所に穴が空いていたが、これは公式の傷の箇所と矛盾するものである。もし弾丸がここから、特に、下方向に向かって侵入したのであれば、どうして首を貫通出来たのか想像が困難である。

 

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公式には、1発の弾丸が大統領の首の後ろに命中し、いかなる骨組織にも当たらずに首を貫通し、州知事John Connallyの背中に侵入し、複数の傷を負わせたという。その弾丸は州知事の肋骨を粉砕し、右手首を傷つけ、左の太ももに侵入したという。

 

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シャツにある弾丸による穴は襟下約5インチ半の箇所にあることが分かっているが、これは低すぎて首の後ろの付け根という公式説明の箇所と一致しない。シャツも上着も検死の際Bethesda病院に送られなかったが、これは検死手順の侵害であった。

 

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Humes は、Humesと同様、それまで被弾による犠牲者の検死を実施したことのないアメリカ海軍医師、J. Thornton Boswellの補佐を受けた。彼の描いた傷を示す図表は、襟下5インチ半の箇所にある背中の傷を示している。これは海軍将官Burkleyによって承認までされていたものである。

 

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Noel Twyman, Bloody Treason (1997)
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検死を目撃した二人のFBI職員のうちの一人、James Sibertは、その傷の相対的な位置を示す図表を描いていたが、そこでは背中の傷は喉の傷よりも低い位置に描かれており、その二つの傷が上方背後から発射された一発の弾丸によって結び付けられるとは到底考えられない。

 

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海軍将官 Burkley は、大統領は「頭部を撃たれており」、「第二の傷は背中のおよそ第三胸椎の高さにあった」と述べるJFKの死亡証明書を作成した。頭部の傷は「脳の右半球の空洞化」を伴っていたという。

 

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Warren 委員会の委員でさえ、この再現写真が示しているように、背中の傷はその箇所にあったと結論付けていた。代役が着ている上着の背中の大きな円形の当て布が背中の傷を示しており、その上の小さな方は公式の頭部への侵入痕を示している。

 

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Newsweek (22 November 1993)
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当時Warren 委員会のjunior counselorであった、Arlen Specterが指示棒を使い、「魔法の弾丸」が描いたに違いない軌道を示している。大きな当て布が彼の左手の下に見えるが、これはこのセオリーを図示する目的の写真が実際にはそのセオリーを反証していることを示している。

 

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あの時JFKがリンカーンリムジンに乗っていたことを知らなかったアメリカ人はWarren委員会の委員のみであったと考えたことがあるであろう。この再現はシークレットサービスのキャデラックを用いて行われており、そのような再現に基づいた検証には法医学的な意義がなかったことを意味している。

 

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The New York Times (3 July 1997)
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Assassination Records Review Board (ARRB) が公表した初期の文書は、当時の委員会の委員であったGerald Ford (R-MI)が、背中の傷を、既に誇張であった「背中の最上部」から「首の後ろの付け根」に書き換えさせたことを示していた。

 

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Stewart Galanor, Cover-Up (1998)
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医師、放射線腫瘍学の正式の資格を持つ物理学博士、David W. Mantikは、JFKと同様な胸と首の大きさをした患者のCATスキャンを行った。同博士が公式の弾丸の軌道を描くと、その機動は解剖学的に不可能であることが判明した。頚椎が邪魔をするのである。

 

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Gary Shaw, Cover-Up (1976)
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実際の弾丸の侵入箇所をその後の「魔法の」軌道と結び付けると、Oliver Stoneの「JFK」で描かれたように、このセオリーは冷笑の的となるのである。一連の離れ業を達成したと言われるこの弾丸は、離れ業にも関わらず、わずかに長さが歪んだだけで実質的には無傷な状態であった。

 

 

 

 

 

 

 

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